公開の新時代:相互監視社会の行方The New Era of Public Disclosure: The Fate of a Mutual Surveillance Society
最近、日本の社会統制において、ある方法が横行し始めています。それが「公表」です。
この社会的傾向が高まったのは、パンデミックの頃です。当時、日本政府の基本姿勢は、国民への法的強制力を示す以上に、「お願い」する方式を取りました。これは他国から見れば奇妙でしょうが、すでに管理社会を超えた監視社会を、国家統制ではなく、国民自身の相互監視によって実現した日本社会では、かなり効果的でした。
この経験に味をしめた政府や自治体は、「発令しない非常事態宣言」として、ポストパンデミックの日本社会を作っていきます。直近であれば、3月から福島市では、ゴミ出しのルールを守らない個人名を公表すると言う発表を行いましたが、2月に国会提出を目指す「AI法」では、悪質な業者を公表すると言う報道もありました。
公表すると言う処置は、一見すると馬鹿げているように見えるかもしれませんが、個人の存在しない、つまり事実上プライバシーのない日本社会では、効果絶大です。
この歴史的な系譜にあるのが、村落共同体の村八分(*)です。島国で閉鎖された村落社会では、何か問題があると、村落共同体から弾き出されてしまい、事実上、生活することが不可能な状況に追い込まれてきました。
*(村八分): 村八分とは日本の伝統的なコミュニティ内での制裁方法で、冠婚葬祭などの残り二分だけはかろうじて助けるが、普段のやり取りを絶つ習慣を指す。
しかも、近現代の村八分は国民統制に限らず、居住地域の市民統制、所属会社などでも並行して行われます。つまり大きく見れば、現代日本では、人々は国民次元と市民次元において、社会化された共同体に全員が属しており、逃げ場がありません。
日本社会では、一度でも失敗すると終わりで、次のチャンスはありません。ゆえに、誰も挑戦できなくなり、自分の主張を許されない、顔の消えた没個人の状態へと追い込まれました。誰もが法律以上に見えない規範に従い、しかもその従属を他者に対しても求めます。
そうした出来事は、パンデミック以前までは、著名人や有力企業に限られて起きてきたことですが、いよいよ日本の社会統制は、個人に介入します。数年後、個人名の公表が一般化した社会は、確実に実現されるでしょう。これにより、人々は今まで以上に失敗を恐れて何もできなくなり、これまで以上に日本は不能化することが予測されます。
つまり、日本で定住することが極端なリスクになっているのが現状です。この壁を突破する方法は、国外に脱出する以外にはありません。一方、移動できない人々は、日々、この相互監視の強度を高めていくしかありません。すると、現在の社会的緊張を超えた未知の状態に突入し、想像もできない事件が次々と勃発する可能性があります。
まだ、この傾向は初期段階に過ぎません。ですが、年々そのリスクが高まっていることを強く感じます。この社会的傾向は、今後も変わる事は無いのでしょうか。
既に日本が自浄作用を働かせて、この傾向を自ら変える事は不可能です。ですが、1つだけ残された方法があります。それが外圧です。この外圧と言うものは、諸外国の政治的、あるいは経済的圧力も含まれますが、より広義に見れば、今後現実的だと思われるのは、大規模な自然災害です。
歴史的なサイクルを鑑みると、東京を中心とした関東での首都直下型地震、関西から東海を中心とした南海トラフの巨大地震が、近い未来に起きる可能性は極めて高いと考えられています。
かつて、第二次世界大戦の敗戦における都市部の焼け野原は、事実上、戦前から戦時の社会を一掃しました。現代日本の再起動に、自然災害のような外からの力しか見当たらない。この状況が、問題の深さを物語っています。