着物:衣服を超えた日本の総体Kimono: More Than Clothing, It Was the Essence of Japan
この記事では、「着物」が育んできた日本文化の意義と、日本人が着物を着なくなったことで、どのような影響が現在に及んでいるのかについてです。
残念なことに現在、着物を着る機会は、ほとんどの日本人にとっては皆無に等しい状況です。生涯に一度も着物を着たことがない日本人は、若年世代では相当数に上ります。しかし、私たち日本人の精神にとって、着物がもたらした影響力は測り知れません。
まず、着物は単なる衣服ではありません。では一体、着物とは何なのか? そう聞かれると、私は「日本の全てだ」と答えています。
つまり着物の中には、生理・衛生のような衣服の基本的側面に限らず、日本人の芸術、文学、哲学、宗教など、さまざまな要素が統一され、一つの着物に含まれていたのです。まさに、着物こそ日本の総体でした。
そのため、着物を着るということは、日本文化のみならず、この列島に積み重なってきた歴史をすべて引き受けていくということです。それほど深遠な意味を持っていたと、私は考えています。
そして着物は、個々の要求に応じて、自由自在に活用できる文化的なものでした。例えば、着物の柄や羽織の裏に、花鳥風月や、自身が信仰する神や仏を描いたり、和歌や俳句や格言を入れたりするなど、多様に用いられてきました。
つまり、日本人は着物を単なる生活上の便利さや機能の側面だけで、用いてきたのではないということです。ここが、着物の理解の鍵となります。
そして何よりも重要だったのが、着物を締める帯です。この帯を腹に締めることによって、精神に緊張を与え、身を引き締めます。しかも帯は、健康を維持するための優れた機能を持っていました。
例えば、健康維持に欠かせない骨盤を正すことや、脊髄をまっすぐに維持する肉体的な側面に役立っており、これが日本人が正座や座禅を続けることのできた一つの理由です。
さらに、帯によって腹や背中の体温が保温されるため、内臓が下垂することを防ぐなど、非常に高度な技術が蓄積されていました。見方を変えれば、着物は二十四時間身につける健康器具だとも言えます。
これらのわずかな例を挙げるだけでも、「着物が日本のすべてだ」という私の言葉が、大きな嘘ではないことを理解いただけるでしょう。
しかし、明治時代(1868)が始まって以降、西洋の強い影響を受けたことによって、着物は衰退していき、ついに現在では着る人がほとんどいなくなるという事態に陥ります。前述の通り、着物は日本のすべてを包含していますから、日本人が日本の文化を理解できなくなったことを意味しています。
事実、着物の生産量は1980年の31,288点をピークに、2022年には565点と極端に減少しており、たった42年間でピーク時の1.8%まで落ち込んでいます。同時に、着物の生産者も最盛期の5%に満たなくなっており、多くが廃業し、存続が危ぶまれています。
(https://journal.meti.go.jp/p/33220/#:~:text=生産量(検査点数)は,ないのが現状だ%E3%80%82)
しかし、戦前から戦後初期の日本映画を見ていると、多くの日本人が着物を着ていたことがわかります。特に女性にその傾向は顕著であり、男性は普段は会社員として働くため、外出着には洋服やスーツを着ていましたが、家に帰ると、着物に着替えるという生活を続けていました。
また、一世帯あたりの着物の年間支出額は、統計開始の1975年の1万8000円台をピークに、2020年には1,083円まで落ち込んでいます。これは衰退というよりも、着物は「失われた」と言う方が正しいでしょう。しかも、この衰退速度には、はっきりと男女差がありました。
遡ること34年前の1991年時点では、実は女性が着物に年間で支出する金額は、平均で約13,000円と過去最高に達していました。しかし、1991年を境に状況が一変します。その一つの背景にあったのが、同年に起きたバブル経済の崩壊です。これ以降、女性の着物への支出額は極端に減少し、2012年の時点では、2,000円を下回るほど衰退しています。
そして、男性の着物への支出額は、1985年以降、ほとんど1,000円台で推移しており、2000年代以降は、ゼロに近い状態が続いています。
(https://library.kimono-yamato.co.jp/post-015/)
日本人が着物を失ったということは、日本人の精神、文化、歴史を喪失したことと同義に思えてなりません。そして現在では、冒頭で述べた着物の多様な文化性は高級品としてのみ存続しており、一般人には手が届かない金額で販売されています。一方で、汎用品は化学繊維の大量生産品となり、個々のニーズに応じた着物作りが、ほとんど不可能になってきました。
日本の文化喪失は、実は着物を捨てて、洋服に向かった分岐点にあったのではないか。そう考えると、改めて着物を考え直す新たな時代が到来したように、思えてなりません。