私が敬愛する人々の三つの共通点Three Things the People I Respect Share
最近、ふと私が尊敬する人々にはある共通点があることに気付きました。それは物事の考え方に共通しているのですが、ざっくりと言えば次の三つです。
・長期的視座を持つ。
・多角的・全体的に捉える。
・根本的に考察する。
これらは冷静に考えれば当たり前に思えますが、私が日本の歴史上最も尊敬している人物の一人である儒者・安岡正篤も、弟子に対して常にこの『物事の考え方の三原則』を説いていたと言われています。
安岡は1898-1983年という日本の激動時代を生きた人ですが、如何なる時代であっても周囲や環境に振り回されることなく、己の信念に生きた人物です。戦後日本のフィクサーとも呼ばれ、首相のブレーンとしても活躍しましたが、それ以上に安岡の素晴らしいのは人格者であったことと、第二次世界大戦敗戦後に骨抜きとなった日本人を憂いて未来のために尽力したことです。
しかし、残念なことにいつの時代もこうした優れた人格者ほど急速に忘れられていくものです。今や安岡の名を知る人は非常に少なくなってしまいましたが、時折、彼が生きていて今の日本の姿を見たら、一体何を思うだろうかと空想することがあります。個人的にも年々感じることは、日本に限らず思考できる人間が極端にいなくなったということです。その背景にある理由は様々でしょうが、上記の三原則自体が人々にとって機能不全に陥っていることは確かに思えます。ですが、この三原則は人間にとって発展の根幹であり、言い換えれば反省の基本となるはずです。仮に人類が既にこの三原則を放棄したのであれば、私たちが如何に理想や理念を語ったところで、何の意味も持たなくなります。
この状況を私は映画に置き換えると理解し易いと考えています。映画にはASL(Average Shot Length)という平均ショットの長さを測る指標があります。これは映画の総尺を総カット数で割った1カット辺りの平均時間のことですが、100年近く前まで約10-12秒程度だったものが、現在では約2-3秒程度まで短縮されています。この背景には、人々のアテンションスパンが短くなったことが関与していることは明らかです。言い換えれば、糖分の過剰摂取とソーシャルメディア、さらにはオンラインゲームやポルノなどの四方八方を包囲するコンボのことです。
ASLが極端に短縮された映画の傾向は、この包囲網によって脳の報酬系を奪われてしまった人々が世界中に発生している証と言えます。こうした人々は映画を含めたあらゆる動画の1ショットの尺が長いとドーパミンが出ないため、動画を注視することができません。
脳の報酬系とは脳の深部にある中脳辺縁系と呼ばれる経路のことで、主にVTAと呼ばれる腹側被蓋野、側坐核、前頭前野の部位が連携して働いています。VTAは報酬の出発点であり、ここにはドーパミンを放出する細胞が詰まっていて、何か良いことが起きそうだと判断すると指令が出ます。側坐核は報酬のアクセルであり、ドーパミンを受け取ると強い快感や多幸感を感じ、もっと欲しいという欲求を生み出します。そして前頭前野が報酬の司令塔であり、得られた快感を評価して、次も報酬を得るためにこうしようと計画を立てたり、あるいは理性を働かせて欲求を制御したりしています。
ドーパミン自体は快感そのものではなく、「期待と学習」の物質と言え、報酬系で最も重要な神経伝達物質とされています。重要なのは、この「期待と学習」です。たとえば、美味しいものを食べている時よりも、これから美味しいものを食べられると分かった瞬間に多く分泌されたり、予想外に良いことが起きた時に強く反応して脳にその行動を記憶させたりします。これは報酬の「予測誤差」と呼ばれており、現代の動画で配備されていないコンテンツを見つける方が難しいほど一般的な手法となっています。
中でも顕著なのが著名なアニメーション映画です。主に子供をターゲットにするアニメーション映画は、集中力が維持しにくい子供を作品に没頭させるために、このドーパミンを強く分泌する仕掛けを隅々に配備しています。先ほどのASLが短いのは勿論ですが、さらに登場するキャラクターのオーバーリアクションにも典型的です。実写で俳優を使用する場合とは異なり、アニメーションは現代のように高精細な3Dになってもなお、まだまだ人間の演技同様に近づけることは難しい現状があります。そこで分かりやすさをイメージとして伝えるために、オーバーリアクションを最も効率的な手段として採用しているのです。やたらと元気で早口なキャラクターが必ず登場するのはこの理由からです。
ここでは人間が突然起きる大きな音や素早い動きに対して、無意識に注意を向ける本能が備わっていることを利用(悪用)しています。それはかつての人間にとっては、捕食者や獲物に気づくための生存本能だったのですが、今では人々の脳の報酬系をハッキングするための手段として利用されています。スクリーンで常にキャラクターが騒いだり動くことによって、観客の中でも特に集中力の維持が困難な子供の脳の注意を無意識に向けさせることができるのです。子供の脳はこうした作品によってドーパミン刺激の快感を小さい頃から叩き込まれるのですが、特に報酬の予測誤差によるドーパミン分泌に対する中毒性に埋没していきます。
なぜならば、アニメーション映画はビジネスの観点で見れば、キャラクターライセンスが莫大な利益を生むからです。つまり、子供の報酬系をハッキングして脳にキャラクターを焼き付けた後、そのキャラクターグッズを買わせる行動までを設計する。こうしたビジネスモデルは昔から行われていましたが、現代の問題は子供の脳がこうしたアニメーション映画を通じて脳の報酬系をハッキングされてしまう身近な延長線上に、さらなるドーパミン中毒へ誘う構造が全領域で準備されていることです。ある意味、現代の人間は子供の頃にアニメーション映画でドーパミン中毒者の世界に埋没するための教育が行われ、そこから成長と共にスムーズに他のドーパミン中毒型コンテンツなどへ依存するシステム構造が完成していると言えます。
このような世界で育つ子供にとって、ドーパミン中毒はもはや一般的な現象であり、避けること自体が年々難しくなっていると言えます。この場合、長期的視座を持ち、物事を多角的・全体的に捉えて根本的に考察する三原則は、こうした人々にとっては夢物語となります。
社会学者の宮台真司は自らのフィールドワークを通じた体感を踏まえて、1996年を通じて東京・渋谷などの街で人と目が合わなくなり、誰もが全力で視線を避けるようになったと語っています。逆に言えば、それ以前は街で見知らぬ人と人の視線が交差していたということです。宮台は知らない人同士が街で不意に交差する視線を「街の微熱感」と解釈しており、微熱を失った街として当時の東京を捉えていました。つまり彼は、東京が微熱を失ったと見る視点から今日の日本衰亡を予感していたのです。
興味深いのは、この1996年がスマートフォン登場より10年以上も前だということです。つまり、スマートフォン登場やそれに伴うソーシャルメディアの隆盛に関わらず、実は1990年代後半頃には、既に人々の視線の交差が生じない街へと変貌していたということです。これが彼の調査していた東京の渋谷や新宿以外の世界の都市にも共通するか私には不明ですが、この指摘はかなり重要に思えます。
確かに、今の日本の街で知らない人と目が合うことは絶対にありません。私は外出中はスマートフォンを触らないため、手ぶらで街を歩きながら常に観察しているのですが、現在の日本人はほぼ例外なくスマートフォンのスクリーンしか見ておらず、全力で視線を避けるようになったと宮台が語る1996年の渋谷の状況から考えると、そもそも視線が触れ合うこと自体が「禁忌」であるかのように俯いているように感じます。変わった言い方をすれば、現代日本の街のコードは「誰とも視線を交差させてはならない」です。
電車の中では誰もがソーシャルメディアのフィードか、オンラインゲームをしており、もはやスクリーンを見ていない人を発見することは、大自然の中で絶滅危惧種を見つけることと同じ程度に日本では困難になってきました。
こうなると長期的視座を持ち、物事を多角的・全体的に捉えて根本的に考察することが不可能になることは自明です。すると日本の考えられていない最悪な状況として見えてくるのは、実は有権者のマジョリティが引退した高齢者にある問題以上に、国民のほぼ全てが長期的視座を持たず、物事を多角的・全体的に捉えることもできず、根本的に考察することが不可能な人々であることの方が問題に思えてきます。
これは完全な思考の機能不全です。こうした人々が圧倒的マジョリティとして国や社会の方向性を決めていくわけですから、日本が衰亡の瞬間に向かって加速している現状も納得できます。
個人的な考えですが、おそらく現代を生きる全ての人々は、長期的視座を持ち、物事を多角的・全体的に捉えて根本的に考察する力を一度失うと、二度と取り戻すことはできないでしょう。なぜならば、それを回復する機会は用意されておらず、日に日に剥奪するシステムだけが強固になっているからです。ある意味、こうした世界に埋没せずに生きることは、かつての厳しい修行僧と同様に思えます。徹底的に自分を律して、己の信念に生きる。そのためにも『物事の考え方の三原則』を改めて自分自身の問題として考え直してみる。
日本人(特に東京在住者)がこの悪い意味での世界的潮流の最先端を独走している理由は、24時間糖分を摂取・補給できるコンビニエンスストアが5万6000店もあること、主要都市部の飲食店数で世界ダントツ1位の約15万店もあること(2位のソウルでさえ8万3000店)、ふざけているのかと思うほど大量に軒を連ねている不健康なラーメン店、世界有数の農薬と添加物を使用する大国、そうした生活で体調不良に陥った人々のために約1万9000店も存在するドラッグストアがあるからかもしれないと、何の信念も持たない政府や企業が絶対に認めない不都合な事実を考えながら、突然春の陽気になった一日を修行僧のように過ごす終末でした。
The Three Principles of Thinking and the Hijacked Brain