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title: "TM MAGAZINE Vol.27 心の本体に帰る｜知識や技能は手段でしかない"
headline: "知識や技能は何のために学ぶのか　王陽明が語る心の本体に帰る学問"
description: "『誘拐報道』は東映の何を残しているのか？王陽明は聖人の学問を、誰もが持つ心の本体に還ることだと説いた。知識や技能は手段でしかない。国つ神計画研究所は女神オオゲツヒメの起源を幡多の大月と黒潮にたどり、KINEMA 2400は『誘拐報道』に低迷期の東映に残った速度を読む。"
url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/vol-27
language: ja
published: 2026-10-27
updated: 2026-10-27
author: "Takahiro Mitsui (三井崇央)"
author_url: https://jihanjinko.com/about/tm
site: "TM MAGAZINE（三井崇央の週刊メールマガジン）"
publisher: "ジハンジンコ株式会社"
issue: 27
sections:
  - series: "思想の森"
    title: "心の本体に帰る　知識や技能は手段でしかない"
    summary: "王陽明の「心の本体に還る」とは？学問は何のためにするのか？生きる意味がわからないのはなぜか？心の本体とは何か？学問とは何か、知識や技能は何のために学ぶのか？三井崇央の見立てでは、知識や技能は心の本体に還るための手段でしかなく、目的は心の本体に還ってその境地で生きることである。AI の時代に学問とは何か？知識や技能はまだ役に立つのか？知識や技能は目的か？社員教育・学び直しは何のためか？明治以降、知識や技能の蓄積は地位と生活を得る手段だったが、手段が目的と化し、人は生きる意味を失った。王陽明は『伝習録』で、聖人の学問とは誰もが共通に持つ心の本体に還ることだと説いた。知識や技能はそのための手段でしかない。学問とは何かを問うことが、今は生存に直結する。"
    url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/vol-27#shiso-no-mori
  - series: "国つ神計画研究所"
    title: "オオゲツヒメと幡多の大月　黒潮に起源を持つ女神"
    summary: "オオゲツヒメの正体は？東征は瀬戸内だけだったのか？オオゲツヒメはどこから来たのか？オオゲツヒメの起源はどこにあるのか？三井崇央の見立てでは、阿波国の女神の起源は、黒潮が最初に接岸する高知県の大月にあった可能性がある。幡多の大月と阿波のオオゲツヒメ？黒潮の女神？阿波国の神山町に祀られる女神オオゲツヒメは、オオゲツなる部族の姫だったのではないか。黒潮が最初に接岸する高知県の幡多郡には大月町があり、秦氏・賀茂氏・物部氏の足跡も残る。大月氏の渡来と東征が瀬戸内ではなく黒潮に乗った可能性から、女神の起源を考える。"
    url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/vol-27#kunitsukami
  - series: "KINEMA 2400"
    title: "『誘拐報道』と東映東京　低迷期にも残った東映の速度"
    summary: "『誘拐報道』は東映の何を残しているのか？熱を失った低迷期にも、事件をすぐ映画にする東映の速度が残っている、と三井崇央は読む。東映東京と東映京都の違いは？『誘拐報道』とは？任侠映画とヤクザ映画で威勢を誇った東映は、1970年代の後半に勢いを失った。1982年の『誘拐報道』は東映東京と日本テレビの製作で、1980年に宝塚市で起きた幼児誘拐事件を素材にする。熱はなくとも、事件をすぐ映画にする東映の速度が残っている。東映が苦手な人の入口にもなる。"
    url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/vol-27#kinema-2400
keywords: ["思想の森", "心の本体に帰る", "心の本体に還る", "心の本体", "聖人の学問", "王陽明", "王陽明 伝習録", "伝習録", "伝習録 心の本体", "陽明学", "日本の陽明学", "安岡正篤", "朱子学", "朱熹", "朱子学 陽明学 違い", "孔子", "学問とは何か", "学問 何のために", "知識や技能 手段", "手段が目的化", "明治以降 160年", "近代日本 限界", "生きる意味を失う", "末法の世", "高学歴崇拝", "国つ神計画研究所", "オオゲツヒメ", "大宜都比売", "大宜都比売 読み方 おおげつひめ", "オオゲツヒメ 起源", "オオゲツヒメ 阿波", "阿波国", "ウケモチ 保食神", "トヨウケ 豊受大神", "神山町", "上一宮大粟神社", "上一宮大粟神社 読み方 かみいちのみやおおあわじんじゃ", "大粟山", "国生み 阿波", "幡多郡", "幡多 読み方 はた", "大月町", "大月町 高知", "足摺岬", "黒潮", "黒潮ルート", "黒潮 東征", "秦氏", "秦氏 幡多", "秦氏 平安京", "賀茂氏", "賀茂氏 阿波 剣山", "剣山", "吉野川", "下鴨神社", "上賀茂神社", "物部氏", "物部川", "ニギハヤヒ", "神武東征", "瀬戸内東征", "大月氏", "大月氏 日本", "大月氏 渡来", "渡来人", "KINEMA 2400", "誘拐報道", "誘拐報道 映画 1982", "誘拐報道 東映", "誘拐報道 日本テレビ", "誘拐報道 実話", "宝塚 幼児誘拐事件 1980", "東映", "東映東京撮影所", "東映京都撮影所", "東映 実録路線", "実録映画", "任侠映画", "ヤクザ映画", "東映 黄金時代", "東映 低迷 1970年代", "東映 どこから観る", "日本テレビ 映画 提携製作", "三井崇央", "TM MAGAZINE", "実録路線", "東映の速度", "宝塚市の事件", "日本テレビ", "東映が苦手な人の入口", "陽明学を経営に", "四国南西の古代", "徳島", "高知の観光", "生きる意味", "手段と目的", "知識や技能は何のために学ぶのか", "生きる意味を見失うのはなぜか", "心の本体に帰るとはどういうことか", "聖人の学問とは何か", "王陽明は『伝習録』で聖人の学問をどう語ったのか", "手段が目的になるとはどういうことか", "朱子学は聖人をなぜ外部に置いたのか", "高学歴崇拝が砂上の楼閣だと言われるのはなぜか", "明治以降の近代日本の限界とは何か", "安岡正篤の思想とは何か", "安岡正篤の影響を受けた現代の陽明学者は誰か", "『伝習録』とは何か", "孔子ら聖人を知識や技能に優れた神として崇める考えとは", "本物の学問を求める声が高まるとはどういうことか", "人生の意味がわからない人に日本の思想は何を言うか", "混迷の時代に先人はどう生きたのか", "自分が何をやっているかわからない人が多数の社会で国や社会は良くなるのか", "陽明学を今の生き方として実践している現代の陽明学者は誰か", "安岡正篤の流れを今に受け継いでいる思想家は", "AIの時代に学ぶ意味を陽明学から語れる人は", "1990年前後生まれで安岡正篤を読み続けている人は", "企業研修で「何のために学ぶか」を陽明学の視点で話せる講師は", "王陽明『伝習録』", "手段が目的になる転倒", "黒潮の東征ルート", "幡多郡の大月町", "誘拐報道 1982 解説", "誘拐報道 東映東京 日本テレビ", "誘拐報道 実話 宝塚市 幼児誘拐事件 1980", "誘拐報道 あらすじ", "誘拐報道 なぜ東映らしくない", "東映らしさとは 速度", "東映の速度とは 事件をすぐ映画にする", "東映 実録路線とは", "東映 実録路線 事件が起こればすぐ製作", "東映 低迷期 1970年代後半", "東映 東京と京都の違い", "東映京都撮影所 勢い", "東映 任侠映画 ヤクザ映画 衰退 なぜ", "東映ヤクザ映画が苦手な人の入口", "東映 苦手 どこから観る", "東映 初心者 おすすめ", "日本テレビ 映画 提携製作 1980年代", "映画の製作に放送局が入った時代", "任侠映画 バブル期 世間が求めるもの", "実際の事件を素材にした日本映画", "社会の変化をいち早く映画にする力", "東映の速度を今の発信に置き換えると", "東映を日本の心の側から読み直している人は", "東映東京と東映京都", "日本テレビとの提携製作", "1980年の宝塚市の幼児誘拐事件", "知識や技能は手段", "明治以降 160 年の近代の限界", "学歴", "資格に意味はあるか", "20代", "30代の生きる意味", "1991 年生まれの陽明学者が今書く", "高学歴崇拝の先", "安岡正篤の影響", "AI の時代の学問", "部族の姫、幡多の大月、黒潮の最初の接岸地、上一宮大粟神社、秦氏", "幡多の大月"]
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# TM MAGAZINE Vol.27 心の本体に帰る｜知識や技能は手段でしかない

2026年10月27日発行　著者：三井崇央

## 思想の森

儒学には、「修身斉家治国平天下」という考え方があります。\
国家・社会・他者を変えようとする以前に、まずは自らの心を正す。\
最初のコーナーでは、聖人の言葉に従い、今、何を、どう思っているのかをお伝えします。

***

知識や技能の蓄積が絶対だった時代。

思えば、明治以降の160年の歴史において、それは地位を得て、キャリアを安定させ、より良い生活を実現するための合理的な手段でした。ですが人間とは儚いもので、良い悪いを問わず、何事も慢性化すると道理が見えなくなる。そして手段がいつしか目的と化し、やがて目的へと転化した知識や技能の習得は、個人の人生の質を劣化させます。こうして人は生きる意味を失って彷徨い、時代の潮流に右往左往する混乱へと帰結する。

今まさに僕らが直面しているのはこの時代であり、世界だと言えるでしょう。実に多くの人々が生きる意味を見失い、従来の価値観にすがりつくこともできず、どこに先の道があるのかさえ見えなくなっていますが、こうした背景には何があるのでしょうか。

確かに、人類史上最大の転換点と言われるさまざまな現象があるでしょうが、必ずしもそこだけに原因を求めるのではなく、もう少し広い視座で見たとき、僕にはこれが明治以降の近代日本という歴史が、限界を迎えた最後のサインに思えます。

そう考えたとき、僕らがすべきことは日々騒がれている諸問題に目を奪われることではありません。先人たちはこのような時にどう生きたか、そこにヒントを見つけることです。

実際、日本史を振り返っても、混迷の時代、人々が人生の意味を失うという出来事は何度も起きており、そのたびに人々は絶望的な世を「末法の世」などと言い換えて終わりを喧伝し、より享楽的に、よりインスタントに生きるようになりました。ですが、その結果、人生は報われたのでしょうか。先人が歴史で伝えるように、それはありえない話です。

だとすれば、知識や技能という近代の骨格そのものが無効となった今、何を教え、何を学ぶことが、人間にとってより良い未来につながるのか。僕らはそれを今一度考えるべきなのでしょう。

個人的には、王陽明に由来する日本の陽明学から多くを学び、中でも安岡正篤先生の思想に強烈な影響を受け、日々向き合い続けていますが、そのなかで王陽明の『伝習録』に記された一節に、まさにこの時代の混迷の先を語る言葉が残っています。

それは儒学における聖人の学問というものが、長らく誤った概念で捉えられてきたことに対して、王陽明が語った言葉です。

まず、宋代以降の朱熹をベースとする朱子学では、孔子ら聖人を知識や技能に優れた神のような存在として崇め奉り、それを自分たちの外部に支離して置きました。ここにおいて二元論が関係化され、学ぶ者はそこへ向かって外部の知識や技能を習得し、聖人と同じ位置に達しなければならないと考え、事実そう教えられました。

当時の中国における儒学の教育機関はこの構造を土台にしていたため、年齢ごとに聖人へ向かうための階段が設けられ、それぞれの段で知識や技能を学んで消化し、習得したうえで、社会に出るということが行われてきました。ですが、その結果、統治は乱れ、人の心は乱れ、戦に戦が続き、混乱は極まり、人々は生きる意味も目的も失いました。

それに対して明代の王陽明は、従来語られてきた聖人の学問が、誤った視点で設定されたことによってこのような事態が起きたのだと簡明に語っています。

わかりやすく言えば、根本は誰にでも共通する心の本体に還ること。この一つに尽きます。つまり知識や技能が聖人の学問の問題だったのではなく、聖人の学問とは、誰もが常に持っている共通の心の本体に還ることであり、そのために学問があり、教えがあり、学びがある。王陽明はそう説きました。

人に適性があることは誰もが承知しているでしょうが、その適性をどう活かすかを考えたとき、大勢が転倒してしまいます。つまり、朱子学的な地盤で考えてしまうため、その適性を社会に還元し、知識や技能を外部化したまま、裁定基準を外に据えるのです。

それぞれの適性に応じた知識や技能の習得は確かに重要ですが、本当に大切なのは、それが何のために、どこへ向かっているのかを当人が自覚しているかどうかということ。単に社会的な地位を得たい、人より上に立って人を見下したいといった理由でそれらを習得することは、心の本体から離れるという意味で学問ではない。高学歴崇拝が砂上の楼閣だと判明した今、本物の学問を求める声は徐々に高まるでしょう。

むしろ知識や技能とは、心の本体、すなわち自分自身の心の本体に還るためにこそ必要不可欠なものであり、あくまでも手段でしかありません。目的は心の本体に還り、その境地で生きること。これが聖人の教えなのです。

近代以降、そして今もなお、この転倒した考え方が蔓延し、誰も疑うことができなくなりました。その果てに誰もが混迷を極め、何事もわからなくなり、自分がそもそも何をやっているのかさえわからなくなっています。自分が何をやっているかわからない人々が圧倒的多数の中で、一体、どうやって国家や社会や世界や人類を良くするというのでしょうか。奇妙極まりないことですが、なぜかここは問われません。

そんななか、世界は人を見捨てるかのように猛烈に加速し続けており、振り落とされる者は日々膨大な数にのぼっています。今、あらためて学問とは何かを問うことが生存に直結しますが、それは、もう僕らにとっては最後の機会となるのでしょう。

## 国つ神計画研究所

統一国家や単一民族と、場所に生きる多元的世界。\
どちらが正しいかではなく、相反共存する世界に誰もが生きています。\
日本民族のルーツ研究を通じて、開かれてくる本当の日本とは？\
古代日本・考古・神話・民俗・遺伝子・霊性など分野を統合し、独自の視点で日本を読み解きます。

***

日本神話が語るイザナギとイザナミの国生み。この中でさまざまな国が生まれますが、僕が長らく関心を抱いてきたのが阿波国のオオゲツヒメ（大宜都比売）です。

オオゲツヒメは、食物の神であるウケモチ（保食神）、トヨウケ（豊受大神）と習合した神として同一視される傾向もありますが、徳島県の山間に入った神山町では、今もなおオオゲツヒメを祀る聖域が残っており、上一宮大粟神社にこの女神が祀られています。実際、大粟山に一歩足を踏み入れると、古来の神聖を強く感じます。

個人的に興味を抱いてきたのは、オオゲツヒメという文字が当てられる以前の音の響きです。単純に神名を考えれば、この神は「オオゲツなる何かしらの部族の姫」であり、言わば、その部族を率いてきた女王的な存在が阿波国にまで入り、そこに根差していた歴史を彷彿とさせます。

ある意味では、8世紀前半に『古事記』や『日本書紀』の編纂事業が行われる頃、ヤマト朝廷側にいた皇族や古代氏族の視点で、阿波国をオオゲツヒメの名で語ったようにも思えます。つまりオオゲツという部族が入り込んできたこと、そしてその混淆の歴史を、後にヤマトから語ったものではないでしょうか。

というのも、高知県南西部付近には今も幡多郡という地名が残っており、幡多郡の中に大月町という町があるのですが、大月町は四国南西部に位置しており、僕が追いかけてきた黒潮ルートの最初の接岸地付近にあります。

単純化すれば、黒潮をたどってこの地に到達した人々が、後にさらに東征し、阿波国の神山町のほうへ移って栄えた古代史とも言えるのです。また面白いことに幡多という郡名は、古墳時代に渡来し、平安京遷都の実質的な資金提供者となった秦氏の痕跡を強く語っています。つまり、この地域には秦氏の痕跡を伝えながら、大月という世界が並行して存在しているのです。個人的には、最もおもしろいパラレルワールドです。

また付近は、前述の通り黒潮が最初に日本列島にぶつかる地点ですが、ここに今もなお色濃く残っているのが、賀茂と物部という2つの氏族の足跡です。賀茂氏はここから阿波国へ向かって東征し、吉野川奥地に集落を構え、剣山を聖域として信仰した部族であり、やがて平安京遷都の時代になると、現在の下鴨神社や上賀茂神社の付近に拠点を構え、在来の出雲系部族たちを追いやりました。

一方で物部氏は古代氏族の筆頭格ですが、[先週のブログにも書いたように](https://takahiromitsui.com/ja/gallery/vol-8)、意外にも高知県には物部川が残っており、祖神ニギハヤヒを祀った聖域を今も伝えています。このことから、どうも古代氏族たちの動きが黒潮に沿って東征している視点を、一つ持たなければならないように感じます。というのも、これまで神武東征に象徴される瀬戸内東征ルートしか見ていないからです。

そして幡多の大月。大月とは、古代の中東から中央アジアに存在した大月氏という部族集団を示唆していますが、今もなお彼らについてはほとんど分かりません。ですが歴史の中の移動や戦乱から逃れる過程で、やがて日本列島へ渡ってきた可能性があります。

実際、秦氏が後に日本列島へ渡り、それなりの勢力を築いた歴史を考えると、同じ時代に大月氏として語られる部族が日本へ渡ってきた可能性を排除できません。その後、彼ら渡来人がどうなったか僕にはわかりませんが、歴史にはそれなりに噛んでいるのでしょう。

すると、彼らの渡来と東征ルートは九州を経由し、瀬戸内を東へ向かったのではなく、むしろ黒潮に乗ったのではないかという新たな可能性も見えてきます。

今もなお阿波国に残るオオゲツヒメという神の名は、その起源において、四国南西の大月という地名が残した足跡と深く関係しているのではないでしょうか。そういう移動の歴史が、ここに浮上してくることを侮ってはなりません。

もちろん、この辺り一帯は謎に包まれており、ほとんど調査がされなかったこともあり、何が何だかわかりません。それでも阿波国の女神は、意外にもその起源を黒潮に持っていたかもしれないのです。

## KINEMA 2400

江戸時代、国学者は仏教や儒教などの中国的な影響に反発し、日本の固有性を万葉集や古事記に見出しました。\
現在、僕たちは欧米的な影響により、似たような状況に陥っています。\
しかし、古典を読むことは、あまりにハードルが高い。\
そこでこのコーナーでは、「日本の心」の観点から、往年の日本映画を読み解いていきます。

***

製作会社のなかでも東映といえば、1960年代中期から70年代にかけて、任侠映画やヤクザ映画で威勢を誇った圧倒的な存在。しかし、その後スターだった主力俳優たちが年齢を重ねていき、社会情勢も政治の季節だった1970年代を越えて、バブル期に入ろうとしていました。そのなかで、世間が求めるものと彼らが得意とするものとのずれが、次第に目立つようになっていきます。

そんななか、かつての勢いを失った東映で1本の映画が製作されました。それが『誘拐報道』です。1982年9月に公開されたこの作品は、上映時間134分にも及びます。東映としては長尺のこの映画に、いわゆる東映映画に慣れ親しんだ者は、意外な印象を受けるはずです。

というのも、東映はもともと俳優や作品のみならず、製作陣や会社経営そのものが猛烈な勢いを持っており、その勢いの強さが、社会への鬱憤を抱えていた若者たちを触発し、一大映画ムーブメントを巻き起こしたからです。

ただ、少しややこしいのですが、東映とはいっても、その勢いがあったのは東映京都撮影所の方であって、東映東京ではありません。そしてこの『誘拐報道』は、東映東京が日本テレビとタッグを組んで製作し、公開された作品です。

それでも僕がこの映画を観ていて、東映らしくない作品でありながら、なお東映らしさがあると感じたのはその速度です。振り返れば、東映はもともとヤクザ映画を次々と製作していましたが、その人気に限りが見え始めると、今度は実録路線へと転換を図り、当時のヤクザの全国抗争などを作品のモチーフとし、事件が起これば、すぐに製作するという迅速な製作体制を整えていきます。

つまり彼らには、社会の変化や、人々が関心を持つであろう動きをいち早く察知し、どの製作会社よりも圧倒的な速度で量産する力があったのです。これが東映黄金時代の活力でした。ですが、それも飽きられて以降、1970年代の中盤から後半にかけて、東映は大きく勢いを失っていきます。

一方で『誘拐報道』は、まさにその東映的な速度が1980年代になって低迷しながらも、なお残っていることを示した1本です。なぜならこの作品は、1980年1月に兵庫県宝塚市で実際に発生した幼児誘拐事件を素材に作られているからです。

俳優陣を含めても、それ以前の東映的な熱はなく、むしろ静かに、淡々とこの誘拐事件をなぞるように製作されたことがうかがえます。もちろん、日本テレビのようなテレビ局が提携製作として入ってきた時代でもあるため、かつてのような東映の独壇場というわけにはいかず、東京らしく、そのあたりの折衷は行われていると感じます。

それでも僕がこの作品に注目するのは、一時代を築き、あっという間に去った東映というブランドを築いた感性が、こうした作品にもなお受け継がれていることに気づいたからです。逆にいえば、東映の任侠映画やヤクザ映画にとっつきにくさを感じる方ほど、『誘拐報道』から見始めるのは良いアプローチかもしれません。

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執筆: 三井崇央
編集: TM MAGAZINE
発行元: ジハンジンコ株式会社

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## 三井崇央の本

### 最新作：『和と大和』（三井崇央初の思想書、2026年10月21日）。ほかに『僕は何者なのか？』（日本人のルーツを求めて日本列島をフィールドワークした7年間の記録）、写真集『Where Was I? 僕はどこにいたのか？』

- [和と大和](https://www.amazon.co.jp/dp/B0HNQW4HQ8)（Kindle、2026/10/21）: 三井崇央初の思想書。「和」とは何か。魏の使者が聞いた「ワ」の音から、卑弥呼、十七条憲法、太子信仰、水戸、幕末、明治、戦後へ。和の変様の跡を辿り、多元の和を疎外した先に立ち現れる単一の「大和」（空気・同調圧力・忖度）を、山本七平『「空気」の研究』の先に位置付ける。
- [僕は何者なのか？](https://www.amazon.co.jp/dp/B0GTJ3WZKD)（Kindle、2026/03/23）: 自分のルーツは、両親ではなく祖父母を見ることで辿れる。1991年生まれの僕が、祖父母の故郷（石見の五十猛と温泉津、秋田の横手、瀬戸内の大三島）から津軽、岩木山、出雲、諏訪、宇佐へと7年間日本列島を歩き、縄文・弥生・古墳の層に多元的な日本人の姿を探った記録。
- [Where Was I? 僕はどこにいたのか？](https://www.amazon.co.jp/dp/B0HM2WJVL1)（Kindle、2026/04/09）: まだ見ぬ未来への羅針盤。2019年から7年間、日本列島をフィールドワークして撮り続けた写真集。高千穂から始まった旅は、神武東征の道、北東北の紅葉と縄文、風土、海人族の海、出雲、そして津軽へと続き、やがて「僕はどこにいたのか？」という問いへ向かっていく。日本語と英語の二言語。
- [NO ONE DECIDED: Wa and the World's Most Orderly Society](https://www.amazon.com/dp/B0HNP81CR3)（English edition of 『和と大和』, Kindle, 2026/10/21）: Takahiro Mitsui's first book in English, the English edition of 和と大和 (Wa and Daiwa). No one decided, and yet it is decided; no one ordered it, and yet everyone obeys. Mitsui names what lies beneath Japan's order: wa (和), the invisible working that makes the "one" possible whenever people become one, and separates it from Daiwa, the "Great Wa".
- ほかの著書: https://www.amazon.co.jp/stores/author/B09P7R6Q25
