奇妙な日本のクリスマス:日本式クリスマス誕生小史Weird Christmas.jp: A Brief History of How the Japanese Style of Christmas Was Born
Weird Christmas.jp: brief history of 日本式クリスマス誕生
今日は、世にも奇妙な、日本でクリスマスが生まれた背景です。
キリスト教とは何の縁もない日本ですが、毎年この時期になると、街はクリスマスムード一色となります。その実態が産業社会の商品マーケティングであることは事実ですが、その根幹にあるのは、暦法が変わったことです。
日本で暦法が初めて採用されたのは、約1400年前に、中国の暦法が渡来人にもたらされたことに始まります。
以降、中国で次々とアップデートされる暦法を随時輸入して用いながら、時間概念、さらには歴史を作り上げていきます。この流れは随分と長い間続くのですが、江戸時代(1603-1868)に入ると中国依存への反動から、自国を見直す動きが生まれ、国産の暦法を作る機運が高まります。
この脱中国依存の潮流を受けて、開発された初の国産暦法が「貞享暦」(1685~1755)です。
戦乱の歴史を持つ中国では、暦法は王朝の体制維持に直結するものであり、未来の厄災を読み取るためにも重要でした。
こうして着実にアップデートされた国産暦法は、ついに最高精度に到達します。それが「天保暦」(1844~1872)です。他国のコピーから入り、いつの間にかオリジナルを超えてしまう何とも興味深い逸話です。
幕府が高精度の暦法を要求したのは、体制維持を揺るがす厄災を予期し、回避することです。実際、各地で飢饉や自然災害によって、難民が増大していました。
当時、鎖国のみならず、国内にも無数の国境が設置されており、許可なく国境を越えることは死罪に値しました。
ですが故郷を失った人々は、死を覚悟して他国へ渡り、生き延びなければなりません。難民の大移動は、そのまま政権転覆に結び付きます。
この体制維持に必要不可欠であった背景が、結果的には、非常に高度な暦法を開発することに役立ったのです。
しかし天保暦が使用され始めて間もない1853年、マシュー・ペリー率いる米国海軍戦艦の来航を契機として、市場開放を迫る列強の圧力が強まる中で起きた軍事クーデターによって、265年にも及んだ幕府は呆気なく崩壊します。
以降、新政府の役人たちは、どんどん西洋から最先端のシステムを学び、採用するようになったのですが、暦法だけは西洋のグレゴリオ暦を使用せず、変わらず江戸時代のものが使われていました。
これは太陰太陽暦の天保暦の精度が、太陽暦のグレゴリオ暦よりも優れていたからです。では、変える必要などなかった暦法を、なぜ変えたのか。
その理由は、財政難です。
従来の太陰太陽暦を使う場合、翌1873年は閏月が生じて、年間の官吏への支払いが13ヶ月分に及ぶこと。さらに1872年12月はたった2日で終わるのにも関わらず、一ヶ月分の報酬を支払わなければなりませんでした。
これは財政難に苦しむ政府にとっては死活問題です。そこで巧みに西洋化という近代性を押し出しながら、強行的に暦法を改変したのです。
こうして長い歳月をかけて獲得した国産の暦法を放棄し、12ヶ月に定められた上、閏月を持たないグレゴリオ暦を国家は採用。
はっきり言えば、明治政府の懐事情が暦の西洋化を果たす原動力となりました。そのコンテクストにおいて、産業商品社会がいよいよ国民全土に広がる中、20世紀に入って、クリスマスを祝うというこれまでになかったことが生じます。ここをビジネスチャンスとして活用したのが企業です。
さらに偶然にも大正天皇(在位: 1912-1926)が1926年12月25日に死去したことで、この日は特別な日として意識されるようになりました。
個人的には、戦後まで12月25日は天皇の命日の印象が強かったことから、クリスマス当日は亡き天皇を偲ぶ側面が強く、結果的にクリスマスイブの方が賑わう今日の状況を作り出したと考えています。
しかし高度経済成長期、特別な日が一日だけでは儲からないと言うことで、クリスマスイブとクリスマスを設定し、経済効果を2倍にすることによって利益を求めました。
元々、西洋でクリスマスの開発がキリスト教の布教に理由があったなら、日本では経済的な理由から生まれたということです。宗教とは無縁の日本のクリスマスは、経済的な事情で推進されてきた歴史を持つ不思議な二日間です。
この時期、街を歩けば多くの若いカップルが肩を並べて歩く姿や、全ての店がオープンして活況を呈しています。
この光景は、キリスト教に馴染みある観光客からすると、異世界の奇妙な光景に陶酔するでしょう。
このように、日本列島では外来文化が柔軟に取り入れられ、独自の形で再構築されてきました。それをフレキシブルと見るか、表層的と見るかは、読者に委ねられています。
クリスマスで騒がしい街を眺めていると、改めて不思議な場所だと思う一日です。