不易流行Fueki Ryuko: Abyss of Basho's Philosophy
ちょうど昨日は俳諧について考えており、俳句を解説的に映像にするのではなく、俳句が生まれる源泉とは何かという問いを持って一つの映像作品を作っていました。そこでは松尾芭蕉の有名な俳句をモチーフにしたのですが、彼の考えていた俳諧における『不易流行』こそが現代に通じる高度な概念に思えたことから、その哲学を現代表現にどう取り入れるかを試行錯誤していました。
江戸時代前期の俳諧師として知られる松尾芭蕉(1644–1694)は、自らの俳諧芸術の根幹に『不易流行』という理念を据え、俳諧の芸術を高度に発展させた人物です。この概念は、二つの要素である『不易:変わらないもの』と『流行:移り変わるもの』を組み合わせたものです 。そのため、特に近代以降はこの概念を矛盾だと捉える向きは強いのですが、ここには西田幾多郎の説いた『絶対矛盾的自己同一』という哲学概念が的を得ています。一見すると相反する矛盾に思えても、その矛盾と思う心こそが分離に基づいており、深淵な美の真実を無視しているということです。この傾向は世界的に現在かなり強まっているように感じます。
芭蕉は元禄期(1688~1704年)に各地を旅する中でこの理念を体得し、人生をかけた俳諧の旅である『奥の細道』の過程で独自の理念にまで昇華しました。つまり、芭蕉の俳諧哲学の根源には不易流行があり、ここを捉えてこそ初めて新たな表現が可能になるのです。
「不易流行」という概念自体は、簡潔に言えば過去から現在への伝統と革新の調和を意味していますが、別の視方をすれば、時間概念を混淆して無化する高度な思想技術です。例えば、芭蕉の弟子・向井去来が著した『去来抄』には、師匠・芭蕉の言葉として『不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず』と記されています。これは翻訳すると、『不変の真理を知らなければ芸術の基礎は築けず、たとえ基本を身につけていても時代の移り変わりに応じて革新していかなければ新しい風は生まれない』というような意味です。
ここでいう『不易』とは、時代を超えた普遍的な俳諧の本質や真理を表し、『流行』とはその時々の社会や環境に応じて生まれる『新たな風』のことを指します 。一見すると対立する二つの要素ですが、芭蕉は日本思想の観点から両者は分離しておらず、「両者の根本は一つ」であると考えました。逆に言えば、日本の分離思考は明治以前の江戸時代から既に起きていたということです。個人的にはその背景にあったのは体制哲学となった朱子学だと考えています。この思考の変動過程が江戸時代を通じて育まれたからこそ、明治頃の西洋化の波を速やかに受容できたのです。
そして芭蕉は俳句について独自理論を打ち立てる際、弟子に対しては『永遠に価値が色あせない句』と『一時代の流行に乗った句』に二分類して説きましたが、その根源は同じ一つであると述べており、様々な思想を統合した稀有な人物でした。
これこそが俳諧を別次元に発展させた松尾芭蕉の思想であり、ゆえに彼は日本の俳諧の歴史において最重要人物の一人と見做され、今も深い影響を与え続けることができているのです。興味深いことに、芭蕉の弟子・服部土芳は俳論書『三冊子』の中で、芭蕉の説く一つの根源とは『風雅の誠』であると説いています。風雅の誠とは俳諧における真実の美・詩心のことであり、不易と流行の双方の底には、常にこの「風雅の誠」を追求する精神がなければならないと芭蕉を踏まえて土芳は述べています 。
言い換えれば、俳句という芸術は時代に沿って変化していくのが自然の理ではあるものの、その変化が単なる奇抜さや表面的な新しさに停滞してはならず、俳諧の本質的な美である風雅の誠に根差していなければ優れた作品にはならないということです 。この考え方は非常に重要であり、私も創作の源泉に据えています。このように「不易流行」は、古い伝統(不易)をないがしろにせず守りつつも、新たな感性や変化(流行)を取り入れていくという、芸術全般にも通じる普遍的な理念として定義することができます。
この俳句に対する哲学を基礎に据えた芭蕉は後続の弟子たちに対して、永続的価値を持つ『千歳不易の句』と、一時代の新風を表す『一時流行の句』という分類を意識しつつ指導を行います。しかし同時に芭蕉は単に古風な様式を守ることや、奇をてらうことを良しとせず、「両者の本質は同一である」と説くことによって、普遍的な美を土台に新風を興すという俳諧理念を創造し、後継者たちには自身よりもさらに先に進んでもらうことを願ったのです。ある意味、芭蕉の本質的な洞察は当時の日本の時代精神を見抜いており、思考の分離が顕著になってきた潮流に人々が向かわず、本質的な見地から物事を見定めるように促したのです。
この芭蕉の主唱は江戸時代に限定されず、現代にも通じています。俳句に限らず全てが『伝統文化』として統一的に位置付けられてしまい、そこでは常に古風な様式を守る人々と、奇をてらうことを良しとする人々に分裂し続けており、日本文化の重要な源泉はほとんどの場合において忘却されています。常に『伝統か革新か』という分離した二項対立的な構図のもとで議論は行われ、そこで演出される貧相な中身のない『新時代』には辟易しますが、これは、こうした歴史的に育まれてきた重要な思想が顧みられず、利益・名誉などを優先する仕組みが続いてきた証とも言えます。
この十年ほど、海外で日本文化が注目される時代が続いていますが、一方で国内では、この日本文化を担う基盤がゼロに向けて細っていくのが現実であり、辛うじて存続している文化もほぼ例外なく保守に傾倒していることから、芭蕉の説いた『新たな風』が一向に生まれません。この傾向を鑑みると今後考えられることは、大規模な文化のリプレイスメントだと個人的には見ています。
つまり、日本文化の担い手が、国や出自を問わず、この文化に深く向き合う人々へと広がっていくことです。長期的に見た場合、個人的にこの潮流は避けられないと考えていますが、そこで日本の歴史的な文化思想を研磨研鑽する新たなステージに入る人々が現れるでしょう。これは世界文化の主導的位置に向かうことを意味します。一体、そこから何が生まれてくるのか?21世紀の面白さは始まったばかりですが、今後の動向に注目です。