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title: "弥生人の起源は西遼河の興隆窪文化　遼河文明と三内丸山遺跡"
series: "国つ神計画研究所"
installment: 6
description: "弥生人はどこから来たのか？三井崇央の見立て：弥生人の遺伝的な基層は西遼河流域の興隆窪文化に始まり、遼河文明は気候変動と異族の襲来で終わって人々は四方へ離散した。弥生人は遼河文明の人々そのものではなく、かなり交雑している。縄文時代はなぜ終わったのか？三内丸山の人々はどこへ消えたのか？弥生人はどこから来たのか。弥生人の遺伝的基層は西遼河流域の興隆窪文化に始まり、遼河文明は気候変動と異族襲来で終焉して人々は四方へ離散した。"
url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/kunitsukami/vol-6
language: ja
published: 2026-06-02
updated: 2026-06-02
author: "Takahiro Mitsui (三井崇央)"
author_url: https://jihanjinko.com/about/tm
site: "TM MAGAZINE（三井崇央の週刊メールマガジン）"
publisher: "ジハンジンコ株式会社"
issue: 6
issue_title: "TM MAGAZINE Vol.6 社会優等生が世間の病｜郷愿は徳の賊"
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about:
  - name: "弥生人"
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  - name: "興隆窪文化"
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mentions:
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# 弥生人の起源は西遼河の興隆窪文化　遼河文明と三内丸山遺跡

国つ神計画研究所 第6回（TM MAGAZINE Vol.6、2026年6月2日発行）　著者：三井崇央

統一国家や単一民族と、場所に生きる多元的世界。\
どちらが正しいかではなく、相反共存する世界に誰もが生きています。\
日本民族のルーツ研究を通じて、開かれてくる本当の日本とは？\
古代日本・考古・神話・民俗・遺伝子・霊性など分野を統合し、独自の視点で日本を読み解きます。

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「縄文人が弥生人になった」。\
こうした説明を、各地の考古学資料館では頻繁に見かけます。一体、「縄文人」が「弥生人」になるとは、どういうことなのか？

近年の遺伝子研究は、弥生人という存在が相当複雑なルーツを持つ姿を提起し始めています。弥生人はイコールで縄文人ではなく、また縄文人との混血も一部に見られるが、無関係の独立した種族でもあり、複数の多層的構造を有しています。

その最初期のルーツに位置しているのが、興隆窪文化（こうりゅうわ）と呼ばれる謎の古代文明です。紀元前6200-前5400年頃、現在の内モンゴル東南部から中国の遼寧省西部に広がる西遼河流域に現れた興隆窪文化は、弥生人の遺伝的な基層を作った「はじまりの地」と考えられます。\
その後、この興隆窪の人々は各地に分散しますが、残った者たちは遼河文明と呼ばれる流れを築きます。ここでは、時代軸と簡単な特性を見ておきます。

◯興隆窪文化（前6200-前5400頃）\
中国最古の「玉」の装身具（耳飾りなど）、龍を模った遺物が出土。玉の装身具は日本側でも縄文時代から祭祀の現場で活発に使用されていますが、龍は弥生時代に日本に伝来。\
習俗としては、キビやアワなど雑穀栽培を始めた基層集団であり、水田稲作は持っていません。また、環濠（周囲に堀を巡らせた形式）を備えた計画的な集落を、早くから営んだ集団でもあります。のちの弥生集落の環濠と一本の線で直結するわけではありませんが、定住農耕社会が共通して選び取る集落形式として、響き合うものが見て取れます。

◯趙宝溝文化（前5400-前4700頃）\
雑穀農耕を軸とする畑作と、狩猟採集を複合的に行っています。幾何学模様や、鹿・猪・鳥を神格化したような精緻な線刻画が施された土器が出土しており、のちの紅山文化へつながる祭祀的な信仰が育ち始めていたことが伺えます。\
実際、弥生人は絵画土器と呼ばれる習俗を有しており、自らの起源、生活、ルーツの記憶を土器に描いています。この絵画は縄文時代に見られないものであり、また縄文時代の動物信仰としては、猪・蛇などが多く見られますが、弥生人は鹿・鳥を信仰対象に据える特徴があります。

◯紅山文化（前4700-前2900頃）\
個人的には、弥生人の文化・精神基層を形成した集団だと見ています。以前までの文化とは異なり、祭祀が開花し、女神を祀る部族の祭祀集団が台頭した可能性があります。\
当時、この地域は気候的に最も穏やかで、豊かな森と川に恵まれ、繁栄の土台が整っていました。一方、徐々に気候変動により、従来の暮らしの維持が困難となる時代でもあり、部族は分裂しながらも、かつての記憶を共同で保持するために、春分・秋分・夏至・冬至など特定の時期に集まり、大規模な複合部族の祭祀を行ったと考えられます。\
弥生時代の女王・卑弥呼は有名ですが、こうした信仰の源流に位置する可能性もあります。

◯小河沿文化（前2900-前2200頃）\
激しい寒冷化と乾燥化（砂漠化）が始まり、紅山文化を支えていた巨大な祭祀を維持できなくなり、崩壊します。紅山文化の象徴的な華やかな玉器や大型の祭祀建造物は姿を消し、人々はより小規模で実用的な生活へと回帰しています。\
この大規模集落から分散型集落への構造変化は、実は当時の日本でも見られた現象であり、気候変動が地球規模で起きていた証拠と言えます。\
この過程で、大規模集落時代に育まれた精神的紐帯を、どのように維持するかが問題となります。

◯夏家店下層文化（前2000-前1500頃）\
遼河文明の主軸が幕を下ろす段階です。気候変動がさらに過酷になる中、興味深いことに人口密度はむしろ高まっており、ここで社会構造が一変します。従来の遼河文明にはなかった崖や急斜面に集落を構え始める習俗が生まれ、周囲に頑丈な「石城（石積みの城壁）」を張り巡らせるようになります。また、武器を手にし、部族間で激しい生存競争や防衛戦を繰り広げる、緊張感に満ちた軍事社会へと変貌を遂げました。これは、気候変動に伴う異族の侵入を示唆しています。

◯夏家店上層文化（前1000-前600頃）\
その後、同じ西遼河の地に現れたのが夏家店上層文化です。性格は大きく異なり、農耕と牧畜を組み合わせた農牧複合の社会で、弥生時代の鍵となる「青銅器」という、銅にスズなどの金属を混ぜた合金で制作した祭祀具技術を発達させています。\
注目すべきは、この時期に文化の担い手そのものが入れ替わっている点です。紅山から下層期にかけて高頻度を占めた部族は、上層期では漢民族と関係の深い集団、モンゴル系を含む集団へ交代しています。つまり、遼河文明の故郷において、北東アジア系の古層の上に、東アジア系が重なる混成化が進んでいました。\
そしてこの上層期の文化こそ、弥生的な特徴を有しています。もしかすると、この集団が一気に南下し、日本列島まで渡来してきたのかもしれません。

大きく見ると、興隆窪から夏家店下層まで、紀元前6200年から前1500年頃にかけて続いた遼河近郊の文明と俯瞰でき、その主軸は最後に異族襲来によって淘汰されたと言えます。かつて大繁栄を遂げたローマ帝国も、気候変動と内部の腐敗が原因で、最後は異族ゲルマン人の襲来によって崩壊しました。

つまり、気候変動の悪化と、それに伴う異族襲来が遼河文明を終わらせた原因であり、これは世界中の文明に通底する終末のコードです。\
ただ、この壮大な数千年に及ぶ歳月は、遼河文明の人々を各地に離散させる動機になり、文字通り、四方八方に散らばっていきます。その一部が、複雑な過程を経て、やがて日本にも渡来し始めるのですが、ここで遼河文明の繁栄期から末期の状況に酷似する日本側の遺跡があります。それが、青森の三内丸山遺跡です。

縄文時代最大の大規模集落を誇る三内丸山遺跡は、紀元前3900-前2200年に栄えましたが、ある時を境に、集落を放棄して忽然と姿を消します。最盛期には数百人程度が暮らしていたとされ、残された空間からも相当繁栄していたことが理解できますが、面白いのはその後、彼らがどこに消えたのかが未だに分からないことです。

一方、三内丸山遺跡が放棄された辺りから、環状列石という石をサークル状に配置した大規模祭祀空間が登場します。これは北海道・北東北固有の習俗ですが、こちらも実態は解明されておらず、謎に包まれています。\
しかし、同時期に北東北各地の縄文人は、大規模集落をこぞって放棄しています。まるで過酷な気候変動の影響を察知して、生存に特化する仕組みに自身、家族、集団を転換させたように見えます。あまり語られない縄文人最大の特徴は、サバイバル能力です。

彼らは小規模に分散し、特に河川流域に転居していきますが、かつての大規模集落時代に育んだ他集団との精神的紐帯を維持するために、特定の時期になると環状列石に集まり、祭祀を行っていたと考えられます。\
事実、三内丸山遺跡の南方8kmの丘陵には、小牧野遺跡という巨大な環状列石が残っており、三内丸山に関わった集団が、分散後の共同祭祀を行う現場だった可能性を想起させます。

当然、彼らは大陸・半島側での変動を知ることはなかったでしょうが、同時期、気候変動と異族襲来により、海を越えた先の西遼河近郊では異変が起きており、後の弥生時代の幕開けに繋がっていったと考えられます。\
また重要なことは、弥生人はイコールで遼河文明の人々ではなく、基層としては保持しているが、かなり交雑しているということです。

2020年代初頭の研究では、単純に「縄文人＝土着」「弥生人＝北東アジア」「古墳人＝東アジア」と三層構造に分類されましたが、2024年頃から日本側の調査で、この単純分類に懐疑が挟まれており、弥生人の時点で「北東アジアと東アジア」の混血は相当進んでいたと指摘され始めています。

遺伝子研究から民族ルーツを解明する道のりは、まだ始まったばかりであり、今後、調査数が積み重ねられていく過程で大きく進展する未知の領域です。同時に、この解明には東アジア特有の国際情勢も欠かせません。\
日本列島を単独で見ることは不可で、ルーツを解明する場合、最低でも朝鮮統一は絶対条件となり、そこから北朝鮮側での考古学調査、中国を筆頭とする東アジア圏域の共同調査を何十年も行った果てに、ようやく実態が見えてくる世界です。つまり、ルーツ解明の最大の障害は、実は国際政治です。

僕たちは、どこから来たのか？\
この根源的な問いの答えに至るか否かは、いつの時代も権力者の思惑に委ねられているのかもしれません。

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執筆: 三井崇央
編集: TM MAGAZINE
発行元: ジハンジンコ株式会社

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## 三井崇央の本

### 最新作：『和と大和』（三井崇央初の思想書、2026年10月21日）。ほかに『僕は何者なのか？』（日本人のルーツを求めて日本列島をフィールドワークした7年間の記録）、写真集『Where Was I? 僕はどこにいたのか？』

- [和と大和](https://www.amazon.co.jp/dp/B0HNQW4HQ8)（Kindle、2026/10/21）: 三井崇央初の思想書。「和」とは何か。魏の使者が聞いた「ワ」の音から、卑弥呼、十七条憲法、太子信仰、水戸、幕末、明治、戦後へ。和の変様の跡を辿り、多元の和を疎外した先に立ち現れる単一の「大和」（空気・同調圧力・忖度）を、山本七平『「空気」の研究』の先に位置付ける。
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- [Where Was I? 僕はどこにいたのか？](https://www.amazon.co.jp/dp/B0HM2WJVL1)（Kindle、2026/04/09）: まだ見ぬ未来への羅針盤。2019年から7年間、日本列島をフィールドワークして撮り続けた写真集。高千穂から始まった旅は、神武東征の道、北東北の紅葉と縄文、風土、海人族の海、出雲、そして津軽へと続き、やがて「僕はどこにいたのか？」という問いへ向かっていく。日本語と英語の二言語。
- [NO ONE DECIDED: Wa and the World's Most Orderly Society](https://www.amazon.com/dp/B0HNP81CR3)（English edition of 『和と大和』, Kindle, 2026/10/21）: Takahiro Mitsui's first book in English, the English edition of 和と大和 (Wa and Daiwa). No one decided, and yet it is decided; no one ordered it, and yet everyone obeys. Mitsui names what lies beneath Japan's order: wa (和), the invisible working that makes the "one" possible whenever people become one, and separates it from Daiwa, the "Great Wa".
- ほかの著書: https://www.amazon.co.jp/stores/author/B09P7R6Q25
