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神道の成立:教義と霊性が出会う場所The Establishment of Shinto: Where Doctrine Meets Spirituality

これまでの連載では、神道がスピリチュアリティーを獲得した流れについて大きく見てきましたが、それを集成する出来事が起きたのは1890年代です。

既存の神道ではない位置から生まれた、江戸時代後期の黒住教、天理教、金光教を中心とする新宗教の動きは、やがて人心が不安定となる幕末を迎えるにつれて、大勢の信者を獲得しながら発展していきます。やがて明治維新後に新政府が発足すると、これらは「教派神道(神道十三派)」と命名され、公式に活動を認められます。

まとめると、人々の不安に呼応して、教義化された神道を否定したスピリチュアルムーブメントが勃興し、新政府の神道政策にまで強い影響を及ぼしたのです。ここが後の国家政策としての、大アジア主義へとつながっていきます。

特に大きな契機となったのが、明治政府が立ち上がった1868年、神職の世襲制度が廃止されたことです。これにより、すでに平田篤胤(1776-1843)の下で統合されていた白川家と吉田家による、神職の一元的な管轄は完全に終焉し、各地で新宗教の洗礼を受けた人々が、次々とカルト教団を開き、大きな潮流を作っていきます。

また当時の新政府は、近代国家を作るため、神道を「祭政一致」という概念の主軸に据える目的を持っていました。そこで神職による布教を積極的に促進するのですが、この中から官僚的な「宣教使」という官庁が1869年に設置され、ここを通じて国民の教化運動が図られます。ただ、内実は名目だけで成果を上げておらず、2年後には廃止されています。その功績のほとんどは、政府の役人ではなく、事実上、各地のカルトを率いるリーダーたちに委ねられていたため、一段と神道のスピリチュアリティーが高まりました。

このように、基本的に幕末までの動きに由来する新宗教の動きは、新政府によって公認されるまでになり、以降、段階的に制度化されながら国家に取り込まれていきます。各地で多くの信者たちが白川家・吉田家に依存することなく、多様な神道の信仰が許容されるはじめての時代を迎えることになり、新時代の風を受けて、神道は大きく変容します。

こうして、スピリチュアリティーが、国家の神道に取り込まれていったのです。ここが、戦前から戦時の天皇崇拝の大きな源泉となります。

こうした流れを受けて、ついに近代神道史を一変する出来事が起きます。

それは明治維新から二十数年が経った1892年。京都府綾部の山間部に暮らす、貧しい初老の出口なおに神懸かりが起き、そこから大本教が生まれたことです。大本教は、日本の近現代史を大きく揺るがす決定的な動きに深く関わっており、その影響力は今日にまで及びます。

見過ごしてはならないのは、これら黒住教、天理教、金光教、大本教の動きが、総じて当時の中心地であった江戸や京都、あるいは都市部ではなく、閉鎖された地方の山間地域、農村で生じているということです。

反都市的な宗教。反メインストリームとしての、スピリチュアルムーブメント。これこそが神道の近代史における1つの大きな特徴です。同時に、時代は西洋に対峙するため、近代国家の樹立を急がなければならない時代でした。こうしてスピリチュアルムーブメントに始まった新宗教の動きは、国家の下で、急速に政治的統合へと向かわざるを得なくなっていったのです。

しかし、その新時代に要求される政治能力を、従来の黒住教、天理教、金光教の指導者たちは持っていませんでした。あくまでも、彼らはスピリチュアルムーブメントから始まった、政治とは無縁の宗教に止まっていたからです。

そこで、最も新しく生まれた大本教に、優れた宗教的才覚を持ち、同時に政治能力を併せ持つ新時代に適応した若者が合流し、戦前の日本に強烈な影響を与えることになります。

それが異端の宗教家であり、大本教を最大教団にまで発展させ、一時は国家転覆を実現するまでの勢力拡大に至らしめた指導者、出口王仁三郎です。