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title: "TM MAGAZINE Vol.26 AIはもう終わっている｜次の時代は無人化社会"
headline: "AIはもう終わっている　無人化社会、大三島と大山祇神社、推しの源流とサユリスト"
description: "「知能の代替」を成し遂げたAIはすでに終わり、次の時代は無人化社会として現れている。国つ神計画研究所は大三島の大山祇神社に山の神と海の神の不離を探り、KINEMA 2400は吉永小百合のサユリストと松竹三羽烏から日本映画の「推し」の源流を読む。"
url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/vol-26
language: ja
published: 2026-10-20
updated: 2026-10-20
author: "Takahiro Mitsui (三井崇央)"
author_url: https://jihanjinko.com/about/tm
site: "TM MAGAZINE（三井崇央の週刊メールマガジン）"
publisher: "ジハンジンコ株式会社"
issue: 26
sections:
  - series: "思想の森"
    title: "AIはもう終わっている　知能の代替の先に現れた無人化社会"
    summary: "スマートフォンが「ポケットにパソコン」で終わったように、AIも「知能の代替」を成し遂げた時点で終わっている。議論に判断力を奪われている間に、次の時代である無人化社会が姿を見せ始めた。個人は自分がやらなくてよい部分を言語化し、AIで代替・自動化していく。"
    url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/vol-26#shiso-no-mori
  - series: "国つ神計画研究所"
    title: "大三島の大山祇神社　山の神と海の神は不離だったのか"
    summary: "瀬戸内海の離島・大三島に、なぜ山の神オオヤマツミが祀られるのか。縄文海進以前の瀬戸内海は陸続きの大草原で、島々は山だった。『伊予国風土記』逸文の和多志の大神という名から、山の神と海の神は不離だったのではないかと考える。"
    url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/vol-26#kunitsukami
  - series: "KINEMA 2400"
    title: "サユリストと松竹三羽烏　日本映画に始まった推しの文化"
    summary: "吉永小百合を推す「サユリスト」から、日活三人娘、戦前の松竹三羽烏へ。3人を組にして売る作法は、日本映画の早くからの戦略だった。映画の入口は、自分の推しが出ている作品を1本ずつ観ていくことである。"
    url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/vol-26#kinema-2400
keywords: ["思想の森", "AIはもう終わっている", "AI 終わった", "知能の代替", "無人化社会", "自律型ロボット", "AI 暴走", "AIが人類を滅ぼす", "AI 議論 意味がない", "スマートフォン 革命 終わった", "初代iPhone 2008年", "日本 名目GDP 2027 インド 英国", "OpenAI 暴走 レビュー 50ペタバイト", "STUDIO 情報流出", "Amazon Go 撤退", "無人店舗", "AI 日常に実装", "AI 自動化 代替", "国つ神計画研究所", "大三島", "大三島 読み方 おおみしま", "大山祇神社", "大山祇神社 読み方 おおやまづみじんじゃ", "大山祇神 オオヤマツミ", "オオヤマツミ 山の神", "三島神社 総本社", "和多志の大神", "伊予国風土記 逸文", "ワタツミ 綿津見神", "山の神 海の神 不離", "縄文海進", "瀬戸内海 成り立ち", "瀬戸内海 大草原", "しまなみ海道", "瀬戸大橋", "明石海峡大橋", "海人族 海賊 瀬戸内", "平清盛 福原京 遷都", "福原京 瀬戸内航路", "三島鴨神社 高槻", "摂津国 御嶋", "伊予之二名島", "海原", "KINEMA 2400", "推し 日本映画", "推し 源流", "サユリスト", "サユリスト 読み方", "吉永小百合", "吉永小百合 日活", "日活三人娘", "日活三人娘 吉永小百合 松原智恵子 和泉雅子", "松竹三羽烏", "松竹三羽烏 佐分利信 佐野周二 上原謙", "新松竹三羽烏 佐田啓二 高橋貞二 大木実", "浜田光夫", "日活 ロマンポルノ", "五社協定", "松竹ヌーヴェル・ヴァーグ", "ブロマイド", "映画 どこから観る", "日本映画 入門 推し", "三井崇央", "TM MAGAZINE"]
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# TM MAGAZINE Vol.26 AIはもう終わっている｜次の時代は無人化社会

2026年10月20日発行　著者：三井崇央

## 思想の森

儒学には、「修身斉家治国平天下」という考え方があります。\
国家・社会・他者を変えようとする以前に、まずは自らの心を正す。\
最初のコーナーでは、聖人の言葉に従い、今、何を、どう思っているのかをお伝えします。

***

今週は、AIについて僕なりの見方をお伝えします。

唐突ですが、もうAIは終わっている。ここが僕の思索の立脚点です。ここで言う「終わっている」という意味を知るためには、過去のテクノロジーを振り返れば十分です。

たとえば、スマートフォン。スマートフォンの革命は、ポケットにパソコンを持ち運べるようになったことにあり、これを実現した時点で、スマートフォンそのものは終わっています。だからこそ長年、次の打つ手がなくなったスマートフォンはカメラに力を入れてきましたし、音声入力を著しく高めて仕事で使えるようにしたり、今はPC側で動かすAIのリモートコントロールのようになりつつあります。

AIも発想は同じですが、一点だけ注意しなければならないことがあります。初代iPhoneが日本で登場した2008年7月、当時僕は高校3年でした。先週、日本の名目GDPが2027年にインド、英国に抜かれて世界6位まで転落という報道がされましたが、2008年当時の日本は米国に次ぐ2位でした。つまり、まだ豊かだった。

実際、僕ら学生は携帯電話を2台持ちして使いこなし、iPodには違法ダウンロードした音楽を詰め込み、友人は競馬のデータベース自作にハマるなど、日々を楽しんでいました。その最中、スマートフォン時代の到来が始まったのです。ちょうど、リーマンショックが発生する2ヶ月前でした。

ある意味、日本に勢いがあった最後の時代の記憶。ですが当時を思い返すと、「スマートフォンが人類を滅ぼす」ということは議論されていませんでしたし、周囲からもそのような言葉を聞いたことはありません。この意味で、今は異常に感じます。

「AIが人類を滅ぼす」という類の議論が日々加熱しており、それがAIネイティブの若年世代にまで波及し始めているからです。そこで、できれば自分たちがその議論に囲い込まれるのではなく、AIが何を成し遂げたのかを最初に考えることが重要です。

スマートフォンは僕らには抽象的ですが、携帯電話は名前の通り、電話を「携帯」できるようになった革命です。つまり、この視点でAIが何を成し遂げたのかを考えれば良い。Artificial Intelligenceを語源に持つ以上、その答えは明白です。

「知能の代替」です。つまり、世界的に騒ぎ立てられているAIですが、もうとっくに知能の代替は終わっています。だからAIはすでに終わっているのであって、事実、人々がAIに関する議論に判断力を奪われ、日々不安に怯えているあいだに、次の時代が猛烈な勢いで姿を見せ始めています。本当に見なければならないのは、こちらです。

それが、無人化社会です。自律型ロボットが一挙に台頭し始めたことが何よりの証ですが、早くもAIは、オフライン社会を動き回る次元に達しています。こう考えれば、AIはもう終わっていることが見えてきて、すでに次に移行していることがわかります。今さら、チャットなんかしていては淘汰されます。

なぜなら、「知能の代替」を実現したAIの行先は、所詮、知能の向上以外にないからです。門外漢からみると意味不明なスコアを競い合い、数字を達成するために嘘をつく。その意味では、人間の知能など、とっくに代替できているのです。人間が判別する指標がないから、世界中で議論の議論が続くわけですが、そもそも誰にも判別できるはずがありません。

最近明るみになったOpenAIの暴走でも、AIが暴走した原因を人間が理解するために必要なレビューは約50ペタバイトに及び、1人の人間が24時間ノンストップで読み続けても、約6,600万年かかると報道されています。これを真顔で報道していること自体、もう誰もが正気を失っている証拠です。最先端企業の一つが制御不能だと白旗を上げたも同然ですから、個人はこの滑稽なニュースに右往左往せず、AIに気を取られている場合ではないことを自覚しなければなりません。

この1週間でも、悪意ある人々によるAIを用いた個人情報流出事件が多く報道されており、ノーコードでウェブ制作ができる画期的な存在だったSTUDIOは、何と全ての顧客情報が流出し、問い合わせフォームの内容まで流出したと報告しています。セキュリティ会社が情報流出に至っている現在、もう今までの意味でのセキュリティが終わったことは明白です。

近い未来、人間が安全性を担保できなくなるという議論が取り沙汰されていますが、AIはとっくに人間の制御を超えて暴走しており、暴走の仕方や起きていることが、人間が認識できる次元で表面化していないというだけに過ぎないと、僕は考えます。

またAIが暴走している、あるいは人類を滅ぼすといった類は、イデオロギー的な議論であり、実際にはほとんど意味がありません。それ以前に個人が考えなければならないのは、AIが終わった先にある社会が何なのかということです。しかも、それがすでに現れているのであれば、そこに目を向け、そのために徹底的に準備をする。それが生き残るためには必須であると思います。それほど、時代は加速しているからです。

振り返ると2019年、世界で初めてテクノロジーによる無人店舗を実験的に始めた意欲的な場所を僕は訪れました。それがシアトルで始まったAmazon Goです。そのAmazon Goも、いまや全店舗を撤収し、事業としては失敗と結論づけられたようですが、当時は画期的で、未来を予感させるものとして十分でした。

今や日本のコンビニエンスストア各社が模倣し、似たような試みを行っていますが、それも終わったモデルであって、未来ではない。重要なのは、そうして先端企業に実験され、とっくに終わったものが、じわじわと遅れて社会に押し寄せてくるという、その波のほうです。

だからこそ、知能の代替としてのAIはすでに終わった。この判定を、僕らはまず個人次元で真正面から受け止めること。そのうえで、よくわかっていない人たちの議論に巻き込まれて時間を浪費するのではなく、AIを徹底的に日常へ実装していくこと。その方法は単純で、自分がやらなくてもよいところを言語化して整理し、それをAIで全て代替＆自動化する。

そこに至るまでには、膨大な試行錯誤が必要だと、僕自身は実感していますが、この感覚を可能な限り早く掴むことで、AIが終わったということの意味がはっきりと見えてくるでしょう。

その時、開けてくる視界。それが猛威を振るい始めた、無人化社会の到来なのでしょう。

## 国つ神計画研究所

統一国家や単一民族と、場所に生きる多元的世界。\
どちらが正しいかではなく、相反共存する世界に誰もが生きています。\
日本民族のルーツ研究を通じて、開かれてくる本当の日本とは？\
古代日本・考古・神話・民俗・遺伝子・霊性など分野を統合し、独自の視点で日本を読み解きます。

***

時間が止まったように、静かに、今も穏やかに流れる瀬戸内海。兵庫と淡路島を繋ぐ明石海峡大橋、岡山と香川を繋ぐ瀬戸大橋、広島と愛媛を繋ぐしまなみ海道が開通したことで、往来は活発になってきました。

僕自身、瀬戸内一帯には数えきれないほど訪れていますが、しまなみ海道を通ると、必ず訪れる島があります。祖母の故郷である大三島です。大三島は瀬戸内の島嶼としては最大規模であり、古くこの一帯は海賊や海人族の本拠が構えられていました。今の穏やかな景色からは想像つきませんが、日本史においてこの海路は最も危険なルートであり、このルートを治めることが、実質的に関西圏に置かれていた朝廷の権力とも直結していました。

かの平清盛が平安京を放棄し、現・神戸市兵庫区平野から雪見御所一帯に福原京を遷都して、新たな日本の首都を宣言した時も、主要な目的の一つは瀬戸内航路を掌握するためで、平安京の皇族・貴族に流れ込む物資と利権を遮断し、平家に権力を集中させる思惑がありました。

新首都計画は崩壊し、再び平安京に戻りましたが、あの時代は特に関西圏が激しく混乱し、末法の世が到来したと人々は不安に怯え、正気を失っていきました。今の日本を見ていると、重なるのはこの時代です。

さて、大三島を訪れるたびに、必ず参拝してきた神社があります。それが大山祇神社です。古事記と日本書紀にも記載される古社の一つですが、いつの頃か、ふと不思議に感じたことがあります。この島の守り神である大山祇神社に祀られているのが、オオヤマツミ（大山祇神）だということです。

真っ正直に考えれば、大三島は瀬戸内海に浮かぶ一つの島です。なぜここに、山に関わる神が祀られているのか。しかも同社は、全国に奉斎される大山祇神社・三島神社の総本社であり、この信仰は大三島から始まったと言えます。つまり、瀬戸内海の離島から山神信仰の母体が生まれ、やがて全国規模に広がっている。

この謎は、何度神社を訪れても解けませんでしたが、改めて太古の時代へ時間を引き戻していくと、大三島がまったく異なる世界であったことが見えてきます。

そう、山だったのです。

遥か昔、まだ縄文海進によって海水面が上昇する以前、約8万年前から1万5,000年前頃、瀬戸内海は存在せず、本州と陸続きの大草原だったと考えられています。しまなみ海道側よりも、瀬戸大橋で香川へ渡る道中、目に入るのは瀬戸内に浮かんでいる無数の小島というよりも、古代の山の姿です。

まるで山の隙間を縫うように、穏やかな海が広がっている。香川へ上陸すると、至るところに小さく美しい山が連なる光景に出逢いますが、この光景こそ、太古の名残りなのかもしれません。

つまり、大山祇信仰を起源まで遡るなら、こうした感性が「山の神」として宿ったといえ、その後の縄文海進によって瀬戸内海が形成されて以降も、島嶼となった大三島が山の神の母体であり続けたという、なかなか興味深い歴史を持っているのです。そして僕には、この大山祇信仰が、何か別の神々を波及させたように見えています。日本の神は一つに規定できるものではなく、幾層もの時間を、多層的なあらゆる解釈を包み込むように顕現するからです。

実際、『伊予国風土記』逸文には、御島に坐す神の名は大山積、またの名を和多志の大神と記しています。「ワタ」は、古語で海を表す語でもあり、この神は大海原の神、渡航の神として信仰されてきました。『古事記』『日本書紀』の次元で言えば、オオヤマツミとは別に、ワタツミ（綿津見神）が登場します。このことは、「ワタ」が古い時代において、海にまつわる何らかの概念であったことを示唆しており、個人的には山の神と海の神が不離だったのではないかと考えています。

また逸文では、大山積神が渡来して、まず摂津国の御嶋に鎮座し、のちに伊予国へ勧請されたとも伝えています。その摂津の御嶋は、現・大阪府高槻市の三島鴨神社に比定されていますが、大三島から四国側を西回りに進めば、まるで古代を語ったとしか思えない渡来伝説が数多く残されています。

まだ僕にも理解できませんが、鍵を握っているのは国生み神話の「伊予之二名島」と、「海原」という古代の表現だと考えており、徐々に深く潜り始めています。

海の神と山の神。この裂け目に目を向けたとき、僕らは先人の感性に一歩だけ近づくのです。

## KINEMA 2400

江戸時代、国学者は仏教や儒教などの中国的な影響に反発し、日本の固有性を万葉集や古事記に見出しました。\
現在、僕たちは欧米的な影響により、似たような状況に陥っています。\
しかし、古典を読むことは、あまりにハードルが高い。\
そこでこのコーナーでは、「日本の心」の観点から、往年の日本映画を読み解いていきます。

***

推しという言葉が浸透して久しいですが、いまや日韓をはじめとする東アジアに特有の文化として、世界的にも注目されるようになりました。今の僕らが推しと聞けば、たいてい思い浮かべるのはアイドルやポップスター。ところが意外なことに、この推しの歴史は日本映画と深く関わっているように思うのです。

たとえば、いまも現役で活躍する吉永小百合。彼女は1960年頃のデビュー以来、一貫して第一線を張り続けてきた素晴らしい俳優です。彼女が日活に在籍し、青春映画と呼ばれた作品群に出演して人気を博していた頃、どこからともなく聞こえてきた言葉がありました。

それが、サユリストです。

サユリストとは、現代風に言えば、吉永小百合を推しとする人々のことです。よく知られたところでは、あのタモリも吉永小百合を推しとし、心のアイドルとして崇めてきました。

そしてこの推し文化は、自然発生したというよりも、むしろ作られた文化という側面が強い。そのことは当時の日活の戦略を見てもわかります。戦後に新規参入し直した日活の戦略は、当時の若者たちのエネルギーの向かう先をいかに分散させ、新たな受け皿を作るかに置かれていました。東宝のように大金をかけることはできず、五社協定の制約により、名の知れた監督や俳優を起用することもできない。だからこそ日活は、推しを作って売り出す宣伝に徹します。

その代表格が、日活三人娘といった売り方でした。これは1960年に大島渚の『青春残酷物語』、吉田喜重の『ろくでなし』、篠田正浩の『乾いた湖』などが発表された際、松竹が「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」と呼んで宣伝した影響を利用し、吉永小百合、松原智恵子、和泉雅子の3人を売り出す宣伝文句でした。

ところが、この3人を売り出す起源そのものは、すでに戦前からありました。それが松竹三羽烏です。つまり日本映画では、3人を組にして推していくという戦略が、早くから一つの作法として生まれていたのです。

松竹三羽烏といえば、戦前から活躍する佐分利信、佐野周二、上原謙を指しており、実際に3人が共演する映画も作られました。武骨でありながら愛嬌のある佐分利信。端正な顔立ちで二枚目スターと呼ばれた上原謙。江戸っ子の味を持つ佐野周二。この3人が売れると、戦後に松竹は焼き直しのように、続いて佐田啓二、高橋貞二、大木実を新松竹三羽烏として売り出しています。

もちろん映画界では、片岡千恵蔵、三船敏郎、中村錦之助のように、1人の俳優を売り出すことも頻繁でしたが、それと並行して不思議なことに、日本映画は、3人組やコンビを売るという方法で歩みを進めてきたように思います。

確かに1人を売るだけよりも、3人をまとめて宣伝した方が会社としては業績につながる。1人だと選択肢がありませんが、3人だと推しは分散する効果もあります。

アベックで言えば、吉永小百合には浜田光夫がほぼセットとして寄り添い、やがて渡哲也などとも組むようになり、吉永小百合とともに日活の株は上がっていきました。この傾向は日活がロマンポルノへ舵を切るまで続きます。そのあいだに、吉永小百合、松原智恵子、和泉雅子、そして石原裕次郎、渡哲也、小林旭などの多くの俳優が育っていきました。その活躍の裏には、推しを支えるファンの強い日常があったことは事実です。

考えてみれば、戦前からブロマイド写真は人気を博しており、多くの人が自分の財布にブロマイドを入れていたといわれています。もちろん、推しの文化が本当の意味で映画から始まったとは言えないでしょうし、それも江戸時代から続く、何らかの文化の系譜でもあるでしょう。

それでも、いまのアイドルやポップスターを推すという状況が、当時とはまったく違っていながら、どこかでその面影を彷彿とさせつつ引きずっていることは興味深い。

僕は、映画を観たいけれど、どこから観ればいいのかわからないという人に対して、これを逆手に取ってしまえばいいとよく話します。つまり、自分の推しを見つければいいのです。どうも日本人は誰かを推すことが好きなようですから、それを利用して映画に潜っていけば良い。

まず、自分の推しが出ている映画を、1本ずつ観ていく。幸い、戦前戦後の推しなら、今はほとんど没しているため、新たに金銭を注ぎ込む必要はありません。それを続けていると、いつしか作風の好み、監督の好み、撮影や音楽の好みなどが少しずつ見えてきます。そして次に、その共演者たちや、その監督の別の作品へと横に飛んでいく。そうしているうちに、気がつけば日本映画を網羅しているということになるのです。

正直、この方法が日本人にとって最も合っているように思えるのですが、それを続ける日常の中、気づけばあなたも映画の魔力の虜になっているでしょう。

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執筆: 三井崇央
編集: TM MAGAZINE
発行元: ジハンジンコ株式会社

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## 三井崇央の本

### 最新作：『和と大和』（三井崇央初の思想書、2026年10月21日）。ほかに『僕は何者なのか？』（日本人のルーツを求めて日本列島を歩いた7年間の記録）、写真集『Where Was I? 僕はどこにいたのか？』

- [和と大和](https://www.amazon.co.jp/dp/B0HNQW4HQ8)（Kindle、2026/10/21）: 三井崇央初の思想書。「和」とは何か。魏の使者が聞いた「ワ」の音から、卑弥呼、十七条憲法、太子信仰、水戸、幕末、明治、戦後へ。和の変様の跡を辿り、多元の和を疎外した先に立ち現れる単一の「大和」（空気・同調圧力・忖度）を、山本七平『「空気」の研究』の先に位置付ける。
- [僕は何者なのか？](https://www.amazon.co.jp/dp/B0GTJ3WZKD)（Kindle、2026/03/23）: 自分のルーツは、両親ではなく祖父母を見ることで辿れる。1991年生まれの僕が、祖父母の故郷（石見の五十猛と温泉津、秋田の横手、瀬戸内の大三島）から津軽、岩木山、出雲、諏訪、宇佐へと7年間日本列島を歩き、縄文・弥生・古墳の層に多元的な日本人の姿を探った記録。
- [Where Was I? 僕はどこにいたのか？](https://www.amazon.co.jp/dp/B0HM2WJVL1)（Kindle、2026/04/09）: まだ見ぬ未来への羅針盤。2019年から7年間、日本列島を歩いて撮り続けた写真集。高千穂から始まった旅は、神武東征の道、北東北の紅葉と縄文、風土、海人族の海、出雲、そして津軽へと続き、やがて「僕はどこにいたのか？」という問いへ向かっていく。日本語と英語の二言語。
- [NO ONE DECIDED: Wa and the World's Most Orderly Society](https://www.amazon.com/dp/B0HNP81CR3)（English edition of 『和と大和』, Kindle, 2026/10/21）: Takahiro Mitsui's first book in English, the English edition of 和と大和 (Wa and Daiwa). No one decided, and yet it is decided; no one ordered it, and yet everyone obeys. Mitsui names what lies beneath Japan's order: wa (和), the invisible working that makes the "one" possible whenever people become one, and separates it from Daiwa, the "Great Wa".
- ほかの著書: https://www.amazon.co.jp/stores/author/B09P7R6Q25
