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気候変動と日本酒文化の起源Climate Change and the Origins of Japan’s Sake Culture

今年は、地球規模の気候変動の微細な動きが、日常的な生活の中でも良く見えた時期でした。特に5月頃から始まった熱帯化した梅雨期に始まる夏の異常な暑さは、既に日本が従来の美しい四季を失い、大きく夏と冬の二つの季節に移行していることを実感します。例年であれば、10月中旬を越える今は、秋の穏やかで心地の良い涼しい季節となり、人々はゆっくりと静かに読書に勤しんだり、季節の食事で体調を整えて、ゆるやかに冬季へ移行する時期ですが、未だに太平洋側都市部の気温は日中30度近くまで上がっており、まだ外を歩いても汗ばみます。すると、この季節に準じた緩やかな移行ができず、心身に極度の不安定をもたらし、不調が生じるのです。季節の変移から遮断された一人の不調は同時発生的に都市生活者へ波及するため、必然的に社会が不安定化し、激しい分断へ日本も着実に動いていることを予感します。

こうした影響は、心身の不調に限らず、一つの花からも見えてきます。季節の移ろいに敏感で素直な植物は、古くから一定の時期にだけ咲き誇る姿を見せるものも多く、それが私たち日本人にとっては季節の変わり目を迎えた指標ともなってきました。この指標は単なる季節の変移に限らず、心の移り変わりにも呼応していたことから、近代以降に都市と自然が分離される以前には、この状態から多くの文化や芸術が生まれてきました。典型的なのは春の訪れである桜や梅でしょうが、秋の訪れを告げる植物として彼岸花があります。

独特の赤い色彩を放つ畦道などに咲き誇る彼岸花は、昔から秋分の日に必ず咲く花として知られていますが、今年は各地を巡っていても、彼岸花がこの時期に咲かない地域が非常に多かったのです。彼岸花とは日本語の名前通り、「彼岸」、つまり仏教で言うところの煩悩や苦しみから離れた悟りの境地である浄土を指す用語に由来しますが、日本では雑節の一つである春分・秋分を中日として前後の各3日を合わせた各7日間、一年で合計14日間が彼岸となります。日常的に古くから言われてきた言葉としては、「暑さ寒さも彼岸まで」というものがありますが、これはもはや仏教行事以上に、季節の変わり目を告げる重要な時期の合図です。つまり、本来であれば彼岸を迎えることは冬の終わり、夏の終わりを告げる合図であり、その時期に合わせて咲き誇る象徴的な植物が、彼岸花だったのです。

通常であれば、お盆明けから徐々に気温が下がり、秋分の頃になると花芽が伸びる彼岸花ですが、今年は異常となった気候の移り変わりに対応できず、多くの地域で彼岸の時期に彼岸花が見られない異様な景色となりました。他にも異変は起きており、各地の調査で今も頻繁に山間部へ出向くのですが、例年ならこの時期にはいないはずの蚊が未だ大量に発生しています。つまり、異常な地球規模の気候変動は、私たちの想像を遥かに凌駕する速度で、生態系を既に一変させているのです。ここに関して、個人的に不気味だと考えているのが台風です。通常、8月後半から10月にかけて複数の台風が日本列島に直撃し、各地に被害をもたらすのが通例ですが、今年はなぜか台風の影響が極めて限定的です。これは何か大きな変動が地球規模で起きている証であり、かなり不気味に思います。

明治以降に政治的都合から高度に発展していた旧暦を放棄し、産業化社会に適したグレゴリオ暦を採用して今日に至る現代日本人の大半は、産業ベルトとなっている太平洋側沿岸部の都市生活者であることから、ほとんどこの生態系の変化に注意を払いません。しかし、彼岸花の球根は「まだ秋ではない」と判断し、開化時期そのものを変更したり、抑制したりして、既に気候変動への対応を始めています。ですが、現代人は気候変動に全く対応できていないどころか、相変わらず季節の移り変わりを無視した暦法を採用し続けて産業社会に準じた生活を送っており、ゾンビ化した産業化社会の維持に懸命になっています。既に数世紀、あるいは数十世紀に一度の大きな気候変動に直面している私たち現代人ですが、自然の息吹き感じる機会は都市生活によって完全に分離・剥奪されています。特に日本の都市部である東京や大阪などでは、戦後の一党独裁体制とも言える自民党の政治的利権と結託したコンクリート・ファースト社会を実現してきたため、自然の生態系が発する変化を知る機会自体が剥奪されました。実際、今年の夏に東京や大阪を来訪した人なら分かると思いますが、太平洋沿岸の都市部のヒートウェーブの本質的な要因は、自然秩序を無視した沿岸部に乱立建造された高層ビル・高層マンションが原因です。この無秩序で巨大なコンクリートが、海からの風を遮り、都市部に異常な熱波と吐き気を催す湿度、さらには突発的な線状降水帯を発生させているのです。つまり、これらは自然災害ではなく、人災です。

こうして、自然は既に地球規模の変動に対応を始めており、人間にも対応を促すサインを随所で送っているにも関わらず、都市生活者はこれらのサイン自体をなかったことにし、変えられないシステムを維持することしか見えなくなり、我を見失っているのが現在に思えます。これは単純に、日本が旧暦への回帰を行うべきだとかいうことではない、そうではなく、二つの暦法という時空を共時的に有し、その独自の時空を高速で往来する日本人的な特徴を活かした生き方をもう一度考え直すべきだということです。そしてこれは、自然の生態系が教えています。こうしたことを日々、都会と自然を往来しながら、そして現代と太古を往来しながら思索を続けていると、普段なら気付かないことにも気付きます。中でも最近、最も関心を持っているのが「日本人と酒」の関係です。

全国各地で米の収穫期を終え、各地では収穫を祝い、神に感謝を捧げる祭りが行われる時期に入っていますが、これは冬の移行期を告げる行事でもあり、古くは大仕事を終えた農民が最も溌剌とした時期でもあります。来月11月下旬には、天皇が一年で使用した霊力を再び神によって回復する新嘗祭が行われるように、こうした発散と回復の螺旋的で非線形の生き方は、古来より日本人が有していた優れた文化だったはずです。そのため、各地の神社ではこの時期になると米を神社の神に奉納する光景が頻繁に見られるのですが、同時に酒造りの神を奉祀する神社などでは、酒を奉納する光景も見られます。今週も幾つかの神社で見かけたのですが、一方で不思議に思うこともあります。今年に入ってから個人的に精密栄養学を学んでいるのですが、昨今、高度に進化した遺伝子解析技術、さらには臨床報告などから見ると、実は日本人の大半はアルコール耐性がないことが判明しているのです。

アルコール耐性がないとは、厳密にはヒスタミン代謝経路の中で産生されたアセトアルデヒドを代謝する酵素のALDHファミリーに関係しますが、中でもアルコール代謝に強く関わっているのがALDH2です。このALDH2は遺伝型が三つに分かれており、「野生型ホモ接合体」と呼ばれるGG、「ヘテロ接合体」と呼ばれるAG、「変異型ホモ接合体」と呼ばれるAAに分類されます。GGは変異がないため酒に強く、白人と黒人の大多数はここに該当し、日本人では半数程度が該当します。リスクとしては、代謝能力が高いことから飲み過ぎることが可能なため、アルコール性肝硬変や膵炎になりやすいことですが、正常な酵素活性を有しているため、アセトアルデヒドを効率よく分解できます。欧米人に多い型として知られているGGは、日本なら歴史的に酒文化が豊富な山形県、秋田県、鹿児島県などに多いことが報告されています。

一方、ヘテロ接合体のAGは、日本人の40-45%程度が該当しており、アルコール代謝能力は酵素活性30-50%程度で、それほど飲まないにも関わらず食道がんになりやすいリスクがあり、酒を飲むと顔が赤くなりやすいという中程度の不耐性を有しています。そして最後に変異型ホモ接合体のAAです。このタイプは酒を全く飲めず、アルコールに接しただけでも身体が真っ赤になることがあり、ほぼ完全にALDH2の酵素活性が失われているため、非常に低いアセトアルデヒド分解能力となります。仮にこのタイプの人が酒を飲むと、少し飲んだだけで顔面紅潮、頭痛、動悸、吐き気に襲われ、極端な酒に弱いタイプといえますが、日本人の5-10%がここに該当し、このAAは東アジア人、特に日本人、中国人、韓国人に多い型だと現時点で判明しています。逆に言えば、欧米人でAAはほぼいない希少さを有しているため、なぜ酒を飲めないのか理解できないという具合になるでしょう。

こうした現状の指摘を包括すると、これまで思案されていない日本史の実像が見えてくるのではないかと考えています。例えば私自身で言えば、全く酒が飲めないAAで、アルコールを摂取することはありません。それは昨今欧米の若年層でトレンドとなっているSober curiousなどの次元ではなく、本当に一滴も口にできない状態です。しかし、興味深いのはここからです。私の両親を見ると、父は昔から大量に酒を飲んできた人であり、母は酒に非常に強い。つまり、一般的な遺伝子継承のルールに従えば、個人的に両親は父がAG、母がGGと比較的強い部類の両親から生まれているのですが、私はAAと全く飲めないのです。そして私にはあと二人兄弟がいるのですが、真ん中の弟は誰よりも酒に強いGG、最後の弟は私同様に全く酒が飲めないAAを極端に分かれています。一体、なぜなのか?

一つの鍵として考えているのは、この日本人と酒との関わりは、GG型の多い欧米人でさえ若年層を中心にSober curiousが台頭しているように、本質は酒自体に問題があるのではなく、酒を介した周囲との関係、さらにそれを醸成してきた社会システムへの反発にあるはずです。その典型的な存在が父です。父は、日本が高度経済成長として加速的に成長する全てが豊富な時代に生まれ育ち、キャリアの全盛期にはバブル経済期を経由して生きてきました。しかも職種がクライアントワーク中心の広告業界ですから、毎日のようにクライアント接待があり、小さい頃には父が家に居た記憶がないほど、父は日夜働き、朝まで酒を飲む日々を何十年も送っていました。つまり、精密栄養学を学ぶ今になって考えると、父は本来、酒に強いタイプではなく、AGでありながら、当時の日本の社会環境によって飲めるようになったタイプであり、しかもそれは身体が一時的に適応しただけで、後に大きな悪影響へと帰結するということです。実際、10年ほど前にステージ4の癌で一年程度闘病生活を送ったり、現在は回復していますが健康状態は常に不安定で、今ではアルコール代謝自体に強い不具合が起き始めています。

一方、母は生まれつきGGと思われるため非常に酒に強く、どれだけ飲んでも酔っ払いません。この理由は、私から見て母方の祖父にあります。祖父は酒文化が歴史的に深淵な秋田県の豪農の生まれで、昔は半年近い冬季の雪によって集落が閉ざされるため、酒を飲むこと以外に娯楽がありませんでした。そのため、この地域の人々は歴史的に非常に酒に強いのですが、小さい頃、秋田の祖父の実家に行くと、朝から食卓に酒がズラリと並んでいた光景を子供ながら覚えています。実際、90歳となった祖父は今も酒が非常に強い。一方、父方の祖父母は、共に生まれが島根県の沿岸部で、祖父が漁村の生まれで祖母は温泉地の生まれです。この地域は、かつて石見国と呼ばれていました。そのため、一般的には酒に強い印象がありますが、どうもここに私に繋がる興味深い遺伝子変異の歴史、つまり私自身を形成している血筋の動きがあるように感じます。

というのも、石見国は銀が産出する山で有名となり、戦国時代から江戸時代にかけて、この石見銀山の覇権を巡って幾度も戦が展開され、覇権者が移行していきました。いわば、石見銀山を制することが、日本を制する時代が続いたのです。結果的には江戸時代の徳川家によって幕府主導で管理されますが、この過程で石見銀山には仕事を求めて全国各地から採掘者などが集まり、「人種の坩堝」とも言える当時の日本としては独自の環境を作り出して大繁栄していました。さらにこの石見国沿岸部には、古くから朝鮮半島側との独自交易の痕跡が多々残されており、神社の奉祀などから見ても朝鮮系、あるいは朝鮮経由の渡来人たちの居住地として栄えたことは明らかです。つまり、父方の祖父母の出身地は、まさに統一民族としての日本人が生まれる以前の人種の坩堝であり、ここで多様な遺伝子が交雑したというのが私の見立てです。

父方の祖父は、私が生まれる前に亡くなったので会ったことはありませんが、父に聞くと酒はそれなりに飲めたようですが、祖母は一滴も酒を飲まない人でした。そしてもう一つの鍵となるのが、母方の祖母です。こちらの祖母は生まれが瀬戸内海の離島なのですが、瀬戸内海の離島は、古くから九州から古代の政治中枢地であった奈良、大阪、さらには京都へ至る主要航路でした。こうした地政的側面から、この瀬戸内海の離島には古くから海賊が住んでおり、既に古墳時代には海賊の存在がかなりの影響力を持っていたことが反映しています。例えば、神話でも初代天皇として即位するカムヤマトイワレヒコが、日向国(宮崎県)から大和(奈良県南部)へ向かう際、この瀬戸内海の海路を利用するのですが、何度も海賊に襲われています。またこの瀬戸内海の海賊の歴史は14世紀頃に村上水軍として巨大な勢力となり、海賊の覇権が中枢の政治勢力を脅かしたこともあったほどです。この歴史的名残は現在も残り、例えば海賊という航海に長けた技術集団の名残は、第二次世界大戦前後の船舶製造の主要拠点の一つとなり、今も船舶製造が特定の島では行われています。こうした側面から見ると、酒に強そうなイメージですが、こちらの祖母も酒を一滴も飲みませんでした。当然、海賊の歴史などを筆頭に多様な歴史を有する日本の離島では、様々な人々が交雑しています。

つまり、大きく見れば、私が酒、アルコール耐性が全くないことは、両方の祖母から受け継いだ遺伝子変異だと言えるのですが、このように古代史からの歴史、神話、民俗学、遺伝子などを多元的に包摂して実地調査を踏まえて洞察するだけでも、面白い自分に繋がる歴史が見えてくるのが日本の興味深いところです。ただし、ここまでを考えた時に最も疑問なのは、なぜ日本ではここまで神に酒を捧げる習俗があるのかということです。これらを考慮すれば、そもそも日本人の全員がアルコール耐性に強い遺伝子を持っているわけではない、つまり民族的には、あまり強くない人々も半数近くいる拮抗状態であるにも関わらず、なぜここまで酒文化が全国規模で広がっているのかという疑問です。

ここで総合的なこれまでの調査から私が考えているのは、そもそも現在イメージされる意味での「酒」の主原料である米ではない、もっと多元的な酒の姿が古層にあったということです。確かに、現代日本の主要なアルコール飲料は米、芋、麦などを原料としますが、多くは米を原料としており、神に捧げる場合はほぼ例外なく米原料の酒となっています。しかし、独自に調査している神話や古伝承、さらには民俗学などの観点を踏まえると、私は歴史的に日本列島全域に米文化が広がっていたなどとは全く考えておらず、米原料の酒を神社の神に奉祀する習俗も、明治以降に体系化される神社神道の画一的な影響だろうと見ています。そしてこの誤った認識は、民俗学を打ち立てた開祖・柳田國男による恣意的な印象操作の結果だと考えています。そもそも柳田は民俗学を始めて以来、戦前から各地に出向いて実地調査を行なっていたのですから、当然、今とは違って米、稲作が生活の主軸ではなかった日本の姿を幾度も見ているはずです。しかし、なぜか柳田の残した記録のどれを見ていても、彼の頭には「日本=稲作文化」という固定概念が存在し、その固定化した視座を前提に答え合わせをするように、各地の調査を行なっているのです。これは端的に言えば恣意的であり、実態を反映していません。さらに柳田は、稲作ができない地域は劣っている、天皇に始まる日本の歴史から離脱しているという勝手な価値観を持っており、豊かな雑穀文化や芋文化とも言える焼畑農耕を軸に生きてきた縄文由来の高度な文化を破棄し、一元的な国家像を作るために民俗学の観点から貢献しました。すると民俗学の開祖が柳田國男となりますから、必然的に現在にかけて引用される数も膨大となり、いつの間にか彼の恣意的な価値観に基づく日本像が、一般化してしまったのです。

結果、今となってはかつて稲作の風景がなかった地域、つまり稲作に適していない土地でさえ、ほぼ例外なく稲作の光景が広がる日本史で見ると異質な世界になっており、逆にかつて広範囲に広がっていた焼畑農耕は極度に衰退し、今や日本全国でも僅かな農家が行うだけとなっています。最近の日本の米を巡る諸問題を見ても分かりますが、米、稲作一辺倒の世界観を捏造したのは第二次世界大戦期の戦時体制の影響であり、それは明治にまで起源を遡りますが、要するに天皇起源に関わる稲作信仰が、「天皇崇拝=日本=稲作」という位置付けとして、統一民族としての国民・日本人を捏造するためには必要不可欠だったということです。仮にこの時代の過程で、元々非常に多元的だった酒文化が、現在の一元的な姿へと集約されてしまったとすれば。これが私の思考の立脚点なのですが、ここの洞察からは日本の古層を開示する道が開けてくるのかもしれません。つまり、個人的には恣意的な国家像が建造される明治以前、神に捧げる酒の原料は、米以外の多元的奉祀の世界があったと考えているのです。

地球の気候変動に限らず、あらゆる近代の見直しが個々に迫られている現在。日本で言えば、それは明治からの歴史の徹底的な見直しです。今、大きな決断ができなければ、国家も個人も立ち行かなくなる未来が迫っています。日本の場合、国家や社会を変えることはできない、だからこそ個人が時代の潮流に先んじてどんどん変わるしかないのですが、それは一人一人がどのような理想の未来を描けるかにかかっているでしょう。