C:\SHITSURAE\> TYPE SJ181.TXT

SJ181.TXT2025-07-3116KB

なぜ醜い魚が神への供物だったのか?Why an Ugly Fish Became a Divine Offering

日本各地を巡っていると、場所ごとに全く異なる文化・習俗があるかと思えば、なぜこれほど離れている場所に同様の信仰があるのだろうかと思わなければいられないような文化・習俗に幾度も出会ってきました。日本を論じるということは、ある意味、自ら可能な限り日本中を移動して文化の多元性を心身に染み込ませる作業を生涯に渡って行い、知識ではなく実際の経験・感覚を信じて洞察していくほかないように思えます。

そんな中、私が非常に興味をひきつけられる奇妙とも言える民俗信仰があります。そしてこれは私に限らず、既に民俗学が生まれた頃から学者を魅了する不思議な信仰であり、多元的文化を考察する厄介さと興味深さを含有しています。その信仰で使用されるのが、オコゼという海の魚です。

オコゼはミノカサゴ科の魚の一種で棘のある醜い姿をしている魚です。海外で食べるか知りませんが、日本では高級魚の扱いで、中々頻繁に食べる機会はないものの、醜い姿とは異なり味は驚くほど美味です。しかし私は各地を巡っている時、この海の幸であるオコゼが、なぜか山の神に捧げる供物として非常に重宝されてきた歴史があったことを知ります。この習俗は、今では途絶えていますが、百年前までは各地で行われており、二十一世紀に入っても部分的に行われていた痕跡があります。

この海の幸・オコゼを山の神に捧げる奇妙な信仰に、民俗学的に最初に興味を持ったのが民俗学の創始・柳田國男であったことから考えても、このオコゼにまつわる信仰が民俗学の初期から調査対象として非常に学者を魅了していたことがわかります。実際、柳田は各地で多様な伝承を収集して次々と著作を発表しますが、1936年に『山の神とオコゼ(山の神とヲコゼ)』としてまとめた論稿を発表しています。そこでは柳田在命当時には日本各地に多く存在した狩人や木こり、鷹匠などが行っていた「オコゼを以て山の神を祀る」例が列挙されており 、東北から九州まで類似の風習が存在したことが示されています 。

どこか特定の地域で行われる風習ならまだしも、なぜこのような奇妙な風習が全国規模で存在したのでしょうか。まだ誰も知らない日本史における部族移動による文化伝播の痕跡を感じる最たる例と言えるかもしれません。つまり、オコゼの風習と信仰を洞察することによって、見えていない日本史の姿が示される可能性を秘めていると言えます。

そして柳田が『オコゼ信仰』に関心を寄せて調査を開始した背景には、紀伊半島の紀州に暮らしていた偉人・南方熊楠の影響があります。熊楠は和歌山県西牟婁郡で「生きたオコゼ」を山神に供えて願いを成就した伝承を紹介しており、山深い場所で木材を切り出したものの水が無くて流せなかった時、川下にある山中の神社に生きたオコゼと鳥居を奉納して祈ると、一夜にして増水して木材を流せたという奇瑞譚を報告しています。また熊楠は同論考で、江戸時代の屏風詞書に「山の神がオコゼ姫に恋焦がれ、カワウソを仲介に恋文を送り、ついに姫を娶ることになったものの、これを聞いたタコが怒って妨害した。それでも障害を乗り越え、遂にオコゼ姫は山の神の妻になった」という物語があることも紹介しています 。注目点は、この屏風絵で山の神が狼の姿で描かれていたと伝えていることです 。

あまり知られていませんが、かつて日本の山中には多くの固有種の狼(ニホンオオカミ)が存在していました。しかし、近代化の始まった明治以降、次々と狼の生息地である山が切り開かれていき、さらに伝染病、そして近代化のなかで自然信仰が薄れ、積極的な駆除が進んだことなどによって、明治38年の1905年以降に完全に絶滅しています。

つまり、熊楠がこの報告を行う時点では狼は絶滅しており、彼自身が目にする機会はなかったと思われますが、歴史を通じて狼が信仰されてきたことは事実です。そしてそれが、一部で山の神の姿として信仰されていた観点が、オコゼ信仰に関わっていると熊楠が指摘した点が重要となります。

オコゼが山の神への供物とされた理由について、民俗的にはこれまでオコゼが持つ醜さと異様さに着目した解釈がなされてきました。日本の民俗資料によれば、「山の神は自分よりも醜いものを好む」という言い伝えがあり、オコゼが入手できない地域では、陸産のキセルガイ(巻貝)やイタチ、マムシ、毛虫など形姿が気味の悪い生物を『山オコゼ』と称して山の神に供えることもあったと報告しています。この形姿に着目する姿勢が全て正しいとは思わないものの、部分的には事実でしょうし、またかつて日本に存在した狼の好物だったのかもしれません。

ただ、ここで興味深いことがあります。それは日本各地ではほぼ共通して、なぜか山の神は女神だと信じられてきたことです。私自身も各地で土地の老人などと対話を続けてきましたが、興味深いことに彼らは「山の神は女神だ」と口を揃えて言うものの、なぜかその女神の名前を語ることはありません。それは隠された神名というよりも、長い歴史の中で失われてしまい、その起源が何だったかが誰にも分からないのです。しかし、彼らは既に近代化の悪影響によって各地の文化・習俗が消滅した今でも、「山の神=女神」という信仰を今も有しています。そしてこの山の女神は姿が醜いと信じる信仰が全国規模で継承されています。

さらに人間と神が極めて近い関係にある日本人の信仰らしく、山の女神は嫉妬心を持っており、特に美しいものや女性に対して嫉妬すると信じられてきました。私が東北の山間部で山で狩猟を行う人に聞いた話だと、かつて山に男衆が入る猟期などの際には、女衆は里で化粧も髪も繕わず、オシャレも禁忌していたそうです。当然、女衆が山に入ることは禁じられたのですが、これは女衆が山に入ると「山の神=女神」が嫉妬し、狩猟などの恵みを受けることができず、さらに土砂災害などの自然災害を引き起こすと信じられていたからです。そのため、全国各地の山間に近い村落には、無数の「山の神=女神」にまつわる古伝承が残っており、女・子供(成人儀式を終えていない男子)が絶対に山に立ち入らないように言い伝えていました。

この観点でオコゼを見ると、嫉妬深い山の女神に対して、豊かな山の幸を獲得するために、醜い生き物を見せたり、与えたりすることで安心させて機嫌を取ろうとしたことが一つ考えられます 。その象徴がオコゼだったということですが、しかしこれだけが理由なら山に生息する生物でも良いはずです。ここに「海ー山」を繋ぐ古代日本の部族移動の歴史が隠れているように感じます。

次回は、この点を探りながら、さらにオコゼ自体が呪術的な道具として用いられてきたことについて触れていきます。さらに、なぜ日本語でオコゼの漢字は『虎魚(虎の魚)』なのか?狼は日本に存在しましたが、虎は日本には存在していません。ここに、どこか中国的な影響が見え隠れしているのです。

興味深いことに、オコゼという一匹の魚から、壮大な日本の民俗史が見えてくるのです。

なぜ醜い魚が神への供物だったのか?

オコゼを巡る山神信仰の調査