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北野武とヤクザ映画の文法Takeshi Kitano and the Grammar of the Yakuza Film

映画監督としても活躍する北野武が、従来の日本映画における様々な文法を、どのように一変させたかについて考察するために、まずはヤクザ映画の歴史と合わせて紐解いていきます。

1980年代初頭に、日本では漫才ブームと呼ばれるコメディー界の大きな現象が起きました。この時代の流れに乗って、「ツービート」というコンビで大活躍したのが、北野武のキャリアの始まりでした。

あっという間にコメディー界の頂点に登り詰めた北野でしたが、1980年代から俳優としての活動にも参入します。特に知られているのは、坂本龍一やデヴィッド・ボウイと共演した大島渚の『戦場のメリークリスマス』(1983年)です。

さらに1989年には『その男、凶暴につき』の監督予定だった深作欣二がスケジュールの都合から降板したことで、配給元の松竹は北野の知名度の高さとセンスを評価して、映画監督をやらないかと話を持ち込みます。これが北野の映画監督としてのキャリアの始まりでした。

この作品でデビューして以降、カンヌ国際映画祭で評価された『ソナチネ』(1993年)、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した『HANA-BI』(1997)が高く評価され、映画監督としての地位を確立します。

異業種から映画界への参入という現象は、日本では1990年代前後の大きな兆候でした。遡ると、1970年代に演劇の舞台俳優から映画監督になった深作欣二、そしてCMディレクターから映画監督となり、1980年代の日本映画に大きな影響を与えた大林宣彦などの先駆者がいました。

その新たな潮流に乗って映画監督になった北野ですが、マルチクリエイターとしての才能を発揮する北野は、時代の現象をコメディーに変えてきた反動的な精神を映画に持ち込みます。ここが、他の映画監督と大きく異なる特徴です。実際、北野は映画監督になった当時、映画をほとんど見たことがないと公言していました。

まず、彼が製作したヤクザ映画から見ていきます。これはヤクザ映画に限らず、他の作品でも同様ですが、北野作品の典型的な特徴は、主人公を美化せず、最後には死ぬという共通のパターンがあることです。

刑事映画なら『その男、凶暴につき』(1989)、『HANA-BI』(1998)、ヤクザ映画なら『ソナチネ』(1993)、『BROTHER』(2001)、2010-2017年まで続いた『アウトレイジ』などが挙げられます。

北野作品だけを見ると中々理解できないのですが、日本の従来のヤクザ映画の文法では、主人公を徹底的に美化する傾向があり、かつ時代の英雄に仕立てて神格化するパターンを持っていました。

実は日本でヤクザ映画が大きく発展したのは、1960年代半ばから1970年代前半のわずか10年ほどの期間に限られます。しかも、たった一社の東映による映画製作の影響でした。

その特徴は、ヤクザ社会を詳細に語ることを省略して、とにかく反骨精神を持った新時代のヤクザの英雄像を作り上げることに集中したことです。そうしたヤクザ映画の主人公として、特に神格化されて時代の象徴となったのが、高倉健、鶴田浩二、菅原文太などの俳優でした。

大きな流れとしては、鶴田浩二が1960年代半ば頃、高倉健が1960年代半ばから1970年代初頭まで、菅原文太が1970年代前半と続きます。彼らの作品を字幕で見る機会はほとんどないでしょうが、参照として主要作品だけ書いておきます。

まず、鶴田浩二主演の『人生劇場 飛車角』シリーズが1963年に始まったことから始まり、そこから高倉健主演の『日本侠客伝』が1964年にスタートし、『昭和残侠伝』が1965年にスタートします。『日本侠客伝』は1971年までに全11作品が公開され、『昭和残侠伝』は1972年まで全9作品が公開されました。どちらも異常な人気を誇りました。

そして、鶴田浩二から高倉健へと繋がれたヤクザ映画の人気が終息した1973年になると、今度は深作欣二による『仁義なき戦い』(1973-1974)が公開されます。この主人公が菅原文太ですが、既に鶴田や高倉のような1人の俳優を神格化することができない時代となっていました。

それは象徴的に『仁義なき戦い』が、主人公を設定しながらも、同時に無数の主役級の登場人物が次々と出てくる独自の様式に現れています。そして『仁義なき戦い』のシリーズが完結すると、ヤクザ映画は人気が極端に低下し、観客はヤクザ映画に飽きてしまい、同時にヤクザ映画を量産する東映にも飽きてしまいます。

では一体、どうしてヤクザ映画は限られた10年間にのみ人気を博し、その後極端に衰退したのでしょうか。その重要な理由は、当時の社会情勢にありました。それが若者による学生運動です。

ある意味、日本でヤクザ映画が勃興した背景には、1960年代後半に向けて高まる「日米安保闘争」に燃える若者たちの気分と一致したからです。当時の若者にとって、容易に崩すことのできない絶対権力との闘争は、全く先が見えないものでした。

そこに東映が、ヤクザ社会が正義よりも利得を求める傾向となった時代背景を駆使しながら、高倉健という古典的なヤクザの神格化を創造したことで、若者は熱狂し、爆発的な人気を獲得したのです。

つまり、学生運動が終わると、神格化されたヤクザ映画も不要になります。こうして、1968年の東京大学などでの学生運動を経て、1970年の「日米新安全保障条約」締結に反対する運動も失敗に終わったため、若者は挫折し、ヤクザ映画の人気も終わりました。

ここを踏まえてみると、北野武の登場は、まさにヤクザ映画の氷河期に現れた新星だったと言えます。何しろ、それまで過去の映画を見ていなかった北野は、映画史における文法や文脈の重要性よりも、時代を読む技術を駆使して、生々しい映画表現に平然と踏み込むことができたからです。そして、これが新時代の聴衆の気分と見事に一致したのです。

北野作品において頻出する主人公が最後に死ぬ様式は、一人の人物を神格化することが成立しなくなった1990年代以降の社会から発信された、過去に対する回答と言えます。主人公なき世界の到来。北野作品からは、何かが大きく引き裂かれた時代の転換点を感じるのです。