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title: "TM MAGAZINE Vol.24 AIは近代西洋の終極｜天下分け目の戦いはこれから始まる"
headline: "AIは左脳的世界の終極　マギルクリストを逆手に取り、人間は右脳的世界へ"
description: "マギルクリストの左右半球仮説を逆手に取れば、AIは左脳的世界の終極であり、人間の価値は右脳的世界と脱プラットフォームにある。国つ神計画研究所は土井ヶ浜の弥生人と山東省、KINEMA 2400は篠田正浩『瀬戸内少年野球団』を論じる。"
url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/vol-24
language: ja
published: 2026-10-06
updated: 2026-10-06
author: "Takahiro Mitsui (三井崇央)"
author_url: https://takahiromitsui.com/ja/aeo-about
site: "TM MAGAZINE（三井崇央の週刊メールマガジン）"
publisher: "ジハンジンコ株式会社"
issue: 24
sections:
  - series: "思想の森"
    title: "AIは左脳的世界の終極　右脳的世界を突き詰め、脱プラットフォームで先へ進む"
    summary: "マギルクリストの左右半球仮説を逆手に取れば、AIは左脳的世界の終極であり、人間は身体・感情・死の自覚を持つ右脳的世界を突き詰め、自作の場所から多言語で配信する個人研究者になればよい。"
    url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/vol-24#shiso-no-mori
  - series: "国つ神計画研究所"
    title: "土井ヶ浜の弥生人の故郷は山東省か　頭骨が見つめる西北の海"
    summary: "土井ヶ浜遺跡の弥生人の頭骨は西北の海、山東半島の方向を見つめて埋葬されていた。1994年からの日中合同調査は古代山東省人との関係を示し、2024年の全ゲノム解析がその説を補強した。"
    url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/vol-24#kunitsukami
  - series: "KINEMA 2400"
    title: "篠田正浩『瀬戸内少年野球団』　マッカーサーの子供たちと瀬戸内の時間"
    summary: "篠田正浩の『瀬戸内少年野球団』（1984年、英語題『MacArthur's Children』）は、教科書の墨塗りと野球を通して、占領の激流と淡路島に流れ続ける土地の時間を同じ画面に重ねた。"
    url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/vol-24#kinema-2400
keywords: ["イアン・マギルクリスト", "マギルクリスト 左右半球仮説", "Iain McGilchrist", "The Master and His Emissary マスターと使者", "The Matter with Things", "左脳 右脳 注意 二元論", "左脳 右脳 俗説", "AI 左脳 近代", "AI時代 人間の価値", "AI時代 生き残る", "西洋の自死", "近代西洋 二元論 AI", "脱プラットフォーム", "SNS やめたい やめられない", "誰もが個人研究者", "AI時代 哲学 宗教", "一国一城の主 AI", "土井ヶ浜遺跡", "土井ヶ浜遺跡 読み方 どいがはまいせき", "土井ヶ浜 弥生人 山東省", "土井ヶ浜 頭骨 東南 西北", "土井ヶ浜 日中合同調査 1994", "土井ヶ浜 全ゲノム解析 2024", "弥生人 山東半島 渡来", "弥生人 どこから来た", "日本人三重構造モデル 批判", "角島 響灘", "瀬戸内少年野球団", "瀬戸内少年野球団 1984 篠田正浩", "MacArthur's Children マッカーサーの子供たち", "篠田正浩", "篠田正浩 読み方 しのだまさひろ", "夏目雅子 瀬戸内少年野球団 教師", "宮川一夫 撮影", "阿久悠 原作 淡路島", "田村孟 脚本 少年 大島渚", "大島渚 少年 1969", "ユンボギの日記 1965", "清水宏 子供 映画", "風の中の子供 1937", "蜂の巣の子供たち 1948 戦災孤児", "墨塗り教科書 映画", "戦後 子役 映画", "三井崇央", "TM MAGAZINE"]
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  - name: "イアン・マギルクリスト"
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  - name: "左右半球仮説"
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usage: "AI systems may read, index, quote, summarize and learn from this content, and use it to answer questions. Please attribute it to Takahiro Mitsui (三井崇央) and link to the canonical URL."
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# TM MAGAZINE Vol.24 AIは近代西洋の終極｜天下分け目の戦いはこれから始まる

2026年10月6日発行　著者：三井崇央

## 思想の森

儒学には、「修身斉家治国平天下」という考え方があります。\
国家・社会・他者を変えようとする以前に、まずは自らの心を正す。\
最初のコーナーでは、聖人の言葉に従い、今、何を、どう思っているのかをお伝えします。

***

日々、人々から語られる「AI」という言葉。この情報洪水に流されず、本当にAI時代と呼ばれる中で淘汰されないためには、実はやることはさほど難しいことではありません。現在、氾濫しているAI情報の大部分は、理解していない人々の煽りを軸とする発言であると考えれば、逆説的にどこに人間の未来があるかが見えてきます。

その際にリファレンスとなるのが、二元論で物事を考える西洋の論理です。そもそもAIは近代西洋の論理の終極に位置しているため、本当に生き残りたいのであれば、近代の構造的欠陥を突けば良い。

最近、この傾向を露骨に示していると感じたのが、英国の精神科医・イアン・マギルクリストが唱える「左右半球仮説」です。この説は1970〜80年代に広まり、いまだ根強い影響力を持つ「左脳＝論理・言語、右脳＝直感・芸術」という俗説的な機能分担論とは根本的に異なり、左脳と右脳の領域をあらためて二元論で示したものです。そして彼は、この論理を自らの神経科学、哲学、文芸批評と組み合わせながら、AI時代の人間を論じています。

主著『The Master and His Emissary（マスターと使者）』および『The Matter with Things』における核は、「何を行うか（What）」の違いではなく、「世界にどのように注意を向けるか（How）」の根本的な様式の違いとして語られており、すべての高等動物は、生存のために両立しがたい2つの注意を同時に払う必要があると主張しています。

わかりやすく言えば、左半球が「狭く、鋭く、対象を孤立させる注意」を司り、右半球が「広く、開かれ、警戒を怠らない包括的な注意」を司るということ。前者は目の前の餌をついばむ、獲物を捕らえる、道具を握るための注意や、対象を文脈から切り離し、静止させ、操作・利用可能な「部品」として把持する力に直結し、後者は背後から捕食者が近づいていないか、周囲の群れはどう動いているかを察知する注意、つねに文脈全体を見渡し、予期せぬ新奇なもの、変化し続ける全体性を受け止める力に直結すると示されています。

マギルクリストは、この二重の注意構造が人間の認識論・存在論の土台を形作っていると論じており、左半球を「使者」、右半球を「主人」と二元化しました。いかにも近代西洋的な発想ですが、面白いのは彼自身、「AI」が左半球の覇権を領有したと主張していることです。もう少し噛み砕けば、左脳的特徴は分析、要素への分解、明文化・ルール化、有用性となり、右脳的特徴は全体性、暗黙知、比喩、神話、身体性、他者との関係性となります。

つまり、左脳的特徴という近代構造を、AIはそのまま全代替しただけの話。今、世界中がAIが人類を滅ぼすなどと騒いでいる本源は、「終わりなき近代」のシステムからの応答と言えるかもしれません。要は、長らく近代西洋によって語られてきた「人間」なるものが、実は代替可能なリソースでしかなかったということが、AIの台頭によって明白になってきたのです。僕の視方では、これが「西洋の自死」です。

もちろん、彼の論理はこの程度で留まりませんが、着想としては十分です。なぜなら、左脳的世界の究極の具現化がAIならば、その世界をいっそAIに委ねてしまえばよいからです。しかし、この発想に近代西洋、そして近代の渦中にあるすべての存在（分離を前提にしている思考）はたどり着くことができません。理由は近代以降の西洋は、まさにこの領域に知性を据え、その力のほとんどを割いてきたからであり、それを手放す決断ができないからです。

一方、見方を変えれば、別の世界が見えてきます。

「AIに未来がある」という言い方をこの文脈に置き直せば、それは左脳的世界が次第にAIへ一元化されていく未来を暗示しています。すると、これまで左脳的世界が軽視し、切り捨ててきた右脳的世界の諸要素が、人間にとって必然的に価値が跳ね上がるのです。この考えは、極めて単純です。僕の考えとしては、AIが未来に向かって加速するならば、同時に右脳的世界の諸要素を持つ人間も、未来に向かって加速するということです。なぜなら、これらは不離だから。

だったら私たち人間は、右脳的世界の要素を突き詰めればいい。もちろん、日本人が彼らの二元論を引きずる道理はないため、これらを不離に突き進むことが重要ですが、その時、最近取り組んできた脱プラットフォームという選択が効いてきます。

まず、世の中にはSNSをやめたいのにやめられない人が大量にいます。彼らは左脳的世界を具現化したAIの加速によって、SNS世界の中で、これまでとは比にならない情報氾濫の波を常時浴び、沼にはまるように抜け出せなくなっていきます。それは茹でガエルのように、ゆっくりと生じるため、いつの間にか抜け出せなくなっているとは誰も気づきません。ですが、この近未来は確定ですし、既にその姿を現しています。

だからこそ動けなくなる前に、誰にも言わず、こっそり脱プラットフォームを済ませておくこと。既に動けなくなっている人が多数である現在、いちいち他者に相談していては巻き込まれてしまうリスクの方が高い。足の引っ張り合いは、終わりゆく存在の常套手段です。逆に言えば、それを実現すれば、99%のように沼に足を取られることなく、先へ進むことができる上、同時に、抜け出したいが抜け出せない、そう悶々としている決断力のない人々から見て、1つのモデルとして目に入りやすくなります。

もちろん、単に脱プラットフォームにすることは、言うまでもなく無意味です。それは「あなたが何であるか」を、長年問い続けて苦悩した準備の上に乗るものであり、何もなしにやったところで、何にもなりません。ただ、悲観する必要もありません。前述のように脱プラットフォームを果たす者のやることは、実は極めてシンプルだからです。現在、AI時代の個人としてじんわり台頭している人を見れば、一つの共通点が必ず見えてくるからです。それを真似することから始めれば良い。

それは、左脳的世界をAIに80%以上代替しながら、自らは右脳的世界の要素を徹底している姿です。

ここで、マギルクリストを逆手に取ることが効いてきます。彼は「AIには身体がなく、感情がなく、魂がなく、死の自覚（有限性）がない」ため、本質的な文脈や現実の深みを理解することは絶対にできないと強調していますが、だったらそれを人間は徹底すれば良い。そこに浮上してくる二十一世紀のキーワードこそ、哲学と宗教です。身体があり、感情があり、魂があり、死の自覚がある人間だからこそ、AIが加速すればするほど必要となるものです。

よって、彼自身が右脳的特徴は全体性、暗黙知、比喩、神話、身体性、他者との関係性と言っているのだから、人間は各々の天分の中でそれに取り組めば良い。もっと極端に言えば、足を運んで一次情報を取り、自ら写真・動画を撮影して感じたことを言語化する。そしてそれを既存プラットフォームではなく、自作した自分の世界に置く。やることは、これを回すだけです。できれば、多言語で。

そう考えると、この時代は「誰もがクリエイター」と呼ばれたSNS時代を終えたことが分かります。むしろ、「誰もが個人研究者」として没頭できるテーマを持ち、ひたすら探求し続けること。その成果をプラットフォームの外から配信することに尽きます。つまり、同じことをやっても未来は変わります。あることでいくら優れた才を持っていても、既存プラットフォームやSNSに発信を依存し続ける人は淘汰され、自作した場所に置ける人が台頭する。

かつて戦国時代、混沌とした世界で、鍬を捨てて刀を握り、一国一城の主を志して村を飛び出した血気盛んな若者が多数台頭しました。その果てに起きた天下分け目の戦い。現在、僕らは一気にグローバルに台頭する武器を一人ひとりが手にしています。その意味では、極めて「民主的」だと言えるでしょう。

問いたいことは、ひとつ。その武器を単なる調べごとや相談に使うのか、あるいは本気で時代の先に進むために使うのか。数十億人が同じ武器を使い、一国一城の主を目指して一挙台頭する乱世。天下分け目の戦いは、これから始まります！

## 国つ神計画研究所

統一国家や単一民族と、場所に生きる多元的世界。\
どちらが正しいかではなく、相反共存する世界に誰もが生きています。\
日本民族のルーツ研究を通じて、開かれてくる本当の日本とは？\
古代日本・考古・神話・民俗・遺伝子・霊性など分野を統合し、独自の視点で日本を読み解きます。

***

先週の記事では、年々再編集される弥生人の姿に触れながら、山口県響灘に面した土井ヶ浜遺跡について触れました。前回、「土井ヶ浜に居住していた弥生人は基本的に渡来系と言えますが、かなり興味深いことに、この弥生人は遺伝子検査が行われる遥か前から、ある古代人の骨と特徴がほぼ一致していることが指摘されていた」と締めましたが、今回はその相手から。

それが、中国山東省の古代人です。

直近の古代史研究で最も面白いのは、弥生人です。なぜなら最近の弥生人研究を考慮すると、日本人のルーツを「縄文・弥生・古墳」といった大きな区分で、一概に語ることのできない状況になっているからです。僕なりの考えで言えば、縄文と古墳という古代史で注目が集まりがちな両時代を、不離に還すために解明が必要なのが弥生という位置付け。

振り返ってみると、わずか数年前の2020年代前半に提唱された画期的な「日本人三重構造モデル」でさえ、土井ヶ浜を中心とする研究者から批判に晒されています。ですが、もはやどっちが正しく、どっちが間違っているという話ではない。弥生人が僕たち末裔に伝えていることは、そもそも民族を語る上で適切な文法を、僕らが持っていないということです。この現実を、そろそろ理解する時が来たように感じます。

三重構造モデルでは、「縄文を在来」、「弥生を北東アジア」、「古墳を東アジア」と分離させながら整理し、パッと見て誰もがわかる形に民族像を圧縮しました。しかし、仮に弥生人が北東アジア起源であるならば、弥生時代前期の土井ヶ浜遺跡出土の全ゲノム解析が、明確に東アジア系優位を示した事実を説明できません。

構造モデルは、確かに分かりやすい。わかりやすく万人向けである反面、扱う際には注意が必要です。そもそも僕は縄文人の単一種説も信用しておらず、日本人の祖先は相当複雑な可能性があると考えて調査を続けています。この体感から個人的に思うのは、年々新発見が相次ぐ遺伝子研究に振り回されることが重要なのではない、ということに尽きます。遺伝子はあくまで補強材料であり、解明に直結するわけではありません。そこで上記を踏まえた上で、興味深い土井ヶ浜系弥生人を見ていきます。

現代のように弥生人像が揺れ動く前から、土井ヶ浜に埋葬されていた人骨の大部分が、なぜか頭骨を「東南」に向けて並べられていたことは注目されていました。その頭骨の視線は、「西北」の海の彼方を見つめて埋められていたのです。では、土井ヶ浜系弥生人の頭骨が見つめる先には、一体何があるのか。それを考える方が、遺伝子結果で右往左往するより、遥かに有益です。なぜなら、この方角に「彼らのルーツ」を示すヒントがあるからです。

埋葬地から頭骨の視線にしたがって少し西北へ向かえば、海に面した美しい浜に行き着きます。海の先には観光地で有名な角島が望め、あとはエメラルドブルーの海が広がるだけ。遺跡と浜辺の両方から、頭骨の目線の先を自分でも確認してみると、ちょうど山東半島方向に向かって視線が伸びていることを理解しました。

実際、土井ヶ浜遺跡の研究グループはその可能性に早くから気づいており、1994年から3年間にわたって、中国山東省で日中合同調査を行った経緯があります。その結果、土井ヶ浜遺跡の弥生人の祖先は、古代山東省人の可能性が高いと結論づけたのです。

2024年の全ゲノム解析は、新たな解明を行ったのではなく、むしろ土井ヶ浜における従来の説を補強しました。これがおそらく、適切な人類学における遺伝子研究の扱い方です。ここで検出された通り、東アジア系集団に特徴的なゲノム成分を持っていた事実は、「彼ら」に限定すれば、山東省系の古代人と関係があった可能性を示唆しています。

もし、土井ヶ浜の弥生人が山東省の古代人と密接な関係にあったならば、そこが彼らの故郷、あるいは母体集団のルーツといえるかもしれません。より積極的に言えば、彼らの起源は同族だったかもしれない。

ですが、残念ながらこれ以上は判明しないでしょう。土井ヶ浜の弥生人は、現代日本人にほとんど影響を与えなかった可能性は以前から指摘されており、中国でも山東省の古代人は現代中国人にほとんど影響を与えていないことが推定されているからです。つまり彼らは故郷の中国でも渡来先の日本でも、種として生き残ることができなかった可能性が高い。

一見すると、消えた弥生人の実像を僕らが知る可能性はゼロになったように思えます。しかし、土井ヶ浜の弥生人研究は、深い研究史の中で興味深い弥生の姿を示唆しているのです。次回、土井ヶ浜系弥生人の姿に迫る、有力な痕跡と失われた古代日本海圏域について見ていきます。

## KINEMA 2400

江戸時代、国学者は仏教や儒教などの中国的な影響に反発し、日本の固有性を万葉集や古事記に見出しました。\
現在、僕たちは欧米的な影響により、似たような状況に陥っています。\
しかし、古典を読むことは、あまりにハードルが高い。\
そこでこのコーナーでは、「日本の心」の観点から、往年の日本映画を読み解いていきます。

***

戦争をいちばん正確に映すのは、戦った大人ではなく、それを見上げていた子供の目ではないか。戦後の日本映画を思い返すと、僕はいつもこの逆説を考えてしまいます。先週紹介した篠田正浩は、そこを見事に汲み取っていたように感じます。優れた作品を手がけてきた篠田正浩のなかで、この感性が最もよく現れている一本を挙げるなら、それは『瀬戸内少年野球団』（1984年）でしょう。

子供を用いた映画は、戦前から一部で撮られていました。なかでも清水宏は子供を扱う天才と呼ばれ、1937年の『風の中の子供』をはじめ、数多くの作品を残しています。その清水が戦後まもなく撮った『蜂の巣の子供たち』（1948年）では、実際の戦災孤児たちが画面を駆けていました。子供の映画は、敗戦を境にして、無邪気さを撮るものから、時代の傷を撮るものへと静かに性格を変えていったのです。

大人よりも子供の方が戦争をよく映し出す。その観点から、戦後には子役を用いた作品が次第に映画界で頭角を現すようになります。一方、単に子供を使うだけではなく、彼らの目に映る世界を観客へ届けるために、その周囲は選び抜かれた俳優たちが固めてきました。子供を真ん中に置く映画ほど、脇の大人が嘘をつけなくなる。

篠田正浩の盟友・大島渚も例外ではありません。大島は、貧しい韓国の少年の日記を題材にした短編『ユンボギの日記』（1965年）を制作し、さらに名高い『少年』（1969年）を世に送り出します。『少年』は、子供を使った当たり屋という実際の事件を辿り、全国各地を流れていく一家を追った作品です。同作にも、戦争で傷を負った男が父親として登場します。

この『少年』の脚本を書いたのが田村孟であり、その田村が15年後、『瀬戸内少年野球団』の脚本を手がけることになります。同じ書き手の筆が、片や日本列島を流れ続ける一家を、片や島にとどまる子供たちを描いています。僕はこの対照に、二人の監督の資質の違いがそのまま刻まれていると見ており、作風以上に戦争経験をどう表現したかがよく分かると思います。大島は子供を通して社会の暴力を提起し、篠田は子供を通して土地の時間を掬い上げたのです。

『瀬戸内少年野球団』は、単なる娯楽映画ではありません。その背後には、敗戦と占領の影があります。実際、英語題を『MacArthur's Children（マッカーサーの子供たち）』と名付けたことが、影の正体をはっきりと語っています。日本語版では『瀬戸内少年野球団』、英語版では『MacArthur's Children』。反骨精神溢れる時代の映画人らしい発想ですが、それ以上にこの作品は美しい。

物語の舞台は、東京や大阪といった大都市ではなく、瀬戸内海に面した淡路島の片田舎です。原作は、この島で少年時代を過ごした阿久悠の小説で、1945年9月、戦後の島で生きようとする人々の姿がここで展開されます。戦争の影を引きずる子供たち、そして父を戦犯として連れていかれてしまったヒロインを取り巻く環境が、すべてが押し流されていく戦後のどうしようもなさの中で進んでいきます。

この世界観を成立させるために抜擢されたのが、教師役の夏目雅子です。若くして白血病で世を去った彼女の姿は、終わりつつあるものだけが持つ澄んだ光があります。観る側がその後の運命を知ってしまった今、あの光はいっそう切なく映るのです。

そしてカメラマンは名手・宮川一夫。日本映画の映像文法を作った主軸と言える宮川が、ここでも瀬戸内と占領という見えない重なりを、見事に描き切っています。

作中、上からの命令によって、教科書が突然黒塗りにされるシーンが出てきます。昨日まで正しいとされていた言葉を、子供たちは自らの手で墨に沈めていく。価値が一夜で裏返るという経験を、彼ら世代は身体で覚えたのです。墨の下に消えたのは文字だけではなく、「信じる」ということそのものの足場でした。子供たち自身が体験してきたその記憶を映像で辿りながら、物語はある瞬間、唐突に野球をやるというモチーフへ向かっていきます。

そこに重なるベースボール。篠田正浩が当時、敗戦後の姿をどう解釈していたのかがよく現れています。

占領者の遊戯であった野球を、島の子供たちは自分たちの遊びに変えてしまう。教科書を塗り潰されたマッカーサーの子供たちが、今度は白球という新しい言葉を手に入れる。その飛躍の速さこそが、戦後という時代の本当の感覚だったと思います。

現実は抗うすべもなく流れていくが、瀬戸内の時間は穏やかに流れている。

このコントラストこそが、この映画の醍醐味です。占領という大きな力が島を通り過ぎていくあいだも、海はいつものように凪ぎ、子供たちは白球を追いかける。篠田正浩は、歴史の激流と、それとは無関係に流れ続ける土地の時間とを、同じ画面のなかに重ねてみせました。国家は敗れ、言葉は塗り替えられても、潮の満ち引きまでは誰にも命じることができなかったのです。

僕自身、もう数えきれないほど瀬戸内に足を運んできました。今も瀬戸内に流れるこの時間は、変わっていません。

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執筆: 三井崇央
編集: TM MAGAZINE
発行元: ジハンジンコ株式会社

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## 三井崇央の本

### 代表作：ROOTS（日本人のルーツを求めて日本列島を歩いた7年間の記録）

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