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登山によって喪失した心: 日本で登山が生まれた時The Heart Lost Through Mountaineering: When Mountaineering Was Born in Japan

今日は、日本人は登山で何を失ったのか、です。

年末に入り、続々と2024年の観光客数が発表されています。有名どころで言えば、富士山は世界各国から約204,000人が登山を行い、立山黒部アルペンルートでは824,000人を記録しました。

登山を楽しむカルチャーは、日本でも定着していますが、その動きは僅か100年程前から始まった新しい動きに過ぎません。

狭い国土に山岳が連なる島嶼の日本では、古来より山自体を神として奉祀しており、「神奈備」という独自の概念を持って、祭事や祈りを捧げてきました。

この状況が一変したのは、1890年代です。地理学者である志賀重昂が『日本風景論』(1894年)を発表。これがベストセラーとなり、登山の人気が高まります。しかし、挿絵は絵画でした。

2年後の1896年には、イギリス人宣教師で登山家のWalter Westonが『Mountaineering and exploration in the Japanese Alps』を発表し、英国で話題を呼びます。同著の大きな特徴は、絵画ではなく、様々な写真家が撮影した写真を集めて掲載した製本を行ったことです。しかしこちらもロンドンでは出版されましたが、日本語版の出版は、かなり後の1933年でした。

自然風景を科学を介して再解釈し、信仰などの非科学的要素を排した上で、新たな視座を推し進めた結果生まれた登山。こうして、村落共同体的な自然風景への概念を一変すると同時に、山を一つ越えれば異なる文化圏があった当時の日本人の心に、新たな世界を開きます。

さらに、写真によって古い村落の慣習を目にする機会が増えたことで、古い習俗を否定する都市部のインテリ層が飛びつきます。

1905年には山岳会が結成され、登山の普及活動が本格的に開始。着実に日本人の間で登山が広まります。この勃興に一役買ったのも、写真家でした。

西洋ではギリシャ語の phōtósとgráphōからphotographは定義されましたが、日本に入ってくると、訳語は「真の姿を写す技術」と解釈されます。これが徐々に「真実を写す」へと曲解されていき、写真は真実だと見做す固定概念が生まれました。

Westonの著作が翻訳されて日本で発表される頃は、不遇にも日本でナショナリズムが高まっており、登山が既に一般的に広まっていたことから、それほど大きな反響は及ぼしませんでした。

同時期、アカデミックの学者が中心となり、博物学や植物学などの研究素材として写真が積極的に活用し始めます。中でも山岳会に所属していた写真家でもある志村鳥嶺は、北アルプスの山岳風景と草花に魅了され、独自に撮影を続けます。

西洋に初めて紹介された日本アルプスの写真は、志村の写真をWestonが貰い受けて、The Alpine Journal Vol 23(1906-1907)に発表したものです(https://archive.org/details/the-alpine-journal-vol-23-1906-1907/mode/2up?q=japan)。

そして1909年、日本初の山岳写真集である『山岳美観』が志村によって発表。続けて1912年は『千山萬岳』を発表され、登山が隆盛する決定的作品となりました。

ただし、この過程で山の概念は大きく変容します。写真を通じた自然風景の見直しは、続々と自然科学者の登場に繋がり、急速に科学的、或いは人文学的に山を再解釈する動きが高まったからです。

その過程で生活から生まれる歴史的な信仰、山との関わりは非科学的だと無視されてしまい、大きく日本人の心を変える影響を与えました。

今では登山は活況を呈しており、誰もが好きなときに自由に登ることができます。ですが、かつての山に対する信仰心は消え、生活の心は失われました。昨今のオーバーツーリズムを踏まえて、私たちは山に限らず、自然、風景、景観などに対する人間の態度を見直す時期に達したことは間違いありません。

今もソーシャルメディアにポストされる写真は、残された自然風景に大量の観光客が押し寄せる動因になっています。その姿を見ていると、100年前から何も変わらず、ただ変わったのは、限度を知らない人間の飽くなき欲望だけだと感じます。

信仰心も、学ぶ構えも持たないまま、大量の人が山に入れるようになった新時代。既に取り返しのつかない次元で大事なものが失われた現実を見ていると、日本の極端な衰退が、山への信仰心を喪失した過程とリンクしていることは、偶然ではないように思えてなりません。