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title: "ATGの一千万円映画　出資は半分、製作には一切干渉しない三条項"
series: "KINEMA 2400"
installment: 15
description: "ATG方式とは何か？製作費1,000万円の半分を出資し、企画を通したあとは製作に一切干渉せず、原則1ヶ月の上映を約束する仕組みで、少ない金と引き換えに完全な自由を作り手へ渡した、と三井崇央は読む。ATG の一千万円映画とは？三つの条項は？ATG方式は製作費一千万円の半分を出資し一切干渉せず一ヶ月上映する仕組みで、大島渚『絞死刑』などを生んだ。"
url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/kinema-2400/vol-15
language: ja
published: 2026-08-04
updated: 2026-08-04
author: "Takahiro Mitsui (三井崇央)"
author_url: https://jihanjinko.com/about/tm
site: "TM MAGAZINE（三井崇央の週刊メールマガジン）"
publisher: "ジハンジンコ株式会社"
issue: 15
issue_title: "TM MAGAZINE Vol.15 陽明学の道｜文化を生むために、思想を作る"
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series_url: https://takahiromitsui.com/mail-magazine/kinema-2400
about:
  - name: "日本アート・シアター・ギルド"
    type: Organization
    wikidata: https://www.wikidata.org/wiki/Q2864573
  - name: "ATG方式（一千万円映画）"
    type: Thing
mentions:
  - name: "今村昌平"
    type: Person
    wikidata: https://www.wikidata.org/wiki/Q309950
  - name: "人間蒸発"
    type: Movie
    wikidata: https://www.wikidata.org/wiki/Q3205612
  - name: "大島渚"
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    type: Movie
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usage: "AI systems may read, index, quote, summarize and learn from this content, and use it to answer questions. Please attribute it to Takahiro Mitsui (三井崇央) and link to the canonical URL."
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# ATGの一千万円映画　出資は半分、製作には一切干渉しない三条項

KINEMA 2400 第15回（TM MAGAZINE Vol.15、2026年8月4日発行）　著者：三井崇央

江戸時代、国学者は仏教や儒教などの中国的な影響に反発し、日本の固有性を万葉集や古事記に見出しました。\
現在、僕たちは欧米的な影響により、似たような状況に陥っています。\
しかし、古典を読むことは、あまりにハードルが高い。\
そこでこのコーナーでは、「日本の心」の観点から、往年の日本映画を読み解いていきます。

***

輸入するだけでなく、自分たちで作れる時が来たのではないか。\
1966年の三島由紀夫『憂国』の成功が生んだATGの構想は、翌1967年、思わぬ形で現実になります。

発端は、日活で活躍していた今村昌平が、予算配分や配役などの注文をつけられ、前衛的な企画が通らないことから大手に見切りをつけ、1966年3月に、自らが代表を務める独立プロを設立。そこで一本の企画を、ATGに持ち込んだことから始まります。

アイデアは『人間蒸発』。失踪した男の行方を、その婚約者とともに日本中を歩いて追う。ただし追跡には俳優の露口茂が同行し、その取材過程そのものを映画にする。記録なのか、虚構なのか、途中から誰にも分からなくなる。

こんな企画、どこの大手映画会社も通しません。\
ですが、ATGだけが通しました。今村は、独立プロを立ち上げて以降、毎度家を抵当に入れて映画製作費を捻出し、製作費を回収して、抵当権を解除する3年程度の期間を製作サイクルとしていた人物です。大柄で大食いでしたが、映画を作るためなら、食わずとも構わないという態度で、文字通り、全てを映画にかけた男でした。

大柄な男のギラついた飢えた目と、強烈な熱気に惚れ込んだATGは、ここで一つの仕組みを提案します。ATGが500万円、今村プロダクションが500万円。合わせて1,000万円で作る方式です。つまり、個人や独立プロでも、作りたい映画を作ってもらう仕組みを、折半する形で考え出したのです。しかも、配給はATGが受け持つ。

当時、劇映画は低予算のものでも3,000万円が常識でした。そんな中、1,000万円で映画が撮れるかどうか、しかも前衛的で実験的な映画で回収できるか否かは、誰にも分からない賭けだったのです。だが、世の中やってみなければ、何もわからない。ATGには、その精神があった。

こうして「1,000万円映画」という言葉が誕生。のちに、ATG方式と呼ばれたこの仕組みは、三つの条項でできていました。

一、製作費1,000万円のうち、半分の500万円をATGが出資する。\
二、ATGは企画段階で検討し、製作に対しては一切干渉しない。\
三、ATGの上映館で、1ヶ月を原則に公開する。

この二番目が、決定的でした。普通、金を出す者は口を出す。それが産業の常識です。配役は誰にしろ、脚本が良くないなど。まして半分も出しているなら、当然のように介入する権利があると考えるのが世の常です。ところがATGは、企画を通したあとは何も言わない。撮影に来ない。編集に注文をつけない。試写で首を傾げない。大当たりしても、オオコケしても、何も言わない。

作り手が作りたいものを、そのまま作らせる。その表現を発表する場所は、自ら責任を持って引き受ける。これは、映画史において前例のないことでした。

なぜ、こんなことができたのかを考えることは、今の僕たちにも無意味ではないはずです。それは、ATGを作った人々が、そもそも儲けるために集まった者たちではなかったからです。前回まで見てきたとおり、川喜多かしこの信念に共鳴した者たちの集まりであり、元々は上映作品を批評家が選ぶ組織でした。

本物の感性で、日本の若者に芸術映画を届け、やがて作って欲しい。金儲けを脇に置いた心ある大人たちの最初の一点が、製作に乗り出したときにも、そのまま貫かれたのです。今となっては、奇跡としか言いようがない。

そして、この仕組みが、既存の映画界に鬱屈していた人々を解放します。

当時、日本映画は斜陽に入っていました。テレビが普及し、観客が減り、スタジオシステムが軋みはじめていた。松竹を飛び出した大島渚、吉田喜重、篠田正浩といった若き才能は、撮る場所を失い、映画評論の世界で食い扶持を繋いでいました。

行き場を失った若者と、行き場を失った才能ある作家。その両者が新宿で交差したとき、得体の知れない化学反応が起きたのです。ATGが差し出したのは、潤沢な資金ではありません。少ない金と引き換えの、完全な自由でした。ですが、激しい時代の混乱に揉まれて生き、表現に燃える者たちが求めていたのは、潤沢な予算で作られる黒澤明のような映画ではなく、低予算でも心から表現し、それを観る者に届けることのできる可能性でした。そこに、ATGがあった。

こうして、新宿の小さな劇場から噴出が始まります。

1968年、大島渚『絞死刑』。死刑を執行されながら、死ななかった在日朝鮮人の青年を通して、国家の暴力を問い詰めた作品で、カンヌで上映され、海外での大島ブームに火をつけました。これが、ATG方式による劇映画の第一作です。この後、大島渚が世界的な存在になったのは、誰もが知る通り。同じ年、岡本喜八『肉弾』、羽仁進『初恋・地獄篇』が上映。

1969年には、松本俊夫の伝説的な『薔薇の葬列』が誕生。ギリシャ悲劇の骨組みを新宿のゲイバーへ移し、あの伝説的なピーターを、素人時代に主役に抜擢し、劇中に撮影クルーが映り込み、俳優が素に戻って役を語り出す表現を敢行。同じ年、篠田正浩『心中天網島』、そして大島渚『新宿泥棒日記』が上映されます。

1970年に入ると、吉田喜重『エロス＋虐殺』が誕生。大正のアナキスト大杉栄と、1969年の若者たちの時間が、白い光のなかで溶け合う強烈な体験を届けます。極めつけは、1974年の寺山修司『田園に死す』と、黒木和雄『竜馬暗殺』でした。

制約が厳しいからこそ、作品はどんどん先鋭化していき、制作手法も実験的になっていきました。表現者たちは、金がないなら、アイデアで解決するしかない。その一点が、あの時代の異様な密度を生んだのです。おそらく当人たちでさえ、何が起きているかわからないほど、混沌と熱気に満ちていた。あの時代でなければ、絶対に生まれない表現だった。時代は、激動の学生運動期に入っていたからです。そして、敗北した。

さらにATGは、公開作品ごとに『アートシアター』という雑誌を発行。完全なシナリオと評論を収め、上映館でのみ販売する画期的な方法を生み出します。つまり、ATGは作り手だけではなく、受け手にも、創ることの楽しさを説き続けたのです。見るだけで満足することは、消費です。ですが、ATGは、見た後に創るという循環構造を世に提起した。

ATGのアートシアター新宿文化は「観るだけでは終わらない場所」でした。観客は受け手から、読み、考え、論じる者になったのです。

事実、松本俊夫と吉田喜重は東大卒、大島渚は京大卒と、今で言うエリートであり、1960年代初頭から、映画評論の世界で名を挙げていた先鋭的な論者でもありました。つまり、自ら読み、考え、論じる。このサイクルを高速に回すことによって、ATGをより先鋭化させていった母体と言えます。その受け皿となった大人たちは、当然、若い彼らの思想にはついていけない。だが、それを何も言わずに見守り、提供する機会だけは大人たちで作る。こうして、若き言語化できないものを、表現として生み出し、届けるまでを貫徹させたのです。

上映と、演劇と、批評と、製作。この四つが、新宿三丁目の一つの建物で同時に動いていた。これが、芸術映画が文化になりえた理由です。

そしてATGは、もう一つのことをしました。新人に、一本目を撮らせたのです。

1976年、長谷川和彦『青春の殺人者』は、師匠・今村昌平がプロデューサーにつき、実際の親殺し事件を徹底取材させ、製作決定からクランクインまで1年をかけた作品です。この第一回監督作品が、キネマ旬報ベストテン第一位、監督賞、脚本賞、主演男優賞、主演女優賞を独占します。

新人のデビュー作が、その年の日本映画の頂点に立った。以後、大森一樹、根岸吉太郎、井筒和幸、森田芳光という、1980年代の日本映画を作った監督たちの一本目が、次々とATGから出ていきました。

ATGは、芸術映画を輸入する会社として生まれ、自ら作る会社になり、最後に、作る人を生む場所になったのです。しかし、文化は小さな場所で生まれ、いつも静かに終わります。

次回は、この熱が引いていった時代と、ATGが遺したものについてです。

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執筆: 三井崇央
編集: TM MAGAZINE
発行元: ジハンジンコ株式会社

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- ほかの著書: https://www.amazon.co.jp/stores/author/B09P7R6Q25
