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title: "TM MAGAZINE Vol.14 本物の「学」論｜習うではなく、覚めることから学びは始まる"
headline: "本物の学は習うではなく覚めることから始まる　説文解字と朱熹の效"
description: "学とは本来、知らずにいたことに覚めることであり、朱熹が『論語集注』で效（なら）ふと読み替えたことで聖人が外に置かれた。国つ神計画研究所は推古朝が遁甲で設計した神武即位、KINEMA 2400はアートシアター新宿文化と葛井欣士郎を論じる。"
url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/vol-14
language: ja
published: 2026-07-28
updated: 2026-07-28
author: "Takahiro Mitsui (三井崇央)"
author_url: https://jihanjinko.com/about/tm
site: "TM MAGAZINE（三井崇央の週刊メールマガジン）"
publisher: "ジハンジンコ株式会社"
issue: 14
sections:
  - series: "思想の森"
    title: "学とは覚めることである　説文解字の斅と朱熹の效が分けた儒学"
    summary: "漢代の訓詁で学は覚、つまり知らずにいたことに目覚めることを指した。朱熹は学を效（ならう）と読み替え、聖人を外に置いた。"
    url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/vol-14#shiso-no-mori
  - series: "国つ神計画研究所"
    title: "紀元前660年の神武即位は推古朝が遁甲で設計した理想である"
    summary: "神武即位の辛酉年は、推古朝の新政を讖緯（しんい）と遁甲の術で上古へ映し返した設計図であり、史実ではなく理想の標示である。"
    url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/vol-14#kunitsukami
  - series: "KINEMA 2400"
    title: "アートシアター新宿文化と葛井欣士郎　地下の蝎座と1960年代新宿"
    summary: "新宿三丁目のアートシアター新宿文化では芸術映画、実験映画、前衛劇が一つの建物で同時に動き、ATGは製作へ転回した。"
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keywords: ["学とは 意味 覚", "學とは 本来の意味", "学ぶ 本来の意味 覚める", "説文解字 斅 覚悟", "説文解字 斆 学 本字", "斅 読み方 こう", "覚悟 本来の意味", "白虎通 学 覚", "朱熹 論語集注 学 效", "朱子 論語集註 効う", "学而時習之 意味", "學而時習之 読み下し", "学びて時に之を習う 意味", "儒学 儒教 違い", "顔回 好学", "顏回 顔淵 学を好む", "怒りを遷さず 過ちを弐たびせず 意味", "明治五年 学制 education", "神武天皇 即位 紀元前660年 根拠", "紀元前六六〇年 神武紀元", "紀元前660年 なぜ 辛酉", "カムヤマトイワレヒコ 橿原宮 即位", "辛酉革命 讖緯 推古朝", "辛酉革命 しんゆうかくめい", "讖緯 しんい", "那珂通世 神武紀元 1260年", "飯島忠夫 遁甲 日本上古史論", "遁甲 とんこう 奇門遁甲", "観勒 遁甲 大友村主高聡", "大友村主高聡 甲賀", "アートシアター新宿文化 葛井欣士郎", "葛井欣士郎 くずいきんしろう", "アンダーグラウンド蝎座 三島由紀夫", "蠍座 新宿文化 地下", "1960年代 新宿 アングラ演劇", "唐十郎 紅テント 花園神社 腰巻お仙", "寺山修司 天井桟敷 毛皮のマリー", "三島由紀夫 憂国 ATG 新宿文化", "三井崇央", "TM MAGAZINE"]
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# TM MAGAZINE Vol.14 本物の「学」論｜習うではなく、覚めることから学びは始まる

2026年7月28日発行　著者：三井崇央

## 思想の森

儒学には、「修身斉家治国平天下」という考え方があります。\
国家・社会・他者を変えようとする以前に、まずは自らの心を正す。\
最初のコーナーでは、聖人の言葉に従い、今、何を、どう思っているのかをお伝えします。

***

学。\
この一言は、本来何を語るものだったのでしょうか。

いつも面白いと感じるのは、知っていると思っている言葉ほど、実は知られていないこと。その象徴が、まさにこの一語に集約されているように思います。

今、この語を問われれば、多くの方々は知識や技能の習得だと答えます。そしてそれは、教わることを表します。\
確かにこの考え方は、間違ってはいない。一方で、この学とは何なのかについて、数千年近く、激しい思考を続けてきた思想潮流があります。

それが、儒学です。

なぜ、儒学は殊更に「学」を探究し続けたのか。そこには儒学における聖人・孔子（前551-前479）の存在があります。そして孔子の言葉と伝わる『論語』二十篇のうち、最初の一語がまさに「学」なのです。\
論語は、数百条もの孔子の言葉を伝えていますが、なぜこれが先頭に置かれたのか。その理由は伝わっておらず、論語を編纂した学派の意図も残りません。

後に、儒学、道学、聖学、程朱学（日本では朱子学）、王学（日本では陽明学）など様々に呼ばれますが、それでも末尾か中核には「学」が刻印されています。儒学の面白さは、ここから始まります。\
一般的には儒教とも呼ばれますが、儒学であって、儒教ではない。単なる言葉遊びではなく、「学」であって「教」ではないという、孔子以来の儒学が築いてきた精神的遺産なのです。

だからこそ、「学」を問わねば、本意は見えてきません。\
『論語』第一章の第一句は「学而時習之」から始まり、篇名もそこから取られて「学而」と呼ばれます。そして儒学のすべての問題は、「学」一語が何を指すのかが、最初から一つに定まっていなかったことです。西暦百年頃に成立した最古の漢字辞典『説文解字』で、編者の許慎は「学」の本字である「斅（こう）」をこう説いています。

斅は、覚悟なり。

本来の覚悟とは、腹をくくることではありませんでした。\
目が覚めること、知らずにいたことに気づくことです。つまり、目が覚め、知らずにいたことに気づいたとき、それに従って生きる。この生きる心持ちが、腹をくくる覚悟として、今に残ったと僕は考えています。\
同じ後漢の『白虎通』も、「学の言為（た）るや、覚なり。未だ知らざる所を覚悟するを以てなり」と、ほとんど同じ言い方をしています。

漢代の訓詁において、学は覚であり、学ぶとは覚めることだと考えられたのです。

ところが千年以上を隔てて、中国が大文化時代の唐、宋へと移り変わる中、江戸時代の幕藩制度に絶大な影響を及ぼすことになる朱熹（朱子｜1130-1200）が登場すると、この解釈が大きく変容します。\
朱熹は『論語集注』の巻頭、まさに「学」の注で、覚悟ではなく、別の字を当てたのです。

学の言為るや、效（なら）ふなり。人性は皆善にして、覚に先後有り。

噛み砕いていきます。\
「效」は、まねる、ならうの意味。朱熹は学を、己が覚めることではなく、「先に覚めた者の振る舞いを模倣すること」と解釈しました。\
もちろん、朱熹は覚を捨てたわけではありません。ですが「覚に先後有り」と言ってように、彼は覚めることに順序を導入したのです。\
そして当時、絶大な影響を誇り、体制哲学にまでなった朱熹の考え方により、後から覚める者は、先に覚めた者を模倣することによってしか、覚めるところへ行けないと解釈されます。

この一手で、何が動いたのか？\
儒学が最高到達点とする聖人の居場所です。\
大きく二つに裂けた流れをまとめておきます。

◯ 学が覚（覚悟）であれば、覚めるべきものは自分の内側にある\
◯ 学が效（習う）であれば、まねるべき対象が自分の外側に立っている

たった一語の訓詁の差でしかない。しかし、このたった一語の差が、後に儒学の大きな論争の核部となります。その混乱の真っ只中に登場したのが、明代の王守仁（王陽明｜1472-1529）でした。彼によって朱熹の論点は無化され、一気に孔子に遡及します。\
この大陸の動きが、やがて圧縮される形で、江戸時代の日本、そして戦前日本にまで強烈な影響を及ぼすことになるのです。

一方で、決定的な記述があります。それが魯の君主・哀公が、「弟子の中で誰が学を好むか」と孔子へ問うた答えです。\
孔子は、顏回という者がいて、学を好んだ。怒りを遷さず、過ちを貳（ふたた）びせず。しかし不幸にも短命で死んだ。今はもういない、と返します。

三千人と伝わる彼の門人のうち、学を真に理解する者として認められたのは、たった一人。しかも、その一人は既に死んでいたのです。

ですが、見るべきはそこではありません。見るべきは、孔子が好学の証拠として何を挙げたか、です。\
彼は「怒りを遷さず、過ちを貳びせず」。つまり、向けるべき相手（己）への怒りを、別の相手にぶつけない。同じ過ちを二度繰り返さないと述べた。書物に通じたとも、詩を暗誦したとも、知識が豊富だとも、多才だとも、弁が立つとも、出世したとも、孔子は一言も言っていない。\
ここに、儒学の本質があります。

好学とは、知識の「量」の話ではなく、地位でもなく、心の動きの話なのです。そしてその事実を、儒学の開祖である孔子自身が述べていた。

この一語を問うことは、イコールで儒学数千年の歴史を語ることになります。そこで前提をここに留めておき、もう少し僕たちに実感あるところまで引き戻しましょう。\
現在、僕たちは何を「学」と呼んでいるか、それを問うことです。

言うまでもなく、覚でも效でもありません。ですが、少なくとも江戸時代を通じて、多くの日本人は、学をこの文脈でしっかりと理解していました。\
だからこそ、各地に人格者が多く現れ、精神的に非常に深く、豊かな時代を形成していたのです。一変したのは、文明開化以降です。

明治五年の学制以降、学の一語はeducationという西欧語を収める器として使い回されました。学校、学歴、学位、進学、学習到達度。この瞬間、すべて物差しが量になります。\
何時間学んだか、何を修めたか、どんな学位を持っているか、どの序列に配置されたか、どれだけ本を読んだか、どれだけ出世したか。孔子が好学の条件として語ったものを、何一つ満たしていません。

もちろん、前述の朱子学は出世の学問となり、江戸時代に徳川家康が採用したことで、そのような性格が強かったことは事実です。\
しかし、文明開化なるものが始まって以降、明らかに学は日本人から疎外されていきます。この時、日本人の教養は急激に衰退したのです。

多くの方々は忘れていますが、戦後、占領軍は儒学の教えである修身を禁じました。\
これにより、僕たちから東アジア的な学の本義は決定的に断たれてしまい、事実、僕たちのほぼ全員が、江戸・明治・大正・昭和初期の教養だった漢文を読めません。読めないということは、日本人が育んできた千年以上の精神を読めないことを表します。

それは、先人から代々継承されてきた歴史との断絶です。

たった一つの「学」の語。\
儒学の経書に目を通さずとも、この一語を徹底的に考え抜くだけでも、十分です。その時、僕たちが感じながら、言葉にできない違和感の正体が明らかになるでしょう。

## 国つ神計画研究所

統一国家や単一民族と、場所に生きる多元的世界。\
どちらが正しいかではなく、相反共存する世界に誰もが生きています。\
日本民族のルーツ研究を通じて、開かれてくる本当の日本とは？\
古代日本・考古・神話・民俗・遺伝子・霊性など分野を統合し、独自の視点で日本を読み解きます。

***

紀元前660年。\
日向から東征したカムヤマトイワレヒコが、ヤマト（現・橿原神宮）で即位した年代、いわゆる神武即位年代です。

ですが、『日本書紀』を開いても、紀元前660年という数字は、どこにも書かれていません。\
刻まれているのは、辛酉の年の正月一日、天皇は橿原宮で位に即いた。ただ、それだけです。\
西暦もなければ、絶対年代もない。あるのは干支と、朔日という月の運行だけ。しかも干支は60年で一巡するため、辛酉の年は60年ごとに何度も巡ってきます。つまりこの一行だけでは、どの辛酉なのかが永遠に決まりません。

そもそも、なぜ辛酉なのか。\
この背景にあるのは、今の僕たちが考える歴史の正確な数字ではなく、思想です。そして思想の根拠となっているのが、古代中国の讖緯（しんい）です。

讖緯では、辛酉の年には天命が改まり、60年を一元とし、二十一元（1260年）ごとに、天下を覆す大革命が起きると考えます。\
この暦の予言術は、中国では危険視されて長らく途絶えますが、日本では千年近くも生き続け、辛酉が巡るたびに、元号を改める作法として制度化されていきました。

明治の歴史学者・那珂通世は、ここに手をかけます。彼は1878年頃からこのテーマを扱い始めますが、推古9年（601）が辛酉に当たり、そこから数年で暦が用いられ、冠位が定められた日本史でも画期の年であると考えます。\
そして、601年から1260年を遡った辛酉こそ、神武即位の年として置かれたのではないか、と考えたのです。

単純に、601年から1260年を引けば、紀元前660年になる。カラクリは、実はこの程度でした。

ですが、那珂の説は妥当ではあるが、どうも説得力がない。那珂は何かを見落としたのか、あるいは見る場所が違っていたのでしょうか。この弱点を、まったく別の角度から突いたのが飯島忠夫でした。

飯島は、中国天文暦法の日本最高峰の学者でした。\
敗戦二年後に刊行した『日本上古史論』で彼が問うたのは、数字ではなく、道具でした。つまり那珂は、近代歴史家が陥る年代と出来事しか見ていない。これを読み解くための道具の理解がないと、飯島は見抜いたのです。\
そこで中国天文暦法に精通した飯島は、暦法とは数字の算出ではなく、為政者の道具なのだという本質から提起を始めます。

重要なことは、干支で年を数える方法も、讖緯の計算体系も、中国で整ったのは前漢（紀元前206-8）の末以降だったことです。\
太古の昔から中国に原型はありましたが、体系化されるまでには相当の歳月がかかっていたのです。この観点に従えば、当然中国側でも、紀元前660年という数字には、何の根拠もありません。

すると問題は、天文暦法という道具が、いつ日本に届いたのかです。

届いたのは602年、百済の僧・観勒が、暦本と天文書を携えて来朝した時でした。書紀は、この時に朝廷は大友村主高聡に、観勒を師匠として「天文遁甲」を学ばせたと記しています。\
飯島が目を留めたのは、この遁甲です。

遁甲は、後漢（25-220）に起こった一種の占術です。今も秘伝中の秘伝とされる奇門遁甲が残っていますが、星を見上げて占うのではなく、机の上で数を動します。\
太一と呼ばれる天帝（古代中国の根源）が、九つの宮を巡ると仮定し、その配置から年の性格を割り出す。暦と分かちがたく結びついたこの術は、「年に意味を与えるための技術」とも言い換えられます。つまり、「年に数字を与えるための技術」ではない。\
面白いのは、ここで秘術を習得した大友村主高聡の系譜が、やがて甲賀伴氏へ繋がります。あの甲賀流忍者を支えた代表的な一族です。

そして、この術が日本に届いたのが、まさに推古朝（在位: 593-628）でした。さらに、601年（推古天皇9年）は前述の通り辛酉の年でした。

その三年後、604年の甲子の年に冠位十二階が施行され、十七条憲法が定められ、日本で最初の暦が頒布されます。一見、これは急激な進展に思われるでしょうが、実は計算されて発布されています。\
なぜなら讖緯では、辛酉に天命が革まり、甲子に法令が革まると考えます。つまり、推古朝の新政はこの流れを理解した上で従い、辛酉から甲子へという讖緯の暦の上に、寸分違わず適合させたのです。この時、新政を担ったのが、蘇我馬子と聖徳太子でした。

つまり、推古天皇ー蘇我馬子ー聖徳太子の飛鳥時代の権力トライアングルは、自らの新政が大革命であると誇示するために、わざと最新技術に合わせたのです。この政治的才覚は、見事です。

そして書紀に基くと、神武即位は「元年の辛酉」、甲子は「神武4年」です。\
辛酉から甲子まで三年。推古9年から推古12年まで三年。全く同じ形を辿っています。\
これは一体、何を表しているのでしょうか？

飯島が遁甲の配置を一つずつ追って示したのは、神武の元年辛酉が、推古朝の辛酉とぴたりと重なる位置に「置かれた」ということでした。偶然ではありません。建国神話が、推古朝の新政と重なるように「政治的に」設計されたのです。

つまり、神武即位の元年辛酉とは、そもそも推古天皇の新政を、抜本的な新時代として政治的に表明するために、新たな輸入技術である遁甲の術を用いて、上古（初代・神武天皇）へ映し返したものであり、観念的なものであって、史実ではない。\
これが、飯島忠夫の結論でした。

ですが、彼はそこで筆を止めませんでした。\
史実ではないと切り捨てるだけなら簡単ですが、彼が続けて記したのはこういう趣旨でした。

あの物語には、日本の新政の理想が標示されている。上古の物語は、そこに含まれている理想を会得すべきものであり、日本の歴史を研究する者は、この一点にこそ大いに注意しなければならない、と。理想は、思想と呼び変えた方がしっくり来ます。

残念ながら、飯島の言葉はその後の歴史学者には届かず、戦後歴史家は数字ばかりを追いかけるようになり、占領軍に精神教育を禁じられたこともあり、歴史から思想も精神も骨抜きとなり、年代と出来事を列挙する中身のないものとなりました。\
こうして、かつて多くの日本人を魅了した歴史は、退屈極まりない受験のための詰め込みとなり、国民は興味を失っていったのです。

紀元前660年は、実際に起きた出来事ではない。神武天皇とは無縁の七世紀の為政者が、自分たちの国はこうあるべきだと考えた理想を、時間の最も深いところへ埋め込んだ設計図なのです。\
この「遡求」は、過去→現在→未来という西欧の線形的時間を配備された現代人には、かなり理解し難いものです。ですが、この遡求法こそが日本の非線形的時間の方法であり、この方法がそのまま後の古事記、日本書紀へと繋がっていくのです。

一体、遡求法を獲得したとき、何が見えてくるのか？\
それが、古事記と日本書紀に込められた神話の世界なのです。

## KINEMA 2400

江戸時代、国学者は仏教や儒教などの中国的な影響に反発し、日本の固有性を万葉集や古事記に見出しました。\
現在、僕たちは欧米的な影響により、似たような状況に陥っています。\
しかし、古典を読むことは、あまりにハードルが高い。\
そこでこのコーナーでは、「日本の心」の観点から、往年の日本映画を読み解いていきます。

***

半世紀以上前の六〇年代、新宿。\
催涙ガスと角材と、地下劇場の熱気と、その真ん中で起きた芸術映画の誕生は、単なる現象ではなく、文化でした。

小さな区画に、行き場のない憤り、不安、敗北、郷愁が入り乱れていた。それを虚無に陥る道具ではなく、創作のエネルギーへと変換する媒介を提供し、若者たちの創作力を、驚異的な次元に噴出させたのがATG（日本アートシアターギルド）でした。

何十万という人々が国会を取り巻き、樺美智子という一人の女子学生が死に、それでも日米安保条約は通った。「何も変えられなかった」という巨大な敗北感が、六〇年代を始めたのです。\
政治で世界を変えられると信じ、そして変えられなかった。彼らは、何も、何一つ変えられなかった。\
その瞬間、若い胸のなかにぽっかりと穴が空く。その時、街頭のスローガンでは埋まらない、スクラムでも埋まらない、もっと底のほうの問いが、どこからともなく溢れ出し、氾濫し、若者たちの心を一気に呑み込んでいったのです。

都市という巨大な答えのない空間で、彼らは苦悩した。

人はなぜ死ぬのか。\
意味とは何か。\
私は本当に他者と出会えるのか。\
いや、そもそも私とは何なのか。\
神はいるのか。\
いるなら、なぜ答えないのか。\
世界を変えることはできるのか。

政治も革命も答えてくれなかったその問いを、抱えたまま行き場を失った若者。ちょうどそのとき、うす暗い映画館で上映が始まったのが、ATGが配給する西欧の先鋭的な芸術映画だったのです。

若者たちが列をなした映画館の名を、アートシアター新宿文化といいます。

場所は新宿三丁目、伊勢丹の横。1962年に開館し、1974年まで、およそ十二年にわたって営業しました。その総支配人を務めたのが、ATG創設に参加した葛井欣士郎です。ATG作品を見ると、この人物の名が、必ずと言って良いほど登場します。\
川喜多かしこから想いを授かり、現場の若者に浸透させる。まさに、ATGという文化の現場に立ち、客を迎え、創作を爆発させる化身でした。

事実、彼はこの場所を単なる映画館では終わらせませんでした。\
1963年からは前衛演劇の上演を始め、1967年には、映画館の地下にアンダーグラウンド蝎座という小劇場を開きます。名付け親は、三島由紀夫。ここは、日本で初めて実験映画を劇場興行の形で上映した空間となります。

一体、新宿三丁目の小さな場所で、何が起きていたのか。\
この劇場のことを語る前に、外の街を見ておかねばなりません。

同じ1967年、新宿では別のことも起きていました。\
その年の8月、花園神社の境内に、突然、真っ赤なテントが建ちます。前衛・唐十郎の紅テントです。唐十郎は『腰巻お仙』を上演しようとしたところ、神社側から国体に反するとクレームが入り、『月笛お仙』と改題して幕を開け、一週間ほどで元に戻してしまった。

翌1968年6月、地元の商店連合会などから排斥運動が起こり、境内の使用禁止を通告されます。唐は「さらば花園！」と書いたビラを撒いて去りました。\
そして1969年1月3日、都の中止命令を無視して、唐十郎は西口公園にゲリラ的にテントを建てます。二百名の機動隊に包囲されながら、最後まで上演を続け、終演後に逮捕されました。

同じ年の1月1日、寺山修司が天井桟敷を旗揚げします。こちらは地下（アングラ）ではなく、もっと高いところへ自分を置こうと思って名付けた、と本人が語っています。\
彼はのちに、観客にチケットの代わりに新宿の地図を渡し、芝居を探して街を歩かせるという市街劇まで行いました。

劇場が街へ出ていく。街が劇場になる。

そして1968年10月21日、国際反戦デーの夜、新宿駅が燃えます。二千人が構内に乱入し、電車の座席を薪にして火を放ち、二万人の野次馬がそれを取り囲んだ。百五十万人の足が止まり、騒擾罪が適用されました。

つまりこの数年、新宿という街には、行き場のないエネルギーがそこら中で噴き出していたのです。\
それは、政治の言葉では言えないものでした。反戦とも、安保反対とも言えるが、言った瞬間に取りこぼされる何か。テントを建てる者も、街を歩かせる者も、駅に火を放つ者も、同じ何かに突き動かされていた。

ATGが、そしてこの劇場がやったことは、単純です。\
一つの建物の地上では、芸術映画のベルイマンやゴダールやレネが上映され、その地下では若松孝二や足立正生という、当時最もラディカルなドキュメントが上映され、映画が終わった夜半からは前衛劇が幕を開ける。

あの寺山修司が『毛皮のマリー』を上演したのも、蜷川幸雄が演出家としてデビューしたのも、この場所でした。\
そして種を蒔き、芽を育んだATGは、劇場の外で起きている熱気を目にした瞬間、ここで決定的な転回を遂げます。

突如1966年に、ATG配給で、三島由紀夫の実験的な短篇映画『憂国』が新宿文化で上映され、予想を超える成功を収めたのです。この経験から、ATGの内部に一つの構想が芽生えます。

自分たちで作れる時が来たのではないか。\
川喜多かしこが描いた未来は、思いの外早く、強烈な若者、いや、僕たちには想像できない新宿のエネルギーによって、実現することになったのです。

次回、ATGが製作に乗り出す時代です。

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執筆: 三井崇央
編集: TM MAGAZINE
発行元: ジハンジンコ株式会社

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