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日米関税合意に見える米と『日本=米』の幻想Rice Challenges in US Japan Tariff Agreement

『日本=米』という認識は、今や国内外でも非常に強く共有されているように感じます。これは即ち、水田稲作農耕を一元的に日本の前提に立てる視座なのですが、例えば最近でも米国との関税問題を巡る対処で、日本側が同意した項目の中にも、この米を巡る問題が絡み、反映されています。

日本政府は7月25日に日米関税交渉の合意内容を部分的に公表しましたが、そこでは未だ不明瞭な点が多いものの、主に以下の要点で合意したと報道されています。ここでは、内閣官房関税事務局による発表を簡潔に見ておきますが、要点は現在発表されているものでは4項目あります。

1.関税措置の見直し

・相互関税: 15%。

・自動車・自動車部品関税: 15%。

・半導体・医薬品関税: 詳細明記なし。

2.経済安全保障面での協力

・経済安全保障上重要な9つの分野において、日本企業による米国投資の拡大。

半導体、医薬品、鉄鋼、造船、重要鉱物、航空、エネルギー、自動車、AIなど

・政府系金融機関が対米投資で最大5500億ドルの枠を設定。

3.貿易拡大

・バイオエタノール、大豆、とうもろこし及び肥料などを含む米国農産品、半導体、航空機など米国製品の購入拡大。

・米国産米の輸入拡大。

・米国産エネルギーの安定的かつ長期的な購入。

4.非関税措置の見直し

・米国メーカー製自動車を追加試験なく輸入可能とする。

・CEV導入促進補助金の運用の見直し。

ここから大きく見えてくることは、関税よりも投資の側面ですが、経済的な内容の如何はここでは扱わずに、独自の観点から米についての状況を見ていきます。

まず、日本は米の多くを自国生産していることから、以前より輸入枠には厳しい制限を設けており、かつ日本産以外の米は品質が劣るという印象が日本人に根強いため、輸入米の広がりはこれまでも極めて限定的に行われてきました。実際、日本側は別に輸入米の導入など不要なのですが、国際ルールに基づき義務的に輸入を続けています。これは『ミニマムアクセス(MA)米』(MA米)の枠組みとして維持されています。ただし、国内だけで主食用の米は十分にまかなってきた背景があるため、この輸入米の実態の大半は加工用・業務用などと考えるのが妥当です。私自身も生涯を通じて、自分で輸入米を購入したことは一度もありません。

実際、輸入米の枠は基本的に年間70万t程度で維持されており、そのうち、主食用の米は最大でも10万tと定められています。この主食用米の輸入にはかなり複雑な審査が義務づけられていることから、事実上、これ以上は輸入しないという状態にあることがわかります。従来の輸入米の輸入先は、基本的にタイ、アメリカ、ベトナム、オーストリアなどで、大半はタイからの輸入です。今回の日米合意の米の事情としては、このMA枠自体は維持するが、年間70万t程度で配分している輸入米の割合のうち、米国産を拡大することが可能性として浮上しているということです。このMA枠の引き上げが議論されたという発表はありません。

現実に日本が輸入米に頼らなければならなくなった時代は稀ですが、一度、1990年代に輸入米が主食レベルで拡大する大きな出来事がありました。それが1993年です。私はまだ2歳でしたが、当時のことを母に聞くと、あの頃はタイからの輸入米しか買えず、子供たちが不味くて吐き出したので、高くても国産米を何とか買っていたことを覚えていると話しています。

1993年は冷夏による米の大凶作が起こり、これをマスコミが過剰報道したことで各地で買い占めが発生、これによって1993年後半から1994年前半にかけて輸入米が日常食になる事態が高度経済成長期以降初めて起こりました。この原因は、1991年6月に起きたフィリピンのピナトゥボ山の大噴火です。これにより、夏の気温が平年よりも2-3度以上下がったことで、日本でも冷夏が生じて米の凶作が全国規模で始まりました。当時、内閣は1993年9月にタイ・中国・米国から合計259万tの米の緊急輸入を行うことを発表したのですが、実はこの出来事以前は徹底的に『米は一粒も他国から入れない』という事実上の禁輸方針を固く堅持していました。この禁輸方針が崩れ去ったのが、火山噴火による冷夏の時代でした。この時の安易な措置が、現在の米を巡る動向に繋がります。

さらにこの時、タイのインディカ米を日本酒・焼酎・みりん・菓子など加工用原料として主に輸入することを政府は想定していましたが、米国・中国産側の米の輸入量が揃わなかったため、主食用にタイ米を国内流通しなければならなくなります。これが日本国民からの大反発の契機となります。何しろ、タイ米は日本人の嗜好と全く合わず、炊飯器を使用する調理法にも適合しなかったからです。その結果、一部の国会議員やマスコミが『輸入したタイ米からネズミの屍骸が発見された』や『タイ米の袋から錆びた釘が発見された』などの事例を大規模に報道し、タイ米の不人気が決定的となります。

この時代の冷夏を契機に、それまで国内で作付面積が多かった品種の欠点が露呈し、耐冷性に非常に強い品種が冷害対策品種として活発に広がる新たな時代を迎えます。これ以降、活発に気候変動対応型の品種改良が進み、各地でブランド米が多く勃興する時代を迎えて、現在を迎えます。そして再び、2024年中期頃から米不足が日本社会に動揺を与え、政府の対応が後手にまわったことから大問題を引き起こしています。ただし、これは明らかにメディア・バイアスであり、1993年同様、マスメディアの過剰報道が主要な要因となっている点を見逃してはいけません。

事実、米不足が社会問題となっていた昨年夏の終わり頃、私は北東北各地を調査旅していましたが、広大な平野の彼方まで広がる水田稲作の実る光景を目にしましたし、先週末の若狭の調査旅でも同様の光景を目にしています。つまり、本当に日本は米不足なのかという疑問が個人的にあるのです。むしろ、日本の複雑怪奇な米の生産から消費者までの流通ルートは不透明極まりなく、無数の業者が関与しているため、おそらく本質的な問題はこちら側にあるだろうと考えています。つまり、米はあるのです。ただ、それが市場に出されていないというのが正しい理解に思えます。これを覆い隠すためにも、日本側は関税問題で米国側の要求を受容するしかなかったとも評価できます。

一方で、私は今こそ『日本=米』という固定概念を脱する機会だと感じています。これは言い方を変えれば、『日本=水田稲作民的農耕文化』という一元的な論理で、第二次世界大戦前頃から、多方面の学問分野で組み立てられてきた構図からの離脱です。つまりこの認識は場所の多様さを覆い隠すものだと私は考えているのですが、当時の国家主義に統一国民の像が必要とされた時代の仕組みのなかで、この論理が重宝されて一気に広がった背景を踏まえると、成り立ちは理解できます。この構図を学問として広く定着させる大きな役割を果たし、今日にまで絶大な影響を残したのが、民俗学の開祖・柳田國男です。

柳田は日本人を農耕民=稲作民だという統一論を常に頂点に据えて、この角度から多数の民俗学的調査を行なってきました。この結果、『水田稲作=稲信仰=主食米=天皇崇拝=日本人』という構図が打ち立てられていき、しかもそれが天皇の万世一系説に迎合しながら推し進められたことで、古来より日本人は米を食べて、稲を崇拝してきた水田稲作民的農耕文化だと位置付けられました。確かに、稲を場所の信仰において重宝する歴史を有する地域が多くあることは事実です。しかし、この日本の民俗学創設時代の最初に設定されていた日本の民俗を研究する枠組みが、そもそも戦前の国家主義的な仕組みのなかで形づくられていたという構造があります。何度か述べているように、統一次元の日本・日本人など存在しません。

あれほど戦前ー戦後の日本各地に自ら足を運んで調査を続けた柳田が、水田稲作以外の場所における生活があることを見逃したとは到底考えられず、統一的な構図のなかでは、それらに光が当たらなかったように思えます。実際、日本は2020年代の今でさえ一元的に水田稲作が行われているわけではなく、柳田の時代ではもっと多様な生活が間違いなく存在したからです。そこには米ではない畑作(定畑)、焼畑、漁労など多元的な姿があり、米に依存する地域があったことは事実であっても、それがイコールで日本・日本人ということはあり得なかったからです。

そしてこれは民俗学の問題に限りません。この問題の起源は、実は神話の時代にまで遡ります。次回、そこについて神話の重要概念の観点から古代日本の実像を探っていきましょう。