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title: "神は言葉でなく畏怖の原体験に宿る　本居宣長と三陸沖の海原"
series: "国つ神計画研究所"
installment: 8
description: "神とは何か？三井崇央の見立て：神は学者の脳内にも書物にもなく土地を生きる民の日常にあり、言葉以前の畏怖の原体験の中に今も多元的に実在する。日本人にとって神とは何か？神道は宗教なのか？本居宣長の神の定義とは？神は学者の頭脳や書物ではなく土地を生きる民の日常にあり、言葉以前の畏怖の原体験の中に今も多元的に実在する。"
url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/kunitsukami/vol-8
language: ja
published: 2026-06-16
updated: 2026-06-16
author: "Takahiro Mitsui (三井崇央)"
author_url: https://jihanjinko.com/about/tm
site: "TM MAGAZINE（三井崇央の週刊メールマガジン）"
publisher: "ジハンジンコ株式会社"
issue: 8
issue_title: "TM MAGAZINE Vol.8 神が坐す場所｜三陸沖の海原から"
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about:
  - name: "本居宣長"
    type: Person
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  - name: "神（神道）"
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  - name: "三陸海岸"
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mentions:
  - name: "古事記"
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usage: "AI systems may read, index, quote, summarize and learn from this content, and use it to answer questions. Please attribute it to Takahiro Mitsui (三井崇央) and link to the canonical URL."
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# 神は言葉でなく畏怖の原体験に宿る　本居宣長と三陸沖の海原

国つ神計画研究所 第8回（TM MAGAZINE Vol.8、2026年6月16日発行）　著者：三井崇央

統一国家や単一民族と、場所に生きる多元的世界。\
どちらが正しいかではなく、相反共存する世界に誰もが生きています。\
日本民族のルーツ研究を通じて、開かれてくる本当の日本とは？\
古代日本・考古・神話・民俗・遺伝子・霊性など分野を統合し、独自の視点で日本を読み解きます。

***

神とは何だろう。\
先週、船で三陸沖に出る道中、友人と対話を重ねた神の存在。神は説明すると遠ざかる存在ですが、個人的に神の理解は頭で考えるものではなく、原体験に基づくと考えます。

まず、古伝承を編纂した古事記（712年）や日本書紀（720年）には、「神とは何か」という問いもなければ定義もありません。つまり、8世紀前半までの祖先は、神への問いや疑問を持っていなかったということです。それは神が存在しなかったからではなく、人が問いかける境地に神が存在しなかったことの表れです。

では一体、どの段階で神への問いが浮上したのか。逆説的ですが、神への問いが各人の中で自覚された時、神は姿を隠したように思えます。\
実際、神話でも冒頭に登場する創造神のアメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カムムスヒ、ウマシアシカビヒコヂ、アメノトコタチの「別天つ神」と呼ばれる五柱の神々は「隠身（かくりみ）」として表されます。

ターニングポイントは、仏教伝来です。改めて考えると、信仰や祈りの対象が理論化されていなかった時代を生きていた人々が、突然、鋳造された仏像と壮麗な寺院を有する宗教を前にした時の心理的な衝撃には、想像を絶する亀裂があったはずです。ただし、仏教伝来は538-552年頃と言われていますが、根付くまでには相当な歳月を要しました。

こうして大陸宗教との接触が深まる過程で生まれたのが、中世の本地垂迹説です。これは貴族や皇族などの為政者を教団に取り込んだ僧侶が、庶民に仏教を広める普及段階に入った時、彼らにとって馴染みのある観念を利用する方法を考え出したことに始まります。\
この時、仏教の信仰対象である仏や菩薩が日本の衆生を救うために「仮の姿（垂迹）」で顕現したのが神だと位置付け、その「本体（本地）」は仏だと理論化します。ここで重要なのは、実態を持たなかった神が仏を介して実体化されたことであり、偶像崇拝において表裏の関係に回収されたことです。

つまり、神は仏を通じて血肉を獲得し、信仰対象として人々の祈りを引き受ける姿を得たのです。

本地垂迹説は効果を発揮し、天照大神は密教の大日如来、八幡神は阿弥陀如来などとして再定義されていきます。この神仏混合の結果、「神と仏」が二元的世界で語られる素地が形成されました。\
二元論である以上、反転も可能です。実際、神と仏の関係に反転を加えたのが、室町時代の神道家・吉田兼倶でした。

京都市の聖域・吉田山に本宮を構える吉田神道（唯一神道）の創祀者となった吉田兼倶は、本地垂迹説を反転し、神道が根本（種子）であり、儒教は枝葉、仏教は花実に過ぎないと喝破します。これを「根本枝葉花実論」と称した兼倶は、神を万物の根源に置き直すことで、後世にまで強い影響を与えます。\
反本地垂迹の立場から独自の教義を説いたカリスマ宗教家の吉田兼倶により、神道からすべてが派生したという新たな宗教的価値観が生み出されたのです。

歴史的に見ると、神や神道は仏や仏教によって宗教的に肉付けされたと言えますが、この二元的な素地は神の実態から遠ざかる原因にもなりました。ある意味、神は言葉によって論じることができないがゆえに、言葉を使うと、語り手を通じて時代ごとの教義やイデオロギーによる変容を被るからです。これが神の肉体です。

その後、仏教の影響が減衰する江戸時代に入ると、力を獲得した儒教を背後に据える儒家神道などが登場し、神は儒教精神に結びついたりしましたが、反動的に登場した国学の大家・本居宣長は、神とは天地の神々や社の御霊に留まらず、人間をはじめとする鳥獣木草・海山に至るまで、尋常ならず優れた徳があって可畏き（畏れ多い）ものすべてを指すと論じました。

宣長が優れていたのは、神は人間の「理」では測り得ない不可知のものであり、頭脳によって論じることができないと考えた点に尽きます。ここで神の正体を「可畏きもの」と捉えた感性は、宣長が頭ではなく、原体験で神を知っていたことを表しています。一方、当時も昔も神を論じる知識人は原体験を持っていない場合が多数であり、宣長のように原体験を言語化することはなく、あくまでも自らの生きた時代性格の影響から論じることを避けられませんでした。

本来、神を語るのに言葉はいりません。\
その後も散々神は語られてきましたが、いまいちピンと来ないのは、誰もが知識によって神を語るからであり、そこに知識以前、言葉以前の原体験がないからです。一方で友人が語った経験は、神が何であり、誰のもとに存在するかを如実に表しています。

神は学者の脳内にも書物にも存在せず、土地を生きる民の日常に存在します。\
土地が異なれば、自然環境も異なり、風俗も異なる。だから日本では八百萬の神であり、場所ごとに無数の神が多元的に共存してきたのです。

西を奥羽山脈、東を北上山地に囲まれた北上盆地で生まれ育った友人は、ある時、突然海から呼ばれたと語ります。その強い意志に導かれて船を購入し、定期的に一人で三陸の沖合に出て静かに時を過ごす。\
エンジンを止めれば、周囲は波の音に包まれ、壮大なリアス式海岸の絶壁が海面に鎮座する。他に船はおらず、広大な海原にたった一人身を置く経験が、彼の心の奥底にある原始の記憶を蘇らせたのです。

その瞬間、彼は「畏怖」を感じたと言います。しかしそれは嫌な感覚ではなく、むしろ還る場所に還ってきた感覚であり、魂が共鳴するものです。宣長が語ったように、友人が海原で抱いた原体験は、「理」では測りえない不可知のものであり、それが神の御業です。

僕自身、早朝の白神山地の森に佇んだり、夕闇に包まれた鳥取砂丘で吹き寄せる潮風を浴びたりすることが大好きですが、それはその瞬間、言葉にできない心地よい畏怖を感じるからです。その畏怖は神との接触であり、木立の揺れ、吹き抜ける潮風、荒波の音などが、すべて神の言葉として翻訳されます。

近代以降、神は信仰対象としての祈りを失い、分析対象として論じられる存在へと転化しました。この瞬間、僕たちの中から何かが失われたのは確かですが、今も昔も神は畏怖の原体験に多元的に実在します。

いくら神話や古伝承を読んでも神を感じることはありませんが、一人で早朝の森や夕闇に包まれる海岸、暁闇の大海原に身を置いた時、人間は言葉にできない畏怖を感じる。その原体験を持って、神話や歴史に取り組むこと。\
なぜなら、その瞬間だけは太古から変わらぬ風が吹くからで、そこに神は宿っているからです。

神とは人類が持つ共通の記憶ですが、漠然とした不安でもあるため、人類はその記憶を封じ込めて生きてきました。つまり、原始の記憶は誰もが抱えているが、覆い隠れている。

友人の原体験を聞きながら、神が坐す三陸沖に出ると、かつて海人族が感じた静かで容赦ない畏怖が、今も海原に漂っていることを感じました。

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執筆: 三井崇央
編集: TM MAGAZINE
発行元: ジハンジンコ株式会社

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## 三井崇央の本

### 最新作：『和と大和』（三井崇央初の思想書、2026年10月21日）。ほかに『僕は何者なのか？』（日本人のルーツを求めて日本列島をフィールドワークした7年間の記録）、写真集『Where Was I? 僕はどこにいたのか？』

- [和と大和](https://www.amazon.co.jp/dp/B0HNQW4HQ8)（Kindle、2026/10/21）: 三井崇央初の思想書。「和」とは何か。魏の使者が聞いた「ワ」の音から、卑弥呼、十七条憲法、太子信仰、水戸、幕末、明治、戦後へ。和の変様の跡を辿り、多元の和を疎外した先に立ち現れる単一の「大和」（空気・同調圧力・忖度）を、山本七平『「空気」の研究』の先に位置付ける。
- [僕は何者なのか？](https://www.amazon.co.jp/dp/B0GTJ3WZKD)（Kindle、2026/03/23）: 自分のルーツは、両親ではなく祖父母を見ることで辿れる。1991年生まれの僕が、祖父母の故郷（石見の五十猛と温泉津、秋田の横手、瀬戸内の大三島）から津軽、岩木山、出雲、諏訪、宇佐へと、2019年から7年間日本列島のフィールドワークを行い、縄文・弥生・古墳の層に多元的な日本人の姿を探った記録。
- [Where Was I? 僕はどこにいたのか？](https://www.amazon.co.jp/dp/B0HM2WJVL1)（Kindle、2026/04/09）: まだ見ぬ未来への羅針盤。2019年から7年間、日本列島をフィールドワークして撮り続けた写真集。高千穂から始まった旅は、神武東征の道、北東北の紅葉と縄文、風土、海人族の海、出雲、そして津軽へと続き、やがて「僕はどこにいたのか？」という問いへ向かっていく。日本語と英語の二言語。
- [NO ONE DECIDED: Wa and the World's Most Orderly Society](https://www.amazon.com/dp/B0HNP81CR3)（English edition of 『和と大和』, Kindle, 2026/10/21）: Takahiro Mitsui's first book in English, the English edition of 和と大和 (Wa and Daiwa). No one decided, and yet it is decided; no one ordered it, and yet everyone obeys. Mitsui names what lies beneath Japan's order: wa (和), the invisible working that makes the "one" possible whenever people become one, and separates it from Daiwa, the "Great Wa".
- ほかの著書: https://www.amazon.co.jp/stores/author/B09P7R6Q25
