道元論 2On Dogen, Part 2
昨日の記事では、日本仏教の禅宗における最大宗派の曹洞宗の開祖・道元(1200-1253)が、為政者によるシステムが一変する13世紀前半の困難な世界をどのように生き抜く決意を為し、どこに答えを求めて探求を続けたのかの大きな背景を見てきました。歴史は一人の生涯を洞察することで、想像以上に見えないものが見えてくるものです。ゆえに、私にとっては「歴史との対話」です。
当時の日本では、794年に京都に都が移って以降、実権を握ってきた貴族システムが完全崩壊し、それまで貴族の身辺警護や、他地域の騒乱が京都貴族の統治に影響しないように鎮圧する職責を担っていたに過ぎない武士が大きく台頭する時代を迎えました。一時代を築いた覇権など、その渦中にいれば絶対的に感じるでしょうが、どのような絶対的システムも、呆気なく終わりを迎えるものです。こうして覇権は貴族から武士へと移り、新たな時代を形成する不安定な時代を道元は生きます。
当時の都・京都には、もはや何の希望も未来もないと見抜いた京都最有力貴族に出自を持つ道元。彼の胸中が如何なるものであったかを知ることは、現代を生きる私たちにも深い問いを突きつけます。それが、母国の存在です。
歴史を振り返った時、どのような人物に深い感激を受けるかと言えば、私にとっては母国のことを想う心ある人物の生涯です。もちろん、一つの国や民族の歴史は、栄枯盛衰の繰り返しです。ゆえに、どれだけ母国を愛する心を持っていても、実際の現実はとてつもない荒廃、腐敗を極めることも多く、とても見ていられないような世界が広がることも頻繁です。今、日本の現状はとても見ていられませんが、重要なことは、だからと言って母国を放棄するような愚行の肯定化はできないということです。
こうしたことは、昔も今も同じです。私は、どのような時代であっても、その人が生まれ育った母国への愛を持ち、困難な時代を生き抜く人々を敬愛しています。その国が、どこであるかなどは関係ない。その人にとってはそこが母国であり、母国はそれ以外にはないのですから、何人であってもその母国を批判・否定することはできないはずです。しかし、世界は平然とその人々にとっての母国を批判し、否定することばかりが横行し、一種のパフォーマンスとなっている。こんなことをいつまでも続けていれば、第二次世界大戦どころではない破滅をもたらす大規模戦争に世界中で突入することは誰の目にも明らかです。
自らの母国を無思慮に正当化するのはイデオロギーであって、心から真に母国を想う純粋なものではない。両者は全く違うのですが、ここが現代人に見えなくなっており、何とも最悪な事態ですが、この母国イデオロギーが今日では蔓延しており、酷い有様となって各所で現出しています。ゆえに、本気で母国を想う純粋な心がある人ほど、現代では母国に対する複雑な感情を抱いており、深刻な憂いを持って見つめていることでしょう。
私自身、母国は起源であり、場所だと考えるがゆえ、母国に対する無思慮な言説は、全てにおいて破滅以外の道には至らないという考え方を持っています。起源は全ての歴史を引き受ける場所という主体によって、私たちの心を養い、育む生命の源泉だからです。
今日では、どの国も表層的には腐敗を極めており、為政者は私欲でしか生きていない。為政者が私欲を露わにして堂々と生きるからこそ、マスメディアやソーシャルメディアを通じて、その姿を日夜見る国民も私欲を露わにして生きるわけです。こうして社会は私欲の汚染によって濁り、汚されるわけですが、発言力のある人々は、寝ぼけているのか分かりませんが、未だに起きている問題ばかりに目を向けるばかりで、この汚染の原因の根っこを引き抜き、その源泉を塞ぐことはしません。
こうした無意味な国際議論の横行が長引けば長引くほど、問題解決など有り得ない状況に陥るわけですが、そもそもの問題は、もう私たち現代人は世界の問題解決が不可能となる境地に達している事実(特に自然に対して)。そのことをなぜか受け入れず、今になっても問題解決の方法を議論している無様さを呈していることです。そのような時代は既に終わっており、二十世紀後半で終わらせておかなければならない問題だったはずです。つまり、今何を議論しても無意味なのですが、この無意味が意味を持つように転移し、何もやっていないことが何かをやっていることへと転移した現在では、こうした逆作用が全方位的に起きていることに注意しなくてはなりません。この逆作用によって起きることは、言葉は悪いですが、馬鹿で無知無思慮な人物が発言力を持つ時代の到来です。
私にとっての母国は日本であり、読者それぞれに母国は異なるでしょう。ですが、あまりに不埒で馬鹿げた愚行ばかりを繰り返している母国の姿を見つめていると、一つ強く想うことがあります。それは、母国と政府を同一視しないことです。一見、政府は母国の代表的存在として君臨しているように見えますし、実際に現代世界ではそのように捉えられています。しかし、母国と政府は全く違う。この観点が鑑みられていないからこそ、その国に対する視方が恣意的なものに陥ります。恣意的な視座が前提されれば、必ず実態を見誤ります。この実態の見誤りが世界中で日夜噴出してきたからこそ、答えのない世紀に突入したのです。何が原因かと言えば、傲慢です。そして大抵の場合、この混同状態を理解していない無知な人々によって、現代政治は行われています。
例えば私の母国で言えば、「日本が右傾化している」などの世界的喧伝が典型です。実態としては、日本人が右傾化しているわけではなく、政権を掌握している一部の私欲に塗れた政治家が右傾化しているだけですが、これがイコールで日本の右傾化として騒がれています。こうした愚行が際限なく日々ばら撒かれているのが現在ですが、単なる虚偽です。しかし、実態を日常感覚において知らない大多数の人々にとっては、この虚偽を事実として転倒することも横行するものです(フェイクニュースとは意味が違います)。
こうした国家と政府の混同によって捏造されている母国の新たな実像に対して、私たちは距離を取った位置から冷静に思案する必要があります。なぜならば、そこではじめて限界を見定めることの重要性が見えてくるからです。私は、限界を知ることが人間の生涯では最も重要だと考えており、この限界を知ることで短い生涯に集中的に注ぐ労力のリソースがかなり明確になると考えています。
例えば、母国の現状を何とか打破しようと考えた時、大抵の人々はこの限界を考える前提を無視してしまい、単なる感情論で入ってしまうため、物事は短期的に成果は出ても、中長期的には必ず上手く進みません。そして限界を知るとは、ネガティブな意味ではなく、客観の客観という現代では最低限必要なスキルだと言えます。
母国の現状を見極めて、限界を先に知ること。ここから全てが始まります。ここを前提にすれば、おそらく現代では全ての国々において、今私たちが何かを行ったところで、より良い未来に至る可能性がないことに気付くでしょう。問題は、ここにあります。
どうしても人間は、自分が生きている短い生涯で何かしらの功績・実績を残そうとしたり、憂いが覚めるような変貌を迎えた姿を見たいと考えるものですが、それは私欲です。この一見すると心ある人間に見えてしまう態度が、実は私欲であることが見抜かれないことによって、こうした態度自体が未来を欠損させていることは無視されていきます。そして母国や世界の衰亡が進めば進むほど、この傾向は顕著となっていき、膨大な数の私欲を私欲と気付いていない人々の登場によって、衰亡への速度が早まります。実は加速主義とは、この「善人に見える人」の登場によって起きています。善人に見える人とは、善を知らない人々、善を知ろうともしない人々が、我を見失った世界において発言力を持つ機会を獲得し、知らない善を語って台頭することです。
逆に言えば、限界を知れば、未来の可能性が見えてきます。この時、非常に重要なのが歴史だということです。母国の限界を知った時、はじめて母国の歴史などを総合的に見直す意義が高まるのですが、それを長年洞察し続けることによって、どのくらいの歳月で母国の憂いが覚めるかという予測を立てることができます。なぜならば、国家や民族の歴史は繰り返しており、それぞれ一定のサイクルを持っているからです。
それを見極めたならば、自分が大きなサイクルに対して、どこに立脚しているかが可視化できます。それによって、今考えるより良い未来の実現が、どの程度の歳月によって実現されるかが見えてきます。これを踏まえれば、おそらく大半の人々は、自らの生涯で母国や世界がより良い未来となる姿を目にすることはできないことが分かるはずです。例えば、日本の未来で言えば、私が平均的な80歳で死ぬと仮定するならば、ちょうど復活傾向に入った2070年辺りで没することになり、再び日本人の顔が明るく輝く日を見るギリギリのところで生涯を終えることになります。つまり、私のこれからの生涯のほぼ全ては、日本の崩壊と再生の動乱に位置しているということです。
数年前、少し年長世代(7歳くらい上の世代)の人々と頻繁に議論を行った過程で見えてきたのですが、自分たちが母国の復活する姿を目にできないことを知ると、ほとんどの人々は諦めてしまいます。実は、これが真の問題です。私からすれば、なぜ自分でその姿を見ることができないからと言って、勝手に未来を諦めるのか。この問題は、パンデミックの始まり頃から、私にとってかなり深刻なテーマとなり、各地を巡って少し上の世代の動向を見極めていました。なぜならば、彼らがちょうど40歳に差し掛かる頃になると、突然、これまでより良い未来を作ろうと励んできた意志を、平然と放棄する姿に直面したからです。これは私個人にとって衝撃的で、なぜこのような動きになるのか不思議でならなかったのです。
それから3-4年経った今になって思い至ったのですが、彼らが諦めたのは狭い時間しか見えていないからです。自分の生涯という精々80年程度の歳月しか見えなければ、数百年や数千年の巨視的な視座で見る力はありません。実際、別にこの世代に限らず、あらゆる世代の人々と話していても、このような視座で生涯を考えている人はいません。すると、誰もが諦めてしまいます。しかし、今、私たちが何かを考え、為すことが、数百年や数千年の未来を創造し続けていることに気付かなければ、一体、何のために人間は生まれてきたのか分かりません。
正直、人類が第三次世界大戦で絶滅しようが、隕石によって滅びようが、AIによって滅びようが、別にそんなことは何だって構わないはずです。本当に重要なことは、巨視的視座を持って生きることのできる人間一人一人が、今、自分自身が何かを考えて為すことの一つ一つが、この後の数百年や数千年の未来を創造し続けていることに対する自覚を持つことです。
その時、母国の終焉を理解しても、それはあくまでも狭い時間軸における一つのシステムの終焉でしかないことが理解できます。現代人は、すぐに世界の終わりとか人類の終わりとか泣き喚いて悲劇を演じたがりますが、一体、何を甘えたことを言っているのか。所詮、その終わりが示すことは、一つの絶対的システムの終わりでしかなく、別に世界も人類も終わることはないのですから、単なる一つの絶対的システムだった過去の遺物にすがりつく人々の自惚れでしかない。だからこそ、一つの絶対的に思えたシステムが瓦解し、崩壊の速度を高めている今、私たちは母国を想うからこそ、母国を離れなければならないようなことが多々起きるのです。
ただし問題は、母国を離れる時の志だと私は考えます。
今はどうしようもない母国を離れて、他国で次の可能性を探るが、時が満ちれば必ず母国に戻り、母国のために、それまでのスキルを全て捧げる覚悟を持っているかい否かです。この覚悟の有無をどれだけの人が持っているかが、本当の意味でその国の未来を決するのです。今、繁栄しているかどうかなどはどうでも良い。たかだか経済指標でしか国の繁栄を見ることのできない前時代的な視座などどうでも良い。次はインドだ、次はアフリカだなどは、所詮、経済指標において先進国が辿った同じ栄枯盛衰のサイクルが時差を伴って他国で始まったに過ぎないのであって、それは真の意味で国の未来を知るためには、何の役にも立ちません。
真の国の未来を示すのは、いつの時代も人です。母国のために、上述したような決意を持ち、時が満ちるのを待って淡々と準備をする人々が、一体その国にどれだけ居るか。そして、その一人一人がどのような人物なのか。正直、一つの国や民族の未来など、これだけでしょうし、これは世界の未来だって同じことです。そして、この観点で言えば、日本は世界的にもアドバンテージを持つ代表的な国と言えます。歴史的に見ても、今語ったことを実行してきた歴史の積み重ねが随所で見られるからです。おそらく、地続きで異民族や異なる宗教などの混淆や力学の調整、次々と為政者が替わる歴史を経験してきた大陸とは異なり、日本人は比較的安定した起源を維持することのできた特有の特性から、元来、母国への想いが強い民族なのかもしれないと考えています。
ただし、現代日本人の母国愛は、完全に歪んだイデオロギーでしかなく、単なる排斥でしかありません。しかし、いつの世も心ある僅かな人々が、時が満ちれば母国のために全てを捧げる覚悟を持つのが日本人だと言えます。そうした事例は歴史に無数にあるのですが、私が昨日書いた道元に感激するのは、まさにこの点です。
昨日の記事で辿ったように、道元は、母国を真に想う心を持つ人物でしたが、実際に彼は当時の首都だった京都の終わりに限界を知り、即座に宋に渡って可能性を探り、再び日本に戻って活動するも、京都の腐敗があまりにも悲惨だったことから、越前に移動して永平寺を建立しています。こうした道元の動きは逃避ではなく、母国の未来のために今の自分に何ができるかということを真剣に考え、生涯に渡って実行した稀有な人物です。
先日、江戸時代の儒者・三輪執斎について触れる際にも書きましたが、三輪執斎も自分の生きる時代に陽明学が広がることはないが、必ず未来のために陽明学を築いておかなければ、日本の未来は崩壊することの限界を熟知して行動を起こしました。先月書いた大塩中斎だって同じことです。一般的に限界を知ることは挫折と言われますが、実は限界を知ることは挫折ではなく、真の可能性を知る最大の武器です。限界を知らない人間は、必ず愚かな未来に帰結します。なぜならば、右肩上がりの成長を過信することによって、気付けば私欲によって人生を支配されてしまうからです。
では、道元は母国を想いながらも、どうしようもない限界を知った時、如何に生きたのか。そんな彼にとって最大の壁となったのが、浄土を巡る問題だったのです。