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title: "安岡正篤が説く郷愿は徳の賊　角を立てない優等生が世を蝕む"
series: "思想の森"
installment: 6
description: "郷愿とは？安岡正篤を今読み直す？安岡正篤の『伝習録』？郷愿とは？いい子・優等生でいるのはなぜ生きづらいのか？郷愿とは何か、なぜ「徳の賊」なのか？三井崇央の見立てでは、角を立てず社会に好かれ、円満な人生を送る優等生のことであり、安岡正篤は『論語』に拠ってこれを徳の賊と説いた。組織の「角を立てない優等生」はなぜ害になるのか（郷愿）？郷愿（きょうげん）とは角を立てず社会に好かれる偽善的な優等生で、安岡正篤は『論語』に拠り彼らを徳の賊と説いた。"
url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/shiso-no-mori/vol-6
language: ja
published: 2026-06-02
updated: 2026-06-02
author: "Takahiro Mitsui (三井崇央)"
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site: "TM MAGAZINE（三井崇央の週刊メールマガジン）"
publisher: "ジハンジンコ株式会社"
issue: 6
issue_title: "TM MAGAZINE Vol.6 社会優等生が世間の病｜郷愿は徳の賊"
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about:
  - name: "郷愿"
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  - name: "安岡正篤"
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# 安岡正篤が説く郷愿は徳の賊　角を立てない優等生が世を蝕む

思想の森 第6回（TM MAGAZINE Vol.6、2026年6月2日発行）　著者：三井崇央

儒学には、「修身斉家治国平天下」という考え方があります。\
国家・社会・他者を変えようとする以前に、まずは自らの心を正す。\
最初のコーナーでは、聖人の言葉に従い、今、何を、どう思っているのかをお伝えします。

***

戦後政財界のフィクサーとして、多方面に影響力を誇った儒者・安岡正篤。僕が日本史で最も敬服している人物ですが、この混迷の時代を見抜いていたかのような言葉を数多く残しています。

安岡は現代の世間の病として、「流通と忠信」「進取と廉潔」「儇狡と朴直」「文法と道議」「形迹と心術」「和同と狷介」という概念を対比させながら、いかに現代人の心が退廃したかを論じ、人々が生死を彷徨う混乱に帰結すると論じています。

明治以降、日本人は儒学を教わる機会がなくなったため、難しいことを言っているように思えるでしょうが、真意は単純明快であり、僕たちが冷静さを取り戻すためにも、儒学を学ぶことは不可欠です。そこで今回は、僕たちが理解できる言葉で見ていきます。

彼が述べたのは、以下です。

> 今の風俗の患は流通を務めて忠信を薄んず。進取を貴んで廉潔を賤しみ、儇狡を重んじて朴直を軽んずる。文法を譏して道議を略し、形迹を論じて心術を遺れ、和同を尚んで、狷介を鄙しむ。その習染は已に久しい。郷愿はまことに徳の賊である。今日人の上たる者にはただその誠のないことだけが心配である。いやしくも風俗の振作を誠心からすれば、天下は必ず共鳴して呼応するものである。
>
> — 安岡正篤『伝習録』

「流通を務めて忠信を薄んず」とは、世渡りばかりを考えて、相手と真摯に向き合う真心と信義を失うことです。誰にでも好かれ、どこでも通用する能力を追求し過ぎるがあまり、汎用的な問題対処は得意だが、特定の相手や信念に対して腹を据えて尽くす誠実さや、簡単に曲げない信義などは希薄になるということです。

多くの人にとって、学歴至上主義、安定志向などは避け難いことでしょうが、こちらにばかり偏ると、一つの仕事を生涯に渡って取り組む気概は生まれないということです。八方美人的な生き方は確かに万人受けしますが、誰に対しても角を立てない代わりに、誰に対しても本気で向き合わない証拠です。広く浅く通用する生き方をし過ぎると、深く一人に尽くす忠信が痩せ細ります。安定の時代ならまだしも、これまでのルールが通用しない混乱期に入った途端、彼らは足場を失い、気づけば周囲に誰もいない孤立を招くという教えです。

AIと無人化社会の本格的な到来期を生きる僕たちこそ、この言葉を深く受け止める必要があります。なぜなら、「流通」はAI・無人化が大きく代替していき、人間が「忠信」に励む生き方へ転換しなければ、『サピエンス全史』などで知られる歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが言う「無用者層」に陥りかねないからです。\
ここを脱却する鍵は、「たった一人に向き合う」ことに始まります。これは効率だけを追求してきた近現代が疎かにしてきたことですが、その代償として、たった一人のために己を尽くすような人間は、ほとんど見かけなくなりました。

次に、「進取を貴んで廉潔を賤しむ」です。進取はポジティブな積極性を意味せず、相手の隙をついて利用する立ち回りのことであり、それが清廉さよりも上位に置かれる問題を指摘したものです。清廉潔白は今や死語になりつつあり、多くの人が相手を差し置いて、自分だけが利益を進取しようとする状態が生じています。これは「自分さえ良ければよい」ことの現れであり、相手に与えることを選択肢から除外する自分本位の生き方です。

この状態は、現在が最も苛烈を極めていますが、必然的に足の引っ張り合いを生み出し、相互不信が蔓延し、誰も信じられなくなるため、その人の生涯も国家の未来も衰亡します。社会的生存のために相手を出し抜くことは仕方がないと人は言いますが、清廉潔白な姿勢を除去すれば、人間として何が残るのだということです。\
そして重要なことは、誰もが生まれてから死ぬまで清廉潔白なのではないということ。清廉潔白とは、そう生きると覚悟した瞬間に始まるものであり、死ぬまで常に清廉潔白であろうとする志に生きることです。それが本当の「生」です。

次に、「儇狡を重んじて朴直を軽んずる」です。「儇狡（けんこう）」は狡猾のことで、要領のよさや、相手を出し抜くズル賢さばかりが重宝され、朴直、すなわち自分に正直に生きることが軽く扱われることです。\
「正直者が馬鹿を見る」という言葉は昔からありますが、今はその極地に位置しています。さらに現代の正直は、社会に対する正直（忠誠）へと変換されてしまい、自分自身に対する誠実、正直を徹底しようとする人は稀です。正直とは、社会や他者に向けて実行されるものではなく、内面的な自分自身の問題でなければなりません。

「文法を譏して道議を略し」とは、法制度を批判したフリや、社会を論じたフリをすることは誰もが長けているが、では何が善いのかという重要な議論は無視されることです。今も、知識人と呼ばれる人々がマスメディアやSNSで根拠の薄い物言いを重ねる光景は珍しくありません。加えて個人の発言力が高まったことで、同じことが誰の身にも起こりうる時代になりました。そこには、未来に対する責任や創造が抜け落ちています。

戦前の場合で言えば、軍国主義を賛美し、大本営の発表する嘘を肯定していた知識人は、高らかに「鬼畜英米」を叫んでいましたが、昭和天皇の玉音放送が行われた直後から、「自分たちは騙されていた」と宣言し、「親米親英」と「民主主義」を高らかに叫びました。\
1960年代後半の学生運動でも、象徴的な東大紛争に敗れた直後から、彼らはそれまでの闘争を「なかったこと」にして、翌日から「就職」を高らかに宣言し、文字通り、彼らが闘ったはずの悪を社会に配備する原動力となりました。\
同じことは、今回も起こります。今、大きな発言力を持って論じている人々が、「自分たちは騙されていた」と口にする時は、必ず来ます。

「形迹を論じて心術を遺れ」とは、見え方や体裁ばかりを論じていて、その人がどういう心で動いているかは問われないということです。注目を集めるための自己ブランディングもこの類ですが、その人が自分自身と真摯に向き合っているか、その上でどのような理想を持ち、どう生きているかは全く問われません。

「和同を尚んで、狷介を鄙しむ」とは、場の空気に合わせることだけが尊ばれてしまい、全員を敵にまわして孤立してでも、筋を通す者は煙たがられるということです。「狷介（けんかい）」は優れた言葉で、自分との内省の果てに至った意志を守り、それを行使する態度のことですが、これこそ儒教の文脈での「真の自由」であり、江戸時代や明治初期頃までは、こうした人格者がそれなりに日本に居ました。これが日本本来の自由の定義です。

これらを述べた後、安岡は儒教の聖典である『論語』に由来する一句を持ち出し、「郷愿は徳の賊である」と締めています。\
「郷愿（きょうげん）」とは、何も悪いことをせず、角を立てず、社会に好かれ、円満な人生を送る優等生のことです。ここで言う「優等生」とは、良い子であろうとするあまり、偽善に傾く人のことで、こうした人々は社会的に（特に官僚制の時代には）重用されますが、何の責任も背負わず、引き受けないため、問題は常に先送りになります。

「波風を立てないこと」を最高の善に据えるため、彼らの影響が強くなる官僚制社会下では、善悪の基準自体が骨抜きになるということです。ゆえに、「徳」という孔子以来の儒教が最も重視してきた人間の至高の善は、優等生によって盗まれると孔子は論じました。言い換えれば、明らかな悪は警戒できるが、本当の問題は善人の顔をした偽善者であり、これが警戒されないまま全体を蝕み、最後には必ず崩壊するという二千年以上の教です。

そして安岡は、「現代の急務として、また名器の太濫、選用の太忽、求効の太速という三弊がある。」と括ります。\
「名器の太濫（たいらん）」は、官僚・役人の甚だしい出鱈目。「選用の太忽（たいこつ）」は国家・会社・組織などの人事の悲惨な間に合わせ。「求効の太速（たいそく）」は速効を求め過ぎることです。この三つの弊害により、トップが腐敗するため、人心は荒みます。ここでの「太」は、過度・過剰ということです。

激動の時勢を生きる今、儒学から多くを学び、再び日本人が責任を取り戻し、自らの生を全うすることが、未来のために欠かせません。僕は常に、日本は西洋ではなく、日本人は西洋人ではないという当たり前の立場から、明治以降の近代化（西洋化）に一貫して批判を向けてきました。日本人に託された使命は、西洋に近代を突き返すことだと信じています。言い換えれば、大航海時代以来続いた五百年の覇権が終わりに近づき、その特権を手放すことへの恐れから足場を見失いつつある西洋に、近代の幕引きを告げるのは日本人ではないか、ということです。

僕たちにとって馴染みの薄い西洋的なものよりも、馴染み深く、深く感激できる儒学から多くを学ぶ方が、はるかに良いはずです。それが日本人が再び復活する一歩であり、今後数十年をかけて、二十一世紀後半に復古するための道となるでしょう。

心から生を全うし、息を引き取る瞬間まで闘い抜いた者の意志や想いは、絶えることなく世界に宿り、やがて後継者が現れると憑依します。歴史とは、文献に記されたものではなく、この「見えない」意志の継承によって育まれてきたものなのです。

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執筆: 三井崇央
編集: TM MAGAZINE
発行元: ジハンジンコ株式会社

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## 三井崇央の本

### 最新作：『和と大和』（三井崇央初の思想書、2026年10月21日）。ほかに『僕は何者なのか？』（日本人のルーツを求めて日本列島をフィールドワークした7年間の記録）、写真集『Where Was I? 僕はどこにいたのか？』

- [和と大和](https://www.amazon.co.jp/dp/B0HNQW4HQ8)（Kindle、2026/10/21）: 三井崇央初の思想書。「和」とは何か。魏の使者が聞いた「ワ」の音から、卑弥呼、十七条憲法、太子信仰、水戸、幕末、明治、戦後へ。和の変様の跡を辿り、多元の和を疎外した先に立ち現れる単一の「大和」（空気・同調圧力・忖度）を、山本七平『「空気」の研究』の先に位置付ける。
- [僕は何者なのか？](https://www.amazon.co.jp/dp/B0GTJ3WZKD)（Kindle、2026/03/23）: 自分のルーツは、両親ではなく祖父母を見ることで辿れる。1991年生まれの僕が、祖父母の故郷（石見の五十猛と温泉津、秋田の横手、瀬戸内の大三島）から津軽、岩木山、出雲、諏訪、宇佐へと、2019年から7年間日本列島のフィールドワークを行い、縄文・弥生・古墳の層に多元的な日本人の姿を探った記録。
- [Where Was I? 僕はどこにいたのか？](https://www.amazon.co.jp/dp/B0HM2WJVL1)（Kindle、2026/04/09）: まだ見ぬ未来への羅針盤。2019年から7年間、日本列島をフィールドワークして撮り続けた写真集。高千穂から始まった旅は、神武東征の道、北東北の紅葉と縄文、風土、海人族の海、出雲、そして津軽へと続き、やがて「僕はどこにいたのか？」という問いへ向かっていく。日本語と英語の二言語。
- [NO ONE DECIDED: Wa and the World's Most Orderly Society](https://www.amazon.com/dp/B0HNP81CR3)（English edition of 『和と大和』, Kindle, 2026/10/21）: Takahiro Mitsui's first book in English, the English edition of 和と大和 (Wa and Daiwa). No one decided, and yet it is decided; no one ordered it, and yet everyone obeys. Mitsui names what lies beneath Japan's order: wa (和), the invisible working that makes the "one" possible whenever people become one, and separates it from Daiwa, the "Great Wa".
- ほかの著書: https://www.amazon.co.jp/stores/author/B09P7R6Q25
