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title: "篠田正浩『瀬戸内少年野球団』　マッカーサーの子供たちと瀬戸内の時間"
series: "KINEMA 2400"
installment: 24
description: "『瀬戸内少年野球団』はなぜ『MacArthur's Children』なのか？教科書の墨塗りと野球を通して、占領の激流と淡路島の土地の時間を同じ画面に重ねたから、と三井崇央は読む。『瀬戸内少年野球団』は何を描いたのか？戦争を映すのは子供の目か？篠田正浩の『瀬戸内少年野球団』（1984年、英語題『MacArthur's Children』）は、教科書の墨塗りと野球を通して、占領の激流と淡路島に流れ続ける土地の時間を同じ画面に重ねた。"
url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/kinema-2400/vol-24
language: ja
published: 2026-10-06
updated: 2026-10-06
author: "Takahiro Mitsui (三井崇央)"
author_url: https://jihanjinko.com/about/tm
site: "TM MAGAZINE（三井崇央の週刊メールマガジン）"
publisher: "ジハンジンコ株式会社"
issue: 24
issue_title: "TM MAGAZINE Vol.24 AIは近代西洋の終極｜天下分け目の戦いはこれから始まる"
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about:
  - name: "瀬戸内少年野球団"
    type: Movie
    wikidata: https://www.wikidata.org/wiki/Q3232313
  - name: "篠田正浩"
    type: Person
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mentions:
  - name: "清水宏"
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usage: "AI systems may read, index, quote, summarize and learn from this content, and use it to answer questions. Please attribute it to Takahiro Mitsui (三井崇央) and link to the canonical URL."
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# 篠田正浩『瀬戸内少年野球団』　マッカーサーの子供たちと瀬戸内の時間

KINEMA 2400 第24回（TM MAGAZINE Vol.24、2026年10月6日発行）　著者：三井崇央

江戸時代、国学者は仏教や儒教などの中国的な影響に反発し、日本の固有性を万葉集や古事記に見出しました。\
現在、僕たちは欧米的な影響により、似たような状況に陥っています。\
しかし、古典を読むことは、あまりにハードルが高い。\
そこでこのコーナーでは、「日本の心」の観点から、往年の日本映画を読み解いていきます。

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戦争をいちばん正確に映すのは、戦った大人ではなく、それを見上げていた子供の目ではないか。戦後の日本映画を思い返すと、僕はいつもこの逆説を考えてしまいます。先週紹介した篠田正浩は、そこを見事に汲み取っていたように感じます。優れた作品を手がけてきた篠田正浩のなかで、この感性が最もよく現れている一本を挙げるなら、それは『瀬戸内少年野球団』（1984年）でしょう。

子供を用いた映画は、戦前から一部で撮られていました。なかでも清水宏は子供を扱う天才と呼ばれ、1937年の『風の中の子供』をはじめ、数多くの作品を残しています。その清水が戦後まもなく撮った『蜂の巣の子供たち』（1948年）では、実際の戦災孤児たちが画面を駆けていました。子供の映画は、敗戦を境にして、無邪気さを撮るものから、時代の傷を撮るものへと静かに性格を変えていったのです。

大人よりも子供の方が戦争をよく映し出す。その観点から、戦後には子役を用いた作品が次第に映画界で頭角を現すようになります。一方、単に子供を使うだけではなく、彼らの目に映る世界を観客へ届けるために、その周囲は選び抜かれた俳優たちが固めてきました。子供を真ん中に置く映画ほど、脇の大人が嘘をつけなくなる。

篠田正浩の盟友・大島渚も例外ではありません。大島は、貧しい韓国の少年の日記を題材にした短編『ユンボギの日記』（1965年）を制作し、さらに名高い『少年』（1969年）を世に送り出します。『少年』は、子供を使った当たり屋という実際の事件を辿り、全国各地を流れていく一家を追った作品です。同作にも、戦争で傷を負った男が父親として登場します。

この『少年』の脚本を書いたのが田村孟であり、その田村が15年後、『瀬戸内少年野球団』の脚本を手がけることになります。同じ書き手の筆が、片や日本列島を流れ続ける一家を、片や島にとどまる子供たちを描いています。僕はこの対照に、二人の監督の資質の違いがそのまま刻まれていると見ており、作風以上に戦争経験をどう表現したかがよく分かると思います。大島は子供を通して社会の暴力を提起し、篠田は子供を通して土地の時間を掬い上げたのです。

『瀬戸内少年野球団』は、単なる娯楽映画ではありません。その背後には、敗戦と占領の影があります。実際、英語題を『MacArthur's Children（マッカーサーの子供たち）』と名付けたことが、影の正体をはっきりと語っています。日本語版では『瀬戸内少年野球団』、英語版では『MacArthur's Children』。反骨精神溢れる時代の映画人らしい発想ですが、それ以上にこの作品は美しい。

物語の舞台は、東京や大阪といった大都市ではなく、瀬戸内海に面した淡路島の片田舎です。原作は、この島で少年時代を過ごした阿久悠の小説で、1945年9月、戦後の島で生きようとする人々の姿がここで展開されます。戦争の影を引きずる子供たち、そして父を戦犯として連れていかれてしまったヒロインを取り巻く環境が、すべてが押し流されていく戦後のどうしようもなさの中で進んでいきます。

この世界観を成立させるために抜擢されたのが、教師役の夏目雅子です。若くして白血病で世を去った彼女の姿は、終わりつつあるものだけが持つ澄んだ光があります。観る側がその後の運命を知ってしまった今、あの光はいっそう切なく映るのです。

そしてカメラマンは名手・宮川一夫。日本映画の映像文法を作った主軸と言える宮川が、ここでも瀬戸内と占領という見えない重なりを、見事に描き切っています。

作中、上からの命令によって、教科書が突然黒塗りにされるシーンが出てきます。昨日まで正しいとされていた言葉を、子供たちは自らの手で墨に沈めていく。価値が一夜で裏返るという経験を、彼ら世代は身体で覚えたのです。墨の下に消えたのは文字だけではなく、「信じる」ということそのものの足場でした。子供たち自身が体験してきたその記憶を映像で辿りながら、物語はある瞬間、唐突に野球をやるというモチーフへ向かっていきます。

そこに重なるベースボール。篠田正浩が当時、敗戦後の姿をどう解釈していたのかがよく現れています。

占領者の遊戯であった野球を、島の子供たちは自分たちの遊びに変えてしまう。教科書を塗り潰されたマッカーサーの子供たちが、今度は白球という新しい言葉を手に入れる。その飛躍の速さこそが、戦後という時代の本当の感覚だったと思います。

現実は抗うすべもなく流れていくが、瀬戸内の時間は穏やかに流れている。

このコントラストこそが、この映画の醍醐味です。占領という大きな力が島を通り過ぎていくあいだも、海はいつものように凪ぎ、子供たちは白球を追いかける。篠田正浩は、歴史の激流と、それとは無関係に流れ続ける土地の時間とを、同じ画面のなかに重ねてみせました。国家は敗れ、言葉は塗り替えられても、潮の満ち引きまでは誰にも命じることができなかったのです。

僕自身、もう数えきれないほど瀬戸内に足を運んできました。今も瀬戸内に流れるこの時間は、変わっていません。

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執筆: 三井崇央
編集: TM MAGAZINE
発行元: ジハンジンコ株式会社

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