地震大国日本と首都直下地震の歴史Tokyo's Earthquake Past Warns of a Violent Future
地震大国として知られる日本には、地震を発生する活断層が2000以上もあると言われており、歴史的にも大きな社会動乱は地震、火山噴火を契機として起きている事実があります。中でも大都市圏で今後起きることが予測されている巨大地震は、東京など首都圏で発生する『首都直下地震』と、愛知・大阪など西日本で発生する『南海トラフ巨大地震』があります。首都圏直下地震はマグニチュード7程度で今後30年以内の発生確率は70%、マグニチュード8~9クラスの南海トラフ巨大地震は、今年1月に試算が見直されて30年以内の発生確率は80%に引き上げられました。こちらは大阪、京都、奈良など日本の主要観光都市に大規模な被害を生むことが想定されています。
地震などの自然災害は日本に生きる上では必然の生活環境であるため、日本では地震への備えが日常的に行われていますが、旅行者もこのリスクを理解して日本を訪れる必要が高まっています。そこで今回から二度に分けて、大規模な被害が想定される首都直下地震と南海トラフ巨大地震のそれぞれの歴史を記録を遡れる限り読み解き、今後の日本旅行への一つの参考として誰もが頭に入れておくべきことを書いていきます。まずは首都圏の地震から始めましょう。
<<関東圏における首都圏直下型地震の歴史的事例>>
古代から中世にかけて地震の最古の記録は818年7月の『弘仁地震』まで遡ることができます。これは現在の群馬・埼玉県境付近で発生したと推定される大地震で、規模はM7.5程度と推定されています 。古代の史料によれば、山崩れなどが発生し、多くの家屋や寺社が倒壊、多数の死者が出たと伝えられています 。当時の都は京都にあったことから関東地方の記録は僅かですが、これほどの地震が記録されていることは注目に値します。
次に878年11月に起きた『相模・武蔵地震』です。こちらは南関東一帯で発生したとされるM7.4程度の地震であり、震源地は不明ですが、相模国(現在の神奈川)や武蔵国(現在の東京・埼玉)に大きな揺れをもたらし、多数の死者が出たと伝わります 。一部史料には津波の発生も示唆されていますが、詳細は不明です。この時代は京都では貴族政権期が最盛期を迎える頃でしたので、中央から遠い関東の地震被害の詳細な記録は少ないものの、後世の研究によりその規模が推定されています。
そして1293年5月に起きた『永仁鎌倉地震』です。これは政治の中枢地が京都から神奈川に移り、鎌倉幕府の本拠地であった鎌倉を直撃した大地震で、死者2万3千余りとの記録があります 。規模はM7強と推定され、震源は相模湾内のプレート境界付近とも考えらています 。鎌倉市内では多数の寺社が倒壊・炎上し、大規模な土砂崩れも各所で発生しました 。この混乱に乗じて幕府内で軍事クーデターが起きたとも言われており、歴史的背景として鎌倉幕府の統治体制に動揺を与えた点が指摘されています。鎌倉時代の関東は武家政権の中心地であり、この地震は当時の社会に大きな衝撃を与えました。
その他にも関東では1257年の『正嘉地震』(M7) や、1433年の『永享地震』(M7以上) などが記録されています。これらも関東直下型の内陸地震と考えられ、一部は津波の発生も伝えられていることから、今後起きると予測されている首都直下地震の参考となっています。中世の史料は断片的ですが、総じて関東地方では数百年おきに大きな地震が発生し、社会に影響を及ぼしてきたことがわかります。
ここから江戸時代に入ると記録が比較的安定します。まずは1703年12月31日に『元禄関東地震』が発生。これは江戸時代前期に関東地方南部を襲った巨大地震ですが、相模湾のプレート境界で発生し、規模はM8.1〜8.4と推定されています 。真冬の深夜の関東一帯が大きく揺れ、江戸(現在の東京)でも震度6強相当の激しい揺れに見舞われて多数の建物が倒壊しています 。さらに大地震後に発生した大津波が房総半島(千葉県)から伊豆半島沿岸に押し寄せ、沿岸部に壊滅的被害を与えました。死者は1万人以上にのぼり、特に房総での死者6,534人は全体の6割以上を占めています 。津波による家屋流失も膨大で、房総では5千棟以上が流失しました 。この地震に江戸幕府は被害対応に当たりつつ、地域の大名に復興を命じるなど、日本の初期的な災害対応を本格的に行い、今日の地震対策の基礎を形成しました。
また当時は、地震発生の直前に富士山噴火(1707年)が起こったこともあり、人々の間で天地異変への不安が高まり、混迷の不安時代でした 。元禄地震から約220年後に後述する『関東大震災』が発生していることから、この『相模トラフ巨大地震』は数百年スパンで繰り返す可能性が指摘されています。実際、1703年の元禄地震と1923年の関東大震災は約220年の間隔で発生しており、次の発生は2140年代になると予想されています。
そして1855年11月11日の『安政江戸地震』です。これは江戸時代も後期に差し掛かった頃に起きた地震で、社会的には近代の幕開けとなる1853年の黒船来航から数年後に江戸を襲った直下型地震です。震源地は東京湾北部直下と推定されており、規模はM6.9〜7.1程度です 。江戸の町は夜10時頃の激しい揺れによって大量の家屋が倒壊し、各所で火災が同時多発しました 。特に木造家屋が密集する地域で被害が拡大しており、江戸市内だけで死者は約1万人前後に達したとされています 。建物被害は全体の約8割におよび、深川(現在の東京都江東区)などの地域に壊滅的な打撃をもたらしました 。この地震は前年1854年に起きた『安政東海・南海地震』(次の記事で記載)に続いて発生したため、幕府や庶民に大きな恐怖を与えました。
この頃、江戸では地震後に『ナマズが地震を起こす』という俗信に基づいた『鯰絵(災害風刺画)』が大流行し、市民の不安や怒りを表現するとともに、売上金は被災者救済の募金にも用いられました。社会的には、開国直後の動乱期で災害対応に追われた幕府の権威失墜にもつながったとされます。
次に近代に入ってから起きた1894年6月20日の『明治東京地震』です。 明治時代に東京を直撃したマグニチュード7.0の直下型地震であり、震源地は東京湾北部・荒川河口付近の深さ約40kmと推定され、プレート内部で発生した地震でした 。東京と横浜を中心に強い揺れが発生し、各地で大きな被害が及びました 。死者は東京で24人、横浜で4人など合計31人、負傷者157人、全壊・半壊建物は130棟(東京90棟、神奈川40棟)にのぼりましたが、以前と比較すると大きな被害を免れています 。この地震は新たに政権を握った明治政府にとって、近代都市となった東京で起きたことから、その後の耐震建築への関心を高めるきっかけとなりました。近代以降、首都圏直下型の中規模地震は数十年おきに発生しており、その平均発生間隔は約24年との分析もあります。例えば、1894年の明治東京地震、1895年茨城南部(M7.2)、1921年茨城南部(M6.6)、1922年浦賀水道(M6.8)などの関係性が指摘されています。
そして最も大規模な被害を生んだのが、今から百年ほど前に発生した1923年9月1日の『関東大震災』です。これは首都圏で史上最大級の被害をもたらしたマグニチュード7.9の巨大地震です 。震源は相模湾北西部のプレート境界で発生し、江戸時代の元禄地震以来、220年ぶりの同規模地震となりました 。発生時刻が正午過ぎで昼食の炊き出しの火を使っていた家庭が多かったこと、ちょうど台風接近による強風に煽られたことから、地震直後に東京市内全域で大火災が発生し、こちらの被害が甚大でした。東京では家屋倒壊に加えて火災が延焼し、最終的な死者・行方不明者は日本の災害史上最悪規模の約10万5千人にも達し 、そのうち約9万2千人が火災による犠牲、約1万3千人が建物倒壊など直接の揺れによる犠牲と推計されています 。また房総半島から伊豆・相模湾岸にかけて津波も発生しており、神奈川県三浦半島や伊豆大島で数百人規模の津波犠牲者が出ました 。この首都圏を襲った社会的動乱がトリガーとなり、後に国民の不満を発散させるために1930年代の満州事変などに結びついた可能性も指摘されています。
ただ関東大震災を契機に、日本の防災対策が大きく転換したことは事実です。震災後の復興計画では帝都復興院が設置され、耐火建築促進や都市計画の見直しなどが行われました。また1924年には市街地建築物法が改正され、日本初の耐震基準が制定されるなど、法制度面でも画期的な変化が生じています 。関東大震災以降に首都圏で巨大地震は発生していませんが、現在の政府の地震調査委員会では、今後30年以内の発生確率を70%程度と設定していることから 、誰もが歴史から学び、備える必要性があります。
ここで参照した歴史的な首都圏直下型地震と呼べる地震には、大きく分けて「プレート境界型の巨大地震(M8クラス)」と、「内陸直下型の地震(M7クラス前後)」の二種類があることが見えてきます 。前者の代表が相模トラフ巨大地震(元禄地震・関東大震災など)で、その再来周期はおよそ200~300年程度と考えられています。実際、1703年から1923年まで約220年の間隔で発生しており、今後も数百年スパンで繰り返す可能性があります。一方、後者の直下型地震(活断層型やスラブ内地震)は規模こそM7前後と小さいものの、震源が浅く東京などの都市直下で発生するため被害が大きくなりやすい特徴があり、火災との併発が甚大な被害を生む可能性が高いです 。歴史的に見ると、江戸時代後半から明治・大正にかけて、約数十年おきに首都圏直下で中規模地震が発生する活発期が見られました(例:1855年→1894年→1923年)。このように不規則ながらも地震は繰り返し発生していることから、東京など首都圏では常に直下型地震への備えが重要と認識されています。
つまり、東京など関東を旅行で訪れる際には、大体マグニチュード7規模の地震は常に想定しておく必要があります。直近で言えば2011年の東日本大震災の時に私は東京のオフィス街に居ましたが、その時は東京都内で震度5強でした。オフィス街の噴水から大量の水が溢れ、無数のビルが揺れて人々が怯える姿を今でも覚えていますが、想定されている東京都内でのマグニチュード7クラスの地震は現在生きている人々は経験したことがないため、相当な被害が想定されます。
このように列挙したに過ぎませんが、しっかりと日本を訪れる際には地震への心構えを立てておき、常に準備をしておかなければなりません。次の記事では西日本で発生する巨大地震について同じように歴史的観点から見ていきます。