差別ではなく区別:「ガイジン」の成り立ちNo Discrimination but Distinction: The Formation of “Gaijin”
日本における差別の問題は、西洋のようにはっきりと認識されておらず、非常に曖昧なまま近代史を通じて放置されていると言えます。しかし現実に日本に暮らしていると、明確に差別は存在し、実際に差別によって苦しんできた人々が多くいたことも事実です。
ここで問いたいことは、なぜ日本の差別は表面的に見えにくいのかです。この一つの理由として私が考えるのは、西洋のディスクリミネーションにあたる概念が日本では存在しないことです。
元々、「差別」という日本の言葉は仏教概念に由来しており、ディスクリミネーションとはイコールではありません。ゆえに、西洋の概念としてのディスクリミネーションが近代に翻訳語として流入して以降、どこかの段階で「差別」がディスクリミネーションの訳語に適用された時、既に近現代日本の実定できない差別問題が生まれたといえます。
だとすれば、日本の差別は一体どういう性質を持つのか。それを私は区別と考えることで比較的明瞭になると考えます。例えば、私の生まれ育った大阪を参照すると、区別を前提に区画された生野区と言う街があります。ここは大阪に暮らす人々であれば理解しているように、在日朝鮮人の方々が長い歴史の中で暮らしを築いてきた街です。
長い歴史を通じて、山一つを越えれば、全く異なる文化圏がある小さな島国では、村落共同体が自らを他の村落共同体と区別することによって、独自の共同意識を高めてきました。ここに、祭りや習俗などの多様性が関わってきます。
西洋的な「自己と他者」から構築される「主体と客体」の問題は、そもそも日本語が主語を持たないという観点から存在しません。ゆえに、自己と他者を区別することによって共存するという考えは、日本には存在しないと言っても良いでしょう。個人と個人の視座ではなく、常に自らの共同体と他の共同体が徹底的に区別されることによって、日本の個人存在は確保されているからです。
そのため、長らく大阪の在日朝鮮人の方々は、共同体の境界によって徹底的に区別され、生活の区域を分けられた状態に置かれてきました。それは、当人たちに大きな苦しみをもたらした仕組みであり、差別として受け止められるのは当然です。一見、日本で差別がないように見えてしまうのは、共同体の境界が保たれている間は、ディスクリミネーションという形で表面化しにくいからです。ここが、肝心となります。
こうした区画は、日本各地に多くあります。愛知の保見団地、埼玉県南部の集住地域、在日米軍の基地の周辺、東京の湾岸地区などです。いずれも、人々が出会う前に、場所の側が先に区切られているという共通の構造を持っています。
日本で穏やかと言われる状態は、共同体どうしの境界が保たれ、普段の生活での接触が少ないことに支えられてきました。その境界が揺らぎ、これまで出会わなかった人々が同じ場所で暮らし始めると、共同体の側に緊張が生まれます。この緊張は、誰かの性質から生まれるのではなく、境界を前提とした仕組みが生み出すものです。
現在の日本社会を見ていると、この境界をめぐる緊張が高まってきたことを感じます。ここに旅行者は気付かないでしょうが、社会全体が相対的にかなり貧しくなっていることが重要な要因です。日本のような全体主義では、個人が貧困になると言う事はなく、極端に全体的、かつ一気に貧困化する現象が起きます。それが、まさに今です。
こうした中で、不安が特定の誰かへの攻撃に向かう回路が開くと、世界が長らく抱いてきた「おとなしい日本」という像は一挙に崩れます。大切なのは、不安を誰かに向けることではなく、不安を生む構造そのものを見ることです。
大阪でも、移民として暮らす人々が増え、日常の中で人々が出会う機会が増えています。出会いの場が増えることは、区別の仕組みを、互いの違いを保ったまま共に在る相反共存の関係へ置き直す機会でもあります。
こうして、共同体次元での区別が揺らぎ始めた今、区別の仕組みを相反共存の関係へ移していけるかどうかが問われています。
個人を見る前に、共同体を見る仕組み。西洋でも知られるようになった「gaijin」の概念は、差別ではなく、区別によって生成されてきたのです。ここを見誤ると、不毛な議論が続くだけです。