脱藩という日本変動のキーワードShifting Loyalties in Japan's Dappan Revolution
日本で大きな動乱が起きる可能性は年々高まっていますが、歴史は繰り返すことを考慮すれば、次の社会変動でどのような動きが生じるかを大きく推測することができます。そこで今回は、今後起きるであろう社会変動を見越して、旧体制から新体制へと一変した江戸時代末期前後の動きを参照します。日本変動のキーとなる用語は『脱藩』です。この現代的意義を含めて見ることによって、既に始まっている変革の合図を見極めることができます。おそらく20年後、この萌芽が日本を大きく変えるでしょう。
江戸時代は江戸(現・東京)に徳川家の幕府がありましたが、強固な中央集権構造とは言い難く、むしろ各地に分散されていた藩が力を持ち、幕府を支える体制が維持されてきました。何度かShitsuraeで見てきたように、江戸時代の体制哲学として採用された朱子学の日本的変様によって、侍は藩主への絶対忠誠の観点から基本的には生涯に渡って藩に仕える以外の選択肢を持ちませんでした。
江戸時代を通じて、幕府は侍が所属する藩を無断で離れる「脱藩」を死罪に相当する重罪としていたとされますが、江戸時代後半に向かうにつれて旧体制の依存を脱して自らで新時代を作ろうとする気概が若者の間で高まっていきます。この脱藩の動きが結果的に幕府を瓦解した1868年の明治維新へと結びついたのですが、この強固な旧体制の瓦解と、それに伴う新たな理想を有した若者による新時代樹立の動きは、未来の日本にも十分に考えられるファクターとなるでしょう。
重罪であった脱藩にもかかわらず、幕末にはこの禁止を犯してでも己の志を貫こうとする若者たちが相次ぎ、従来の社会秩序の枠を飛び越えて活動します。この時に彼らが信条に据えていたのは、『藩よりも大義を選ぶこと』でした。幕末に社会が動揺する中で、幕府や藩を治める大名に仕えるだけでは新たな国難に立ち向かえないと感じた下級武士たちは、徐々に脱藩浪士となって各地を奔走します。注目点としては、これらの運動の主軸が下級武士によって行われたということです。
当時の主要な傾向として、長州藩(現・山口県)を筆頭に反幕府勢力が台頭し、多くの反体制思想を有する侍が京阪地域に流入したことから、幕府は彼らを「浪士」や「浮浪人」と呼んで警戒を強めていきます 。しかし既に事実上の統治不全に陥っていた幕府では、これらに対処できる現実的施策を持ち合わせておらず、旧態依存した体制にしがみつくことしかできない上級武士には為す術がありませんでした。そして脱藩を行なった若き侍たちは、各地を動き回りながら独自の分散型ネットワークを築き上げ、体制の監視を掻い潜って躍動を始めます。そしてこのネットワークは特定のイデオロギーを浸透する原動力ともなり、対立しがちだった藩同士を結び付ける重要な役割を果たします。
というのも、彼らはあくまでも下級武士であり、いくら数を募っても強大な幕府に対抗することはできません。そこで一部の脱藩者は江戸から遠く離れた地理的側面と、反幕府的イデオロギーを有する強い藩を同盟させることによって、一気に幕府を転覆することを考えたのです。その中心的人物が、坂本龍馬(1836-1867)です。
幕末の脱藩者の中でも、象徴的な存在として今も日本人に人気のある坂本龍馬は、土佐藩(現・高知県)の下級武士でしたが、1862年に土佐を脱藩します。これは直前に彼が長州藩の久坂玄瑞(1840-1864)と出会い、久坂の提唱するある理念に惹かれたからです。それを『草莽崛起(そうもうくっき)』と言うのですが、これは『諸侯も公家も頼りにならない。草の根の志を持った人々が結集すれば天下を動かせる』という理念です。同世代の久坂の思想に大きく感化された龍馬は、藩に依存する反幕府運動に限界を感じて、未来の日本に対する志を同じくする者同士の連帯を求めて脱藩に踏み切ります。
脱藩後の龍馬は、薩摩藩の西郷隆盛(1828-1877)や長州藩の木戸孝允(1833-1877)ら各藩の有志と連絡を取り合い、後に薩長同盟の斡旋や、新政府樹立の構想など精力的に活動します。現在でも、「藩と藩の間を縦横無尽に飛び回り、明治維新を成し遂げたスーパーヒーロー」と評される龍馬ですが、まさに自らの直感と未来のビジョンによって新時代の扉を開いた人物と言えます。ただし彼は激動の明治維新が成功する直前の1867年12月に京都で暗殺されてしまったため、未来の日本を目にすることはありませんでした。
他にも多くの明治維新の英雄の一部が脱藩者であったことは知られていますが、実際にどの程度の規模の脱藩者が存在したのかは不明です。また近年では、既に江戸時代後半に脱藩は常態化していたのではないかという研究も示されており、中々実態が掴みづらいことも事実です。
有名な土佐藩出身の坂本龍馬や盟友・中岡慎太郎(1838-1867)は、土佐を離れた浪士という立場を活かして薩摩・長州の仲介に奔走し、薩長同盟(1866年)の成立に寄与した功績が語られますが、彼らは言うならば『無所属の侍』です。江戸時代の侍は如何に優れた未来の理念を持っていても、朱子学的教育によって幕府や藩への絶対忠誠を破棄することはできなかったため、その理念のために生きることを諦めるしかありませんでした。なぜならば、この忠誠を破ることは侍の理想的姿を穢すと捉えられたからです。一方で、この理念は高い地位にある侍ならまだしも、生活に困窮し始めていた下級の侍にとっては、瓦解すべきイデオロギーの権化でした。
そこで彼らは所属することを放棄して、一気に無所属の立場から自由自在に暗躍を始めたのですが、これは別の見方をすれば強固な社会体制から離脱することを意味しており、その社会体制に結びつく『掟』から解放されることを意味します。この独自の立場に身を投じる場合、必要となるのは絶対に揺らがない強固な未来の日本に対する信念だけとなります。この信念を最後まで持ち抜くことができるか、本当の敵は幕府でも藩でもなく、常に自分自身にあったと私は捉えています。ゆえにこの一点を貫き通した当時の脱藩者を私は高く評価しますが、それが全体的な傾向でなかったことは自明です。実際、新体制の主軸となった長州藩の仕組みは、むしろ脱藩者の動きを用いて徳川家の権威の座に入れ替わっただけに見える側面も多々あり、現実的にどの程度『新体制』と呼び得るかについては問いが残ります。
明治維新後に成立した統治の仕組みが長く権威を保ち続けてきたため、明治維新は美化されています。そのため本当の実態は誰にも分からないのですが、今後幕末と同様のことが起きるとすれば、次に瓦解するのはその仕組みです。では一体、かつての脱藩に相当する存在を、現代日本でどのように捉えれば良いのでしょうか?
一つ目のキーワードは『無所属』で移動可能な日本人です。ただ当時と状況が大きく異なる点も無数にあり、特に世界初の超高齢化社会に突入している日本の現状では、高齢者層が圧倒的マジョリティを占めていることから、どうしても保守的になって新たな理念を受容しない社会的強固さが堅持されています。これは世代交代が進む米国と大きく異なる点であり、かつ日本は社会変動が生じずらい環境であるため、今後20年程度は待ちながら準備する状況が続きます。
もう一つのキーワードは『未来の日本・日本人への理念』です。いくら無所属で移動可能であっても、ただ国外移住するだけでは無意味です。国外へ出ることそれ自体が力になるのではなく、日本を深く知り、心から日本・日本人の未来を思う人々が登場しない限り、社会を変動する力にはなりません。現代版の脱藩者として働くのは、日本の文脈を深く理解し、未来の理念とビジョンを携えた人々です。
すると必然的に数は絞られてくるのですが、かつての時代も最初は数少ない人々から始まったため、悲観する必要はありません。特に日本の社会変動は都市部の巨大地震が起きない限り、先延ばしになることから少なくとも20年は想定しなければなりません。つまり、2045年前後に次の時代を決める変動が起きるでしょうが、その頃私は50代中盤であるため、その辺りも考慮しながら日々可能性を探っているのが現在です。
そこで現在、このすべての要素を満たし、未来の日本・日本人に対する理念を強く持つ僅かな人々とだけ関わっていますが、彼らはかつての幕府に相当する堅牢な日本社会に属していない、あるいは部分的に属しながら動きまわっているため、社会的圧力を被らずに済んでいます。そのため今の日本人は彼らの存在を知りませんが、私は後に大きな動きを創出する原動力だと考えており、私の日本に関する知見などを全て開示して、時に旅を共にしながら信念を共有しているのが現時点です。
そして現体制を刷新するためには、戦後日本の社会構造に根を張った三つの仕組みを見つめ直すことは避けられません。それはヤクザ、新興宗教、そして在日米軍をめぐる安全保障の枠組みです。この複雑に絡み合う関係については別途詳述しますが、既にヤクザと新興宗教は大きく揺らいでいることから、最後に残るのは安全保障の枠組みとなります。
一体、20年後の2045年までに、日本は自らの手で国の安全のあり方を組み直せるのか?それこそが次の日本を決めるファクターとなり、未来の世代に大きな影響を与えるのです。