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title: "ATGはなぜ終わったか　全額出資でATGはATGでなくなった"
series: "KINEMA 2400"
installment: 16
description: "ATGはなぜ終わったのか？観客が消え、1979年に全額出資へ変わった時点でATGはATGでなくなり、その手法も大手に吸収された、と三井崇央は読む。ATG はなぜ終わり、何を遺したのか？ミニシアターの起源は？ATGは観客の消失と1979年の全額出資方針で変質し、手法も大手に吸収されて終わったが、人と言葉と仕組みを遺した。"
url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/kinema-2400/vol-16
language: ja
published: 2026-08-11
updated: 2026-08-11
author: "Takahiro Mitsui (三井崇央)"
author_url: https://jihanjinko.com/about/tm
site: "TM MAGAZINE（三井崇央の週刊メールマガジン）"
publisher: "ジハンジンコ株式会社"
issue: 16
issue_title: "TM MAGAZINE Vol.16 日本人的とは何か？ ｜「邪魔な主語」を無化する高度な技術"
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series_url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/kinema-2400
about:
  - name: "日本アート・シアター・ギルド"
    type: Organization
    wikidata: https://www.wikidata.org/wiki/Q2864573
  - name: "アートシアター新宿文化"
    type: Place
    wikidata: https://www.wikidata.org/wiki/Q125216818
mentions:
  - name: "田園に死す"
    type: Movie
    wikidata: https://www.wikidata.org/wiki/Q7143041
  - name: "竜馬暗殺"
    type: Movie
    wikidata: https://www.wikidata.org/wiki/Q7385304
  - name: "葛井欣士郎"
    type: Person
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  - name: "連合赤軍"
    type: Organization
    wikidata: https://www.wikidata.org/wiki/Q2031938
  - name: "あさま山荘事件"
    type: Event
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  - name: "オイルショック"
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    wikidata: https://www.wikidata.org/wiki/Q4574284
  - name: "岩波ホール"
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  - name: "川喜多かしこ"
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  - name: "高野悦子"
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  - name: "エキプ・ド・シネマ"
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  - name: "大樹のうた"
    type: Movie
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  - name: "ミニシアター"
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  - name: "佐々木史朗"
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  - name: "家族ゲーム"
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  - name: "濹東綺譚"
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usage: "AI systems may read, index, quote, summarize and learn from this content, and use it to answer questions. Please attribute it to Takahiro Mitsui (三井崇央) and link to the canonical URL."
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# ATGはなぜ終わったか　全額出資でATGはATGでなくなった

KINEMA 2400 第16回（TM MAGAZINE Vol.16、2026年8月11日発行）　著者：三井崇央

江戸時代、国学者は仏教や儒教などの中国的な影響に反発し、日本の固有性を万葉集や古事記に見出しました。\
現在、僕たちは欧米的な影響により、似たような状況に陥っています。\
しかし、古典を読むことは、あまりにハードルが高い。\
そこでこのコーナーでは、「日本の心」の観点から、往年の日本映画を読み解いていきます。

***

文化が終わるとき、たいてい誰も気づきません。

1974年、ATGは二本の傑作を世に出しました。寺山修司『田園に死す』と、黒木和雄『竜馬暗殺』。ATG方式の頂点であり、同時に、ひとつの時代の終わりでもありました。

同じ年、ATGの拠点、いや、時代の拠点だったアートシアター新宿文化が、その役割を終えます。1962年の開館から、12年。総支配人の葛井欣士郎が辞任したことに始まります。理由は、劇場が、世に問うことから、一般の商業映画館へ切り替わったからです。同時期、ATGは海外芸術映画の配給を打ち切ります。

輸入し、育て、作る。その最初の一本目が、静かに外されたのです。

なぜ、熱が引いたのか。理由は明白です。あの問いを抱えた観客が、消えたからです。第一回で、60年代を始めたのは、巨大な敗北感だと書きました。では、その季節にとどめを刺したのは何なのか。

それは、弾圧ではなく、内側からの崩壊でした。ATGが終わる同年、象徴的な事件が起きます。1972年の連合赤軍です。山岳ベースで「総括」と題した同志殺しと、あさま山荘事件が勃発。テレビは一日中それを映し、日本中が見ました。この瞬間、政治で世界を変えられなかったという敗北の上に、変えようとした者たちが、仲間を殺したという重い事実が重なったのです。

さらに、翌1973年にオイルショック。高度成長が終わり、街の空気が一変します。人はなぜ死ぬのか。私とは何なのか。あの問いを、口に出すことがなくなったのです。「しらけ」という言葉が世代の名前になっていくのは、この数年です。

問いを抱えた若者が街からいなくなれば、その問いに応える映画館は、成立しません。すると、問い自体を生成する先鋭的、前衛的、実験的な作品は、必要性を失う。実際、ATGの衰退は、この歴史そのものでした。

ところが、新宿文化が消えた同年の1974年2月12日。神保町の岩波ホールで、ひとつの上映運動が始まります。これに関わったのも、川喜多かしこでした。彼女が総支配人の高野悦子とともに立ち上げた「エキプ・ド・シネマ」が誕生し、第一回上映作品として、インドのサタジット・レイ『大樹のうた』が上映されました。

火は、新宿から神保町へと移ったのです。

この運動が、のちに「ミニシアター」と呼ばれる源流になります。1981年には、新宿にシネマスクエアとうきゅうが開場し、翌年ユーロスペース、その翌年シネ・ヴィヴァン六本木が開業。80年代の東京という好景気に沸く時期に、小さな映画館が次々と生まれました。川喜多かしこという人が、いかに深いところで日本の映画文化を支えていたかが、わかります。

ですが、ATGは70年代を通じて、じりじりと後退していきます。批評家に絶賛されても、客が入らない作品があり、加盟館は減り、経営は苦しくなる一方。70年代前半には、当時のポルノブームに便乗する形で、思想を絡ませた実相寺昭雄『無常』『曼陀羅』や、若松孝二『天使の恍惚』といった、いわゆる芸術ポルノが興行的に当たりました。

1979年、創立以来の社長・井関種雄が退任し、佐々木史朗が後を継ぎます。

ここで新社長は、画期的な方針を打ち出しました。監督側の負担は50%でも10%でもよい、金がなければATGが全額出す、と宣言したのです。製作費も、三千万から三千五百万に引き上げられました。一見、作り手に優しくなったように見えます。ですが僕は、ここでATGはATGでなくなったと考えています。

ATGの「一切干渉しない」という第二条は、善意だけで成り立っていたのではない。作り手が半分を出しているからこそ、口を出す筋合いがなかった。今村昌平や岡本喜八が家を抵当に入れて映画を作り続けたように、作る側は命を賭けていた。その対等さこそが、干渉しないという奇跡を支えていたのです。全額を出す側になった瞬間、ATGはただの製作会社になります。

ですが、ここから次の芽が育ったのも事実です。佐々木体制のATGは、自主映画やロマンポルノ出身の若手を積極的に起用。大森一樹『ヒポクラテスたち』（1980年）、大林宣彦『転校生』（1982年）、そして森田芳光『家族ゲーム』（1983年）という、名だたる名監督が登場しました。

ATGの作風が明らかに変わった。しかし、本当の問題はそこにありませんでした。ATGの発明が、業界の常識になってしまったのです。

1977年、ぴあが自主製作映画展を開始（のちのPFF）。1979年には、東映が社外監督に門戸を開き、製作費は折半という方針を打ち出しました。低予算で、若手に、一本目を撮らせる。ATGだけがやっていたことを、大手がコピーしてやり始めたのです。

運動は、負けて終わるとは限りません。勝って、吸収されて、終わることもある。ATGの晩年は、そういう終わり方でした。文化が、商業的に吸収され、消化されてしまったのです。

そして1992年、新藤兼人『濹東綺譚』。これが、ATGの最後の作品になります。以後、会社は休眠したまま26年を過ごし、2018年11月1日、東宝に吸収合併されて消えました。この間の1993年、川喜多かしこは死去しています。

では、ATGは何を遺したのか。

人を遺しました。大島渚、松本俊夫、吉田喜重、長谷川和彦、森田芳光。彼らがあの場所を通ったという事実そのものが、日本映画の骨格そのものです。

そして、言葉。上映館でしか売らなかった雑誌『アートシアター』。完全シナリオと評論を収めたあの冊子が、映画を観て消費する観客から、読み、考え、論じる者に変え、その先に映画を作る転換を成し遂げた。

何より、仕組み。金は半分でいい。ただし、一切口を出さない。そのかわり、発表する場所は必ず用意する。潤沢な予算でもなく、洗練された才能発掘システムでもない。作り手が自分の半分を賭け、大人が黙って場所を差し出す。それだけで、日本映画はあの高さまで行ったのです。

いま、僕たちは違う景色を見ています。カメラは誰の手にもあり、発表の場は無限にあるように、見える。ですが、ATGを眺めていると、何かが決定的に間違っている。ATGが遺した真の遺産は、相変わらず強烈で、先鋭的な問いとして、今も残されているのです。

新宿三丁目、伊勢丹の横。文化は、小さな場所で生まれ、静かに終わります。一時代を築いた建物は、もうありません。ですが、あそこで行き場のない憤りを抱えた若者と、大人が共犯したことを、忘れてはならないはずです。

思考する作品を提供し、作る意欲を高め、金を半分出して、口を出さず、場所を持つ。観た者は、思考する者となり、作る存在となる。その連鎖こそ、日本文化です。ATGが遺したのは映画ではなく、おそらく、在り方のほうです。

現在のクリエイティビティは、果たしてこの精神を少しでも持っているでしょうか。それとも、この歴史さえ知らないまま、クリエイティブを語っているのでしょうか。葛井欣士郎は、ある言葉を遺して世をさりました。最後に、その一言を。

「僕はね、アートシアターのお客様から次の芸術家が生まれるのが夢だったんだよ」

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執筆: 三井崇央
編集: TM MAGAZINE
発行元: ジハンジンコ株式会社

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## 三井崇央の本

### 最新作：『和と大和』（三井崇央初の思想書、2026年10月21日）。ほかに『僕は何者なのか？』（日本人のルーツを求めて日本列島をフィールドワークした7年間の記録）、写真集『Where Was I? 僕はどこにいたのか？』

- [和と大和](https://www.amazon.co.jp/dp/B0HNQW4HQ8)（Kindle、2026/10/21）: 三井崇央初の思想書。「和」とは何か。魏の使者が聞いた「ワ」の音から、卑弥呼、十七条憲法、太子信仰、水戸、幕末、明治、戦後へ。和の変様の跡を辿り、多元の和を疎外した先に立ち現れる単一の「大和」（空気・同調圧力・忖度）を、山本七平『「空気」の研究』の先に位置付ける。
- [僕は何者なのか？](https://www.amazon.co.jp/dp/B0GTJ3WZKD)（Kindle、2026/03/23）: 自分のルーツは、両親ではなく祖父母を見ることで辿れる。1991年生まれの僕が、祖父母の故郷（石見の五十猛と温泉津、秋田の横手、瀬戸内の大三島）から津軽、岩木山、出雲、諏訪、宇佐へと、2019年から7年間日本列島のフィールドワークを行い、縄文・弥生・古墳の層に多元的な日本人の姿を探った記録。
- [Where Was I? 僕はどこにいたのか？](https://www.amazon.co.jp/dp/B0HM2WJVL1)（Kindle、2026/04/09）: まだ見ぬ未来への羅針盤。2019年から7年間、日本列島をフィールドワークして撮り続けた写真集。高千穂から始まった旅は、神武東征の道、北東北の紅葉と縄文、風土、海人族の海、出雲、そして津軽へと続き、やがて「僕はどこにいたのか？」という問いへ向かっていく。日本語と英語の二言語。
- [NO ONE DECIDED: Wa and the World's Most Orderly Society](https://www.amazon.com/dp/B0HNP81CR3)（English edition of 『和と大和』, Kindle, 2026/10/21）: Takahiro Mitsui's first book in English, the English edition of 和と大和 (Wa and Daiwa). No one decided, and yet it is decided; no one ordered it, and yet everyone obeys. Mitsui names what lies beneath Japan's order: wa (和), the invisible working that makes the "one" possible whenever people become one, and separates it from Daiwa, the "Great Wa".
- ほかの著書: https://www.amazon.co.jp/stores/author/B09P7R6Q25
