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山鹿に残る古代の弔いAncient Burial Traditions of Yamaga

今日は熊本県山鹿市を巡っています。日本人にもほとんど知られていないマイナー地域である山鹿ですが、考古学や古代日本史に興味のある人々にとっては素晴らしい場所です。ここは肥沃な菊池川一帯で丘陵などが多いため、旧石器時代から人々が徐々に居住し、独自の集落を歳月をかけて発展させてきました。同時にこの付近は阿蘇山など噴火の影響も考慮せねばならず、縄文・弥生時代の発展はこちらがわではなく、先日巡っていた伊都国・末盧国など北部沿岸部から吉野ヶ里一帯に集中します。そうした事情から、今もあまり注目されません。

ですが、吉野ヶ里の時代が終わりを迎えるころ、東アジアとの交流の中から新たな勢力が台頭し、日本列島の最前線である九州に変化が起こります。後に古墳時代と呼ばれる文化を築いたこの時代は、鉄製の武器や、舟で運ばれた鉄の馬具をつけた馬といった新しい技術がもたらされ、それまでの縄文・弥生の社会の仕組みでは対応しきれないほどの力学の変化が生まれた時代でした。結果、激しい戦場となった北部沿岸部ではなく、それまでの時代とは異なる地域に発展の兆しが現れます。そのひとつが山鹿です。

有明湾と島原湾がぶつかる辺りに流れ出る菊池川は、遡ると玉名市から山鹿市に至りますが、この一帯で躍動したのが理想的な新天地を求めた新興の勢力でした。それまでの縄文・弥生の暮らしの上に、耕作地帯が水田稲作用へと作り替えられ、王を中心とする国造りが進められます。

ゆえに山鹿一帯には無数の古墳が存在しており、今日も10数個巡りましたが、山の頂上付近に山鹿市最古の古墳があるかと思えば、丘陵一帯に大きな前方後円墳を中心とする無数の円墳が造営されているなど、かなり複雑な信仰を有していた痕跡が窺え、古墳人とは言っても複数の系統に分かれていたと感じます。

中でも全国的に見られる装飾古墳が、この辺りには集中して発見されています。装飾古墳とは、古墳内部が多様な彩色や図柄で飾られた古墳のことで、西日本を中心に多数発見されていますが、特に山鹿一帯には多い状況です。しかし、現在は熊本地震などの影響で崩壊が進み、一般公開される機会が少なくなっているため、基本的には見れません。ですが近くの博物館に精巧な模型が作られており、そちらを見ると明らかに大陸の感性であって、縄文・弥生とは全く異なることに驚きます

これら古墳を巡っていると、この玉名から山鹿にかけて広がった文化は、それ以前の縄文や弥生の文化とは異なる特徴を持っていたことは明らかで、その色彩や表現は縄文や弥生と大きく異なり、葬送儀礼や祖先への信仰のあり方も多様で、変化の大きさが見逃せません。また、昨日訪れた吉野ヶ里遺跡のように北方への信仰を示唆しているようにも感じられます。実際、丘陵地帯に複数築造された比較的大きな古墳群は、その配置をたどると北の方向を向いていることがわかります。

一帯は現在、過疎化の影響で荒廃した畑が広がっていますが、周囲を山々に囲まれたこの地域は見通しが非常によく、太陽の動きなどを観測するのに最も適した場所であったと考えられます。しかし同時に考えなければならないことは、有明湾を経由して進出してきたであろう新たな部族たちが、海ではなく、海のモチーフを抱えたまま陸に上がって生活を営んでいたことです。

実際、装飾古墳の絵には複数の舟が描かれており、彼らの文化が海を越えた世界と深くつながっていたことは明らかです。また、この地域は装飾古墳に限らず、幾つかの神社に出向いても不思議な感覚に陥ります。なぜか、ここは日本という枠を離れた異郷のようにも思えるのですが、非常に独特な全国でもあまり感じられない場所のエネルギーを持っていると感じます。

そしてこの地域最大の特徴は、装飾古墳以上に、ある葬送の痕跡が残ることにあります。時代は未だ明瞭ではありませんが、概ね大和で言えば古墳時代の王たちの争いがひと段落して朝廷に近い状態へと発展、仏教の影響が入る飛鳥時代に移り変わろうとする前後です。この時代、大和及び大和に服属した地域を除けば、そうした大和の流れとは大きく離れており、古い部族信仰を長く維持してきました。その最大の痕跡が横穴墓と呼ばれるものです。

横穴墓は、人目に付かない山の岩場に穴を掘り、そこに死者を埋蔵する葬送ですが、これらは南方系の古い習俗であり、菊池川流域でも盛んに行われていました。特に注意が要されるのは、これら葬送を行なった集団が、古墳などを造営したグループとはルーツを相似しながらも、後に分岐して独自の歴史を歩んだことです。そのため、この横穴墓も舟形石棺を多く用いており、「舟葬(しゅうそう)」と呼ばれています。

さらに入り口外壁などには色彩豊かな装飾が描かれており、今も僅かに染色の痕跡が残っています。この時代に全く異なる文化圏との接触、そして混淆を通じて日本的美意識が生まれた源泉にも思えます。

今ちょうど大分駅に移動してきたのですが、到着すると花火大会がやっており、花火が夜空に美しくあがっていました。夏の終わりを告げる8月末の花火大会ですが、果たして今年の悲惨だった夏は終わりを迎えるのでしょうか。予測によると、あと1, 2ヶ月は猛暑が続くと報道されていますが、それ以上に明日は二百十日であり、ここから本格的な台風シーズンが幕を開けます。年々、台風や豪雨の影響で立ち入ることのできない地域が増え始めていますが、今年もどこかがそのような影響受けるのかもしれません。